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2-2

 早朝、午前五時。

 俺の朝は、このときより始まる。

 顔を洗い、寝衣から簡素なシャツに着替え、すぐ庭に出た。まだ外は薄暗く、冷たい風が吹いている。

 訓練用の木剣を手に取り、日課の素振りをこなす。

 頭の中で、回数を数えながら、ただひたすらに剣を振るう。剣が空を裂く音は、集中するにつれ、聞こえなくなっていく。鳥のさえずりや、木々の揺れる音さえも。

 剣術は、貴族の嗜みである。位が高い者ほど、相応の実力が求められるのだ。

 前世の記憶に目覚めてからの十二年間、一日たりとて鍛錬を欠かさなかった。

 すべては、クレアを迎え入れ、幸せにするためである。

 賊に襲われ、クレアを奪われるかもしれない。

 自分より強い者に、クレアが目移りしてしまうかもしれない。

 そう思えば思うほど、強さを追い求めた。

 鍛錬を続けた結果、いつの間にか、最強と謳われるスイーテニア王国の騎士団長を凌駕する力を手にしていた。しかし、その力を行使したことは、まだ一度もない。

 我が剣は、クレアのためにある。己の力を誇示するために振るつもりは、一切なかった。

 極限まで集中することで、朝の短い時間であっても、十分な負荷がかかる。そのため、素振りが終わる頃には、滝のような汗をかいている。

 鍛錬を切り上げ、風呂で汗を流す。

 屋敷の風呂は、瀟洒なつくりをしている。屋敷を彩る調度品によく合うデザインだ。これらはすべて、俺が熟考し、選んだものである。特に風呂場は気合いをいれた。なぜなら、身を清めることが好きなクレアを喜ばせるためである。


 午前七時、朝食づくり。

 手際よく、二人分の朝食をつくっていく。

 主食のパンに、サラダ、オニオンスープ、オムレツ。

 パンとスープは、前日に仕込んでおいたものだ。

 あっという間に料理が揃い、ダイニングに運ぶ。いつもの席に腰掛け、少しすると、愛しのクレアが現れた。


「お、おはようございます、クレア様」


 思わず声が上ずりそうになるのを、懸命に堪えた。

 美しい銀髪をさらに映えさせる、白のワンピース。昨日よりは比較的ラフな格好でありながら、彼女の魅力は損なわれるどころか、ますます増していた。

 何より、愛しの人と朝食をとることができる幸福が、俺の頭を支配していた。


「目覚めはいかがでしたか? 昨日はさぞお疲れかと思いましたが……」


 平静を装いながら、クレアを気遣う言葉を口にする。

 そんな俺を、クレアはじーっと見つめていた。


「えっと……何か?」

「なぜ、あなたは私を様付けで呼んでいるのかしら」


 ひゅっ――――と、口から息が漏れた。

 まさか、そう話を切り出してくるとは。返す言葉を考えておらず、あからさまに動揺してしまう。


「そ、それはその、えーっとぉ……」

「だって、おかしいわ。私には、呼び捨てにするよう言ったのに。何か、理由でもあるの?」


 クレアは、俺を観察するように、じっと見つめ続ける。

 もはや、観念するほかあるまい。逡巡したのち、口を開く。


「……いや、ないよ。すまなかった、クレア。どうやら俺は、ずいぶん緊張していたようだ。これからは、敬語もなしにしよう」


 緊張? なぜ? そう言いたげな顔で、クレアは首を傾げた。


「ま、まずは食事にしよう」


 そう誤魔化して、俺は彼女の椅子を引いた。

 食事中、ダイニングには、食器を扱う音だけが響いていた。

 何度か話しかけてみたが、「ええ」とか「そう」とか、短い相鎚を返されるだけで、クレアから話題を振られることは、今のところない。

 ただ、会話なんてなくても、俺の心は弾んでいた。あの愛しのクレアと食事しているだけで、踊り出したくなるくらい幸せだった。


――――それにしても、綺麗だなぁ……。


 クレアの所作に、思わず見惚れる。

 俺も、貴族らしいマナーは身につけているが、クレアには、マナーの域を超えた気品があった。

 美しい。ああ、美しいな。語彙力が、死んでいく。


「……じろじろ見ないで。食べにくいわ」

「おっと、すまない。あまりにも所作が美しくて」


 笑みを浮かべて、誤魔化した。それが気に入らなかったのか、クレアは少しむっとする。


――――本当のことなんだけどなぁ。


 そう思っていると、オムレツを口に運んだクレアが、控えめに目を見開いた。


「……料理人の腕がいいのね」

「それは光栄だ。特にオムレツは得意料理でね」

「得意料理……? まるで、あなたが作ったような口ぶりね」

「ああ、俺が作ったからな」


 クレアは、ぎょっとした顔で、カトラリーを落とす。

 すぐさま、使用人が新しいものを持ってくる。クレアはそれを申し訳なさそうに受け取ると、軽く咳払いをした。


「……本当なの?」

「ああ、そうだけど……」


 クレアが、オムレツをひとくち口に運ぶ。

 様子がおかしいクレアに対して、不安な気持ちが募っていく。

 俺の料理なんて食べたくなかったかもしれない。もしや、余計なことをしてしまったのだろうか。そう肩を落としていると、クレアがぽつりとつぶやく。


「――――おいしい」

「えっ⁉」


 声が裏返ってしまった。

 クレアが、俺の料理を美味しいと言ってくれた。もう一度言おう。愛しのクレアが、俺の料理を美味しいと言ってくれたのだ。こんな幸せなことが、他にあるだろうか。


「……変な人」


 涙を流しながら、天を仰ぐ。そんな俺に、クレアは昨日と同じ言葉を口にした。

 それから、またしばらく無言の時間があった。しかし、さっきと違って、そこに重たい空気はなく、ただ食事に集中しているだけだった。


「ねぇ、ブラン」


 なんと、クレアが俺の名を呼んでくれた。

 激しい鼓動を気合いで抑え、俺は平静を取り繕う。


「なんだい?」

「あなた、人を食べるってほんと?」★


 予期せぬ質問に、思わずむせた。少し咳込んだあと、俺は苦笑いを浮かべた。


「えっと……それは、食事中じゃないと駄目な話かな?」

「……ごめんなさい、確かにここでする話ではなかったかも」


 クレアが、申し訳なさそうに目を伏せる。

 男として、愛おしい彼女にこんな顔をさせておくわけにはいかない。ただ、人なんて食べないと言っても、クレアはあっさり信じてくれるだろうか?


「君は、俺をどう見る?」

「……変な人」


 クレアは、少し考えて、控えめな声でそう言った。


「そうきたか」

「鬼畜男爵とは、思えないほどのね。まあ、あなたが名優という可能性も残っているけど」

「俺もそうであってほしいよ。名優なら、君への愛も少しは隠せるのにね」


 精一杯の決め顔で、ふっと笑ってみせる。


――――今度こそ決まった……!


 これなら、ときめくこと間違いなし。クレアだって、少しは心を開いてくれるはず。


「……胡散臭いわ」


 逆効果だったらしい。


「いや、その……君を愛しているのは本当だよ? 君と結ばれたい一心で、ハートレイン家に頭を下げたんだし……」


 もじもじと人差し指同士を合わせながら、言い訳するように言った。

 実際、男爵家が公爵家に縁談を持ちかけるなど、その場で首を刎ねられてもおかしくない話。

 ゲームの流れとして、結婚が許されることは分かっていても、うっかり粗相でもしようものなら、命がいくらあっても足りないだろう。

 俺は、それほどの覚悟を持って、ハートレイン家に頭を下げたのだ。


「どうかしら。私ほどの美貌を好きにできるのなら、命なんて惜しくない男も多いんじゃない?」


 クレアは、己の胸元を指で撫でた。


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