10-2
「~~~~ッ! リンゼル様! こんなことではいけません! この国において、パンは食の中心! 私たちの体は、パンで作られているといっても過言じゃないんですよ⁉」
「す、すまない、アリス」
「明日から特訓です!」
「だが、放課後は帝王学の勉強が――――」
「成形の技術を学ぶのが先です! ビシバシ鍛えますから!」
「お、おす」
リンゼルが、目に炎を宿したアリスの前に跪く。
すごいな、この元平民。王子を完全に尻に敷いている。
ただ、体がパンで作られているという話は、あながち間違いではないと思えた。俺だって、食卓はパンを中心にしている。今後は、もっとパン作りに精を出すことにしよう。
「まあ、お説教は置いといて……パンは焼き立てが一番! 早速食べましょう!」
アリスの表情が、いつもの明るい笑顔に戻った。
「なら、紅茶を淹れてもいいかしら? きっと合うと思うの」
「いいんですか⁉ クレアさんの紅茶、ぜひ飲んでみたいです!」
「ええ。すぐに用意するわ」
クレアは、お洒落にウインクして、ティーセットを用意し始めた。
思わず、頬が緩む。クレアの紅茶は、どんな店のものよりも絶品だ。朝は時間の関係で俺が淹れているが、午後のティータイムは、すべて彼女に任せている。俺にとっては、まさに至福の時間だ。
「……なあ、ブラン」
クレアの紅茶を待っていると、どういうわけか、リンゼルがすり寄ってきた。
「クレアは……その、紅茶にうるさかったりするのか?」
リンゼルは、アリスとクレアを交互に見ながら言った。どうやら、己がパン好きの恋人に振り回されているのと同じように、俺もクレアに振り回されているのか、気になったようだ。
恋人の目を気にしながら、こそこそと同志を探している姿は、どこにでもいる普通の少年だった。
「えっと……たまに?」
「そうか。やはりそういうものか」
リンゼルは、どこか楽しそうに、へらっと笑った。
ゼストのことで、彼は心に深い傷を負ったことだろう。こんな取り留めのない会話で、少しでも笑顔になれるなら、いくらでも付き合うつもりだ。
アリス直伝のパンは、クレアの紅茶とよく合っていた。
交互に食せば、それだけで溢れんばかりの幸福が押し寄せてくる。なんと穏やかな時間だろう。少し前まで、慌ただしく捜査に明け暮れていたとは思えない。
「あ~~~~……美味しい……」
アリスは、紅茶を口に運ぶたびに、とろけ切った顔になった。
その様子を見て、リンゼルは愛おしそうに笑っている。なんという溺愛っぷり。見ているこっちが恥ずかしくなる。
「ブラン、今日のために作ったっていうアレはどうしたの?」
「アレ? あ、そういえば……」
パン作りに夢中になってしまい、すっかり忘れていた。
俺はジャムが入った瓶を取り出し、テーブルの上に並べる。
「パン作りって聞いてたから、いくつかジャムを用意しました。よければどうぞ」
「自家製ですか⁉」
「あ、ああ……そうだけど」
「そういえば、ブランさんとクレアさんって、毎日お弁当ですよね⁉ まさか、全部ブランさんが……⁉」
俺が遠慮がちに頷くと、すかさずクレアが割り込んできた。
「ブランの料理は世界一よ。そこら辺のシェフじゃ、足元にも及ばないわ」
クレアに褒められて、思わず飛び跳ねそうになる。
「ほう、あのクレアが、こんなに人を褒めるなんてな」
「リンゼル様、私も変わったのですよ」
「ふふっ、そうか」
どこか雰囲気の似ている二人が、顔を合わせて笑っている。
いちファンとして、その様子に感動していると、食い意地が張ったアリスとラングが、早速ジャムをパンにつけていた。
「ん〜っ! 甘酸っぱくて美味しい〜!」
「さすがは我が友! ジャム作りも上手いんだな!」
――――よせやい。
でれでれしながら、俺は頭を掻いた。
「そうだ。ブラン、クレア、二人に話がある」
紅茶で口を湿らせたリンゼルは、改まった様子で言った。
俺たちは、揃って姿勢を正す。どうやら、真剣な話のようだ。
「まずは、ゼストの件についてだ。お前たちのおかげで、やつの悪事を止めることができた。……深く感謝する」
リンゼルが頭を下げる。心の底からの感謝が、真っ直ぐに伝わってくる。
「……事件は解決したが、問題は残っている。急務なのは、生徒会の人員の補填だ」
顔を上げたリンゼルが、クレアを見て、それから、俺を見た。
「今一度頼みたい。どうか、生徒会に入ってもらえないだろうか」
クレアと顔を見合わせる。
俺たちの答えは、もう決まっていた。
「俺たちでよければ、喜んで」
クレアは、ゼストの一件に責任を感じている。特に、怪我をしたアリスには、大きな借りができた。それを返さないことには、彼女の気が晴れないだろう。
そして、クレアの借りは俺の借りでもある。何より俺自身、リンゼルたちとも、さらに仲を深めていきたいと思っている。
「そうか……! 受けてくれるか! なら早速、業務の話なのだが――――」
そう言いながら、リンゼルは書類を取り出した。
思わず呆気に取られる。この男、俺たちが引き受ける前提で、この話を振ったな?
なんというか、してやられたと言った感じだ。
「もうすぐ夏季休暇だろう? 休み明けに控えた剣術大会のために、生徒会主導で剣術合宿を開こうと思ってな」
剣術大会とは、学園内でもっとも強い剣士を決めるものである。学年を問わず、毎年多くの生徒が参加し、鎬を削る。ちなみに、去年の優勝者は、男子の部はラング、女子の部はアリスだった。
俺は出場しなかった。メインキャラとの接触が、本編にどんな影響を及ぼすか分からなかったからだ。しかし、本編が終わった今、全力で優勝を狙位にいくつもりだ。それくらいやってのけないと、クレアの夫には相応しくない。
「合宿の場所は、〝クリームニル島〟になる予定です!」
「へぇ、最近できたっていうリゾート地じゃない」
クレアの声が、少し弾んだのが分かった。
〝クリームニル島〟は、スイーテニア王国近海に作られた、人工島である。
何十年も前に始まったプロジェクトであり、それがようやく完成したと聞いたのは、去年の終わり頃だった。
いわゆるテーマパークのようなもので、様々な娯楽施設があるらしい。カジノがあるなんて話も聞いたことがあるが、定かではない。
「合宿の期間は、二泊三日。公的な手配は学園側がやってくれるが、肝心の合宿の内容は、我々に一任されている。二人は剣の腕も確かだし、共に鍛錬メニューを考えてもらえると助かる」
「分かりました。クレアと考えてみます」
「ちなみに、夜はレクリエーションも企画してるんです! 肝試し用のコースもあるんですよ!」
アリスが、わくわくした様子で言った。彼女の度胸ならば、試す必要もないと思うが、恐らくそういったシチュエーションに憧れているのだろう。
「へ、へぇ……肝試しね……」
対するクレアの顔は、少々引き攣っていた。意外や意外、彼女は怪談の類が得意ではなく、特に幽霊なんて、大の苦手である。プライドのせいで、どうしても強がってしまうところが、なんとも気の毒であり、愛おしくもあった。
「合宿のしおりはオレが作るぞ! 美しいデザインのものを用意してやる!」
しおりって、旅のしおり的なやつのことを言っているのだろうか。
――――それ、必要なのか?
◇◆◇
学園の廊下を、気怠そうに歩く者がいた。
ズボンを履いているものの、その体は女子よりも小柄で、小さく丸っこい顔は、誰もが振り返ってしまうほど可愛らしい。
その名を、ミルキィ=シュガードール。スイーテニア王立学園に通う、二年生である。
――――あんな可愛い子いたっけ?
――――男子の制服だけど……。
――――まさか、男の子じゃないよね?
そんな声が聞こえてきて、ミルキィは顔をしかめた。
「どいつもこいつも……クソ失礼なやつらだな。だから人間は嫌いなんだよ……」
顔に似合わない悪態だった。中庭のベンチに腰掛けたミルキィは、今朝の新聞を広げる。
そこには、ゼストが起こした事件のことが書いてあった。詳しい手口と共に、転写の魔導具についての注意喚起が記載されている。事件の内容より、ミルキィが惹かれたのは、その魔導具についての部分だった。
「転写の魔導具を変装のために使ったのかぁ。――――もったいないなぁ……ボクが改造していれば、もっと面白い使い方ができたのに」
ミルキィは、嘲笑うようにそう呟いた。




