10-1 嵐は過ぎて
ゼストが逮捕されてから、一週間の時が過ぎた。
リンゼルは、騎士の護衛を率いて、騎士団本部の地下を目指していた。
この先には、罪人を収容しておく牢屋がある。罪が確定し、監獄へ送られるまで、罪人はここで過ごすことになっていた。
リンゼルは、面会室へと通された。
指を通すことも難しいほど細かい格子の前には、簡素なテーブルと椅子が置かれていた。
この向こうは、罪人がいるべき場所である。椅子に腰掛け、リンゼルは彼が現れるのを、静かに待った。
「――――入れ」
騎士の声と共に、腕を縛られたゼストが部屋に入ってくる。
ブランにやられた傷がまだ癒えていないのか、その体は、包帯だらけだった。ろくに食事も取っていないようで、リンゼルの記憶にあるゼストの姿と比べると、些か痩せこけた印象を抱いた。
彼は、リンゼルの姿を認めると、苦笑を浮かべた。
「……一国の王子ともあろう男が、こんなところに来ていいのかい?」
「何を言う。私はただ、馬鹿な真似をした友人に会いに来ただけだ」
椅子に腰掛けたゼストは、呆れたような顔で、ため息をついた。
「君は、本当に甘いね。僕は暴行を働いた上に、人をひとり殺したんだよ? 君がすべきことは、僕を軽蔑し、厳しく罰することではないのかな」
「その通りだ。私は、リンゼル=スイーテニアとして、お前を決して許さない。……だが、今はただのリンゼルだ。お前を庇うつもりはないが、友として話すくらいなら、許されるだろう」
「意味の分からない屁理屈を……」
ゼストは、リンゼルの真っ直ぐな視線を受け、深くため息をついた。
ゼストが知るリンゼル=スイーテニアという男は、元からこんな目をしていたわけではない。
以前の彼は、視線が常に揺れていて、決断力がなく、意思が希薄な男だった。それが、いつの間にか、すっかり一人前の顔をしている。アリスという、普通の少女が、彼をここまで変えたのだ。本来であれば、それは側近であるゼストの役割だった。
ゼストにはできなかったことを、周りの者たちは平然とやってのける。そんな事実が、彼をさらに惨めな気持ちにさせた。
「僕は君を裏切ったんだ。激しく罵って、完全に縁を切るべきだ」
「それでは、お前が楽になるだけだろう」
ゼストは、言葉を失った。自分が図星を突かれたと気づくまでに、少し時間がかかった。
「お前を裁くのは、あくまでこの国の法だ。そこに、私の意思はない」
そう言って、リンゼルはゼストに向かって、深々と頭を下げた。予想すらしていなかった行動に、ゼストは唖然とする。
「な、何を……」
「すまなかった、ゼスト。お前のそばにいながら、私は、お前の心の闇に気づいてやれなかった」
誠心誠意、心がこもった謝罪だった。途端に、ゼストの心は苦しくなるほど締めつけられて、自然と涙が溢れ出した。何故、リンゼルが心を痛めているのか。何故、自分に謝罪したのか。
分からない。分からないが、ただ責められるよりも、はるかに辛く、苦しかった。
「君が謝る必要なんてない……! 悪いのは僕なんだ……。僕は、許されないことをしたんだ……!」
麻痺していた感情が動き出し、ようやく罪悪感が追いついてきた。罪の重さが、ゼストを押し潰さんとのしかかる。
「……ゼスト、お前はその苦しみと、死ぬまで付き合い続けなければならない。そして、身勝手に死ぬことも許されない」
ゼストは、彼の言葉を反芻しながら、何度も頷いた。
「罪を償い続けろ。私も、お前を救えなかった罪を抱いて、生きていく」
リンゼルの青い瞳と、ゼストの涙で濡れた瞳が、ぶつかって混じり合う。
もう、この二人が会うことはないかもしれない。リンゼルは、寂しい思いを押し殺し、懐から一冊の本を取り出した。それは、ゼストがよく読んでいた本だった。
「餞別だ。この本、好きなんだろう?」
リンゼルは、騎士を経由して、ゼストに本を渡す。
ゼストは、ページをぱらぱらとめくり、わずかに頬を緩めた。
「……実は、本が好きなわけじゃなかったんだ」
ページの隙間から、押し花の栞がこぼれ落ちる。ゼストはそれをつまみ、慈しむような視線を向けた。
「小さい頃、クレアからもらったんだ。友達の証だって」
そう、友達。ゼストには、最初からクレアの恋人になる道は、存在していなかった。
今更ながら、そのことに気づいたゼストは、そっと栞を握りしめた。
◇◆◇
「パン作りの基本! それは、とにかくこねること!」
仁王立ちしたアリスが、俺たちに向かって叫ぶ。
ここは、学園の調理室。俺たちは、アリスの指導のもと、何故かパン作りに励んでいた。
名目としては、アリスの快気祝いと、事件解決のお疲れ様会ということになっている。祝われる側の彼女に指導されている図は意味が分からないが、主役の指示には逆らえない。
ちなみに、アリスは貴族になる前、母と共にパン屋を経営していた。そのため、パン作りに関しては、かなりこだわりがある。俺も、料理の知識には自信があるが、パンに関しては、まだまだ学ぶことが多くあった。
「意外と楽しいわね……」
隣で、頭巾とエプロンをつけたクレアが、生地を丁寧にこねている。腰の入った、いいこねっぷりだ。
「いいですね、クレアさん! その調子です!」
「ええ、頑張るわ」
クレアが、楽しそうに笑っている。それだけで、この会に参加した甲斐があるというものだ。
「見ろ! ウサちゃんだ!」
クレアの向こうで生地をこねていたラングが、ウサギの形に成形した生地を見せてきた。
確かに、ふわふわで可愛いのだが――――。
「こらぁ! 発酵前に遊ぶなぁ!」
「す、すまん……」
鬼の形相で叱るアリスに、ラングが縮こまる。なんとも凄まじい迫力だった。
「ブランさんは、丁寧で綺麗なこねっぷりですが……うーん、なーんか可愛げがないですねぇ」
「そりゃ悪かったなぁ」
何故か不満そうなアリスに、思わず苦笑する。
「――――すまない、遅れた」
ゼストの面会に行っていたリンゼルが、調理室に現れる。
そんな彼に、アリスがすかさず頭巾とエプロンを差し出した。
「リンゼル様! あなたもパン作りに参加してください! 遅れた分を取り戻しますよ!」
「あ、ああ……」
アリスのパン熱は、王子が相手でも容赦ないな……。
そうこうしているうちに、焼き上がったパンが、ずらりとテーブルに並んだ。
アリスが作ったパンは、どれもクオリティが高い。さすがはパン作りのプロと言ったところか。
ラングのパンは、どれもとても可愛らしい。クマの形だったり、ウサギの形だったり、彼の好きなものだらけ。もう吹っ切れたのか、趣味をまったく隠さなくなったようで何よりだ。
クレアのパンは、少々歪な形をしているものの、初めてにしては十分すぎるほどのクオリティだった。本人も、満足げにしている。
問題は――――。
「……これはひどいな」
リンゼルは、自分のパンを見て、乾いた笑いをこぼした。
どれも、何故かぼこぼこしていて、何をイメージして成形したのかすら分からない。
「い、いや、そんなことはないぞ! この犬なんて、めちゃくちゃ可愛いじゃないか!」
「それはクマのつもりで作ったんだが……」
「あ……」
「そうだよな……犬には見えないよな」
まずい、リンゼルがしおれ始めた。
クレアと目を合わせ、リンゼルのパンをじっくり観察する。せめてひとつでも、何をモチーフにしたのか当ててやりたい。
「これはウサギですよね? とても可愛いわ」
「ネコだ」
クレアの顔が引き攣る。よし、次は俺の番だ。
「可愛い鳥ですね! 今にも飛び立ちそうな――――」
「それはモグラだ」
――――よりにもよって、何故モグラを……。
思わず文句を言いそうになって、天を仰ぐ。
いけない。どれだけパン作りが下手でも、彼は王子なのだ。舐めた口を利いて、怒らせでもしたら大変だ。
「ちなみに、これはカメレオンで、これはマーモットだ」
「もっとオーソドックスな動物にしてくれ!」
駄目だ。我慢できなかった。




