9-4
――――ブランとゼストがぶつかる少し前のこと。
リンゼルは、医務室にいた。テーブルの上には、偽物のブランが置いていった菓子折りがある。
「……さて」
リンゼルは覚悟を決めた顔で、菓子折りに触れる。しかし、それを開ける前に、横から伸びてきた手が、リンゼルの手を掴んだ。
「リンゼル様、ここは私が」
その少女――――アリスは、リンゼルの目を見て頷いた。
彼女は、とっくに目を覚ましていた。ゼストに余計な警戒心を持たせないために、いまだ眠っているフリをしていたのだ。
リンゼルは、そんなアリスの手を、そっと引き剥がす。
「……いや、ここは私がやる」
「でも……」
「大丈夫だ。開けるだけなら心配はいらない」
リンゼルはにこりと笑って、菓子折りの蓋を開ける。
カモフラージュ用の菓子を退けると、そこには赤黒い宝石が埋め込まれた、筒状の物体があった。宝石には、薄っすらと数字が浮かんでいる。それが、正午までの残り時間であることは、すぐに分かった。
ゼストが商人から購入した魔導具は、転写の魔導具と、二種類の爆撃の魔導具。
その種類とは、時限式と、生体式の二つであった。
「すべて、ブランの言う通りだったか」
リンゼルは、苦虫を噛み潰したような顔になった。
ゼストが犯人であると目星がついたとき、リンゼルの中にあった感情は「そんな馬鹿な」という疑いだった。
彼は昔からの親友であり、優秀な側近でもあった。大切なことも、くだらないことも、なんでも互いに相談し合うような、気の置けない仲間であった。
アリスへの想いを自覚してからは、彼が仲を取り持ってくれたことも多々あった。リンゼルにとっても、アリスにとっても、彼は恩人のような存在だったのだ。
それが、いきなり犯人だと言われても、やはり信じがたい。しかし、すべてはブランの推理通りに進んでいる。
ブランは、信頼できる男だ。彼が導き出した答えは、すべて筋が通っていた。
だから、リンゼルはブランを信じた。それでも、ブランの推理が外れてくれることを心のどこかで願っていた。
ただ、こうなってしまえば、もう腹を括るしかない。
「アリス、やはりお前は避難を――――」
「やめてください。リンゼル様を残して、ひとりで逃げられるわけないじゃないですか」
アリスが頬を膨らませる。
真剣に怒っているはずなのに、その顔はどこか可愛くて、リンゼルは危機的状況ながらも、笑みを浮かべていた。
「もう! 何笑ってるんですか⁉」
「ああ、すまない。……気を引き締めなくてはな」
リンゼルは、慎重に宝石を指で掴み、ゆっくりと引っ張る。すると、かぽっという間抜けな音と共に、筒から外れた。宝石と筒の間には、複雑な回路が絡み合っていた。
「……どれを切ればいいんだろうな」
リンゼルは、回路の複雑さに、思わず苦笑した。
この回路を伝って、宝石から筒に爆発の信号が送られる。この爆撃の魔導具を分解するためには、複雑な回路をほぐし、どれがどの役割を果たしているのか、判断しなければならない。それが叶わなければ、正午になると同時に、辺り一帯が吹き飛ぶことになる。
「リンゼル様……今更ですけど、やはり騎士の皆さんに任せたほうが――――」
「いや、駄目だ。この魔導具は、私たちだけで解除しなければ」
リンゼルの、有無を言わさぬ態度に、アリスは口を噤む。
そもそも、一国の王子が、何故このような危険を冒しているのか。それは一重に、親友への情けからだった。
「もし、この魔導具のことが明るみに出たら、ゼストは国家反逆罪に問われる。せめて……せめて、それだけは阻止してやりたいんだ」
ゼストは、取り返しのつかない罪を犯した。彼が重い刑罰を受けることは、すでに決まっている。それに加えて、王子抹殺を企てていたのだとしたら、彼は即処刑されてしまうだろう。
しかし、ここで魔導具を解除し、なかったことにすれば、極刑は免れる。
「……王子失格ですね、リンゼル様」
「ああ、分かっている。だが、これが私だ」
アリスとリンゼルは、顔を見合わせて笑った。
ひどい裏切りを受けても、リンゼルの心は、彼を簡単には切り捨てられなかった。
それは、国を率いる者として、相応しくない考えかもしれない。
――――だとしても、それがリンゼル=スイーテニアだった。
アリスという、太陽のような少女と過ごしたことで、揺るぎない自分らしさを手に入れた、彼の意思だった。
「最後までお供しますから」
「……ああ、よろしく頼む」
改めて、二人は魔導具に向き合った。
正午まで、まだ時間はある。ただ、リンゼルとて、アリスの命を危険に晒したいわけではない。最低限、逃げる時間を確保する必要がある。となると、残された時間は、やはり少ないのかもしれない。
「えっと、これがこっちに繋がっていて……これは……なんだ?」
「ちょ、ちょっと貸してもらえます?」
「あ、ああ……」
苦戦するリンゼルに代わって、アリスが回路に触れる。
ただ、何がなんだか分からない。リンゼルよりも比較的器用なアリスでさえも、回路を数本ほぐすだけで精一杯だった。
「……朝までかかりそうですね」
「ああ……」
先ほどまでの威勢はどこへやら。二人の間には、すっかり諦めムードが漂っていた。
そんなとき、突然医務室の扉が開け放たれた。
「――――オレに任せろ!」
気合いの入った声と共に、ラングがずかずかと踏み込んでくる。慌てて魔導具を隠そうとしていた二人は、きょとんとした表情を浮かべた。
「ら、ラング? どうしてお前が……」
「我が友、ブランから頼まれたんだ。二人の助けになってほしいと!」
ブランは、ラングの疑いが晴れた時点で、協力を頼んでいた。爆弾の解体には、手芸で鍛えたラングの器用さが必要になるだろうと。
「ふむ……なるほど、これがこうなって……」
ラングは、二人の前でてきぱきと回路をほぐしていく。その手際の良さに、二人は目を丸くした。
「ら、ラング……?」
「ん? なんだ?」
「お前、こんなに器用だったのか……」
「ああ。――――実は、手芸が趣味でな。最近は、あみぐるみを作る練習をしてるんだ」
ラングは、これまでずっと秘密にしていたことを、なんの気なしに口にした。
彼自身も、何故こんなにすんなりと話せたのか、分からなかった。下手をすれば、間もなく全員まとめて吹き飛んでしまう。そんな思いから、今際の際の言葉として、話しておこうと思ったのかもしれない。
「笑ってくれても構わんぞ」
ラングがそう言うと、真っ先にアリスが首を横に激しく振った。
「笑いませんよ! 素敵な趣味だと思います!」
「ああ、私もアリスと同意見だ」
アリスとリンゼルが、優しく笑いかける。
ラングは、これまで悩んでいた自分に対し、なんて間抜けなやつだと、鼻で笑いたくなった。
何故こんなに優しい者たちを、信じようともしなかったのか。
「……あなたたちは、必ずオレが生かしてみせる」
ラングは、深呼吸を挟み、改めて回路に向き合う。すると、回路はするするとほどけ始め、やがて、赤色と青色の管が見えてきた。
「このどちらか一本が、爆発の信号を送るためのものだ。それさえ切断できれば……」
「ま、待ってください! も、もしですよ? 違う管を間違えて切ってしまったら……?」
「……その場で爆発してもおかしくないな」
「ひ、ひえぇ……」
アリスの顔が青くなる。分かり切っていたことではあったが、怖いものは怖い。
「何か、判別がつく方法はないか?」
「ないな……。解除したいなら、当てずっぽうでやるしかない」
ラングが、手芸用のハサミを取り出す。
回路をほぐしている間に、正午はすぐそこまで迫っていた。そろそろ避難しなければ、爆発から逃げる時間がなくなってしまう。
「アリス。リンゼル様を連れて、ここから離れてくれ」
「え⁉ まさか、ラング様ひとりで……⁉」
「ああ。二人まで爆発に巻き込まれる必要はない」
「おバカ! そんなの許しません!」
「は⁉」
アリスが、ラングからハサミを奪い取る。
「私が切ります! 二人は早く外へ!」
「駄目だ! お前を置いていけるはずがない! ここは私がやる!」
今度は、リンゼルがアリスを押しのけ、ハサミを奪い取る。
それを見て、慌ててラングが止める。
「何をしているんだ! 二人は早く逃げろ!」
「私の目指す王とは! 常に先頭を行き、民を率いる者! ここは私に任せるんだ!」
「いいえ! ここは私に!」
「も、もう時間がないんだぞ⁉」
刻一刻と爆発の時間が迫る中、三人は揉みくちゃになりながら、ハサミを取り合い始めた。
そして、ふとした拍子に、リンゼルとラングの足が絡み、互いに転んでしまう。
「いっ……よし!」
ハサミが、アリスの手に渡った。二人が立ち上がる前に、アリスは残る二本の回路に向き合う。すべての天運は、彼女の手にゆだねられた。
「――――私が選ぶのは……!」
アリスの視線が吸い寄せられたのは、青い回路。
その色味は、どこかリンゼルの瞳の色に似ていた。
「私は! リンゼル様の瞳の色を信じる……!」
ハサミが、青色の回路に伸びる。
アリスは、こういった極限の選択を、何度も何度も切り抜けてきた。それが、彼女が主人公たる所以だった。刃が、青色の回路に触れる。
――――いや、待てよ?
「えい」
そんな声と共に、アリスは赤色の回路を切った。
「「あー⁉」」
予想外の行動に、リンゼルとラングは、身を寄せ合って絶叫した。
「アリス⁉ 今のは青色を切る流れだろう⁉」
「だ、だって、リンゼル様の瞳の色なら、切ったら縁起が悪いかなって……」
三人の視線が、宝石に向けられる。そこには、ぴたりと止まって動かない数字があった。
顔を見合わせ、三人は互いを抱きしめ合う。
「「「や、やったぁああ!」」」
歓喜の叫びが重なり、医務室の外まで響き渡った。
◇◆◇
時計の針が、正午を示す。
しかし、何も起こらなかった。
「ま、まさか……解除されて……」
ゼストは愕然とし、その体を弛緩させる。
内心、ひやひやしていた俺は、ほっと胸を撫で下ろす。
リンゼルが爆弾解除を請け負うと言い出したときは、さすがに止めた。しかし、彼の真っ直ぐな目を見て、説得しても無駄だと判断した。俺だって、オタクの端くれ。推しの頼みは断れない宿命を背負っている。
ともかく、これでゼストの企みは、すべて潰えた。
「……完全敗北か」
そう呟いたゼストは、どこか穏やかな顔で、クレアを見た。
「ねえ、クレア。もしも、僕がブランより先に、君に婚約を申し込んでいたら――――」
「お断りしていたわ。あなただけじゃない。ブラン以外の誰であってもね」
クレアは、俺を見て、愛おしそうに目を細めた。
それに対し、ゼストは小さく笑う。
「そうか。それなら、仕方ないね」
ゼストのか細い声が、むなしく響いた。
やがて、リンゼルたちが、騎士を引き連れて現れた。
――――こうして、クレアを中心として始まった事件は、幕を閉じた。




