7-3
「――――ぁあああ!」
「ん?」
生徒会室でアリスの帰りを待っていると、どこからともなく叫び声が聞こえてきた。
野太い、男の声だった。
「今の声はなんだ?」
リンゼルも聞き取ったようで、訝しげな顔をしながら、席を立った。
事件のことで、敏感になりすぎているだけかもしれない。それでも、嫌な予感を覚えて、俺たちは廊下へ出た。
声は、下の階から聞こえた。俺たちは、職員室に続く階段を駆け下りる。
「っ――――アリス!」
階段の下、第一訓練場へ続く廊下に、アリスが仰向けで倒れていた。
リンゼルが、一目散に駆け寄る。
「アリス! アリス‼」
リンゼルが抱き起そうとした矢先、俺は床に垂れた血を見て、それを止めた。
「待ってください。頭を打っている可能性がある。できるだけ揺らさないほうがいい」
「あ、ああ……」
「ゆっくり抱きかかえて。そう、優しく」
リンゼルが、慎重に手を動かしていると、アリスがわずかに目を開いた。
「アリス⁉」
アリスは、少し手を持ち上げて、廊下の先を指差す。
「ク、レアさんの……偽物が……」
「なんだと……⁉」
「早く……追いかけて……」
そこまで言って、アリスは再び目を閉じた。持ち上げた腕が、力なく床に落ちる。
「アリス……!」
「リンゼル様は、彼女を医務室へ。俺たちで犯人を追いかけます」
「っ……ああ、頼む」
クレアと顔を見合わせ、すぐに廊下を駆ける。
アリスが生徒会室を出てから、そう時間は経っていない。もしかしたら、まだ近くにやつがいるかもしれない。はやる気持ちを抑えながら、廊下の角を曲がる。
すると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
「ズコット先生……! 何があったんですか⁉」
そう叫んでいたのは、ゼストだった。ゼストが抱きかかえているのは、剣術科の教師であるズコット=ベアウルス。その体からは、絶えず血が溢れ、ゼストのシャツを赤く染めている。それだけに留まらず、湧き水のように溢れた血で、廊下に血だまりができていた。
そんな二人を、呆然とした様子で、ラングが眺めている。
「お二人とも……これは、一体……」
二人のもとに駆け寄った俺は、ズコット先生の胸元の傷を見て、顔をしかめる。
出血量から見るに、彼は明らかに死んでいた。見たところ、胸を剣でひと突き、といったところか。それ以外の外傷は、特に見当たらない。
まさか、先ほどの野太い悲鳴は――――。
「く、クレア……どうして君が……」
「え?」
ゼストは、クレアの姿を前にして、目を見開いた。
「訓練場にいたら、悲鳴が聞こえてきて……。何かあったのかと思って、校舎に戻ってくるとき、君とすれ違ったんだ。声をかけようと思ったら、倒れてるズコット先生と、そのすぐそばにラングを見つけて……」
ゼストは、まくし立てるように、そう説明した。どうやら、彼も相当取り乱しているようだ。
――――ん? ズコット先生とラングを見つけたということは……。
「ラング様のほうが、先にいたってことですよね……?」
呆然としているラングに問いかける。びくっと肩を震わせた彼は、否定するように首を横に振った。
「お、俺は何も知らない……知らないんだ……」
そう言ったラングの声は、やけに震えていた。
――――あれから、少し時間が経った。
医務室に運ばれたアリスだが、幸い命に別状はなかった。頭を強く打って、脳震盪を起こしていたらしい。安静にしておけば、やがて目を覚ますと、医務室の教師は言った。
駆けつけた騎士による事情聴取が終わり、俺たちは生徒会室に集まっていた。
「一体……何がどうなってるんだ」
リンゼルは、そう言って曇った表情を浮かべる。
階段から突き落とされたと思われるアリス。そして、胸を貫かれて死んだズコット先生。
これまでの犯行は、すべて暴行で済んでいた。しかし、ここに来て初めて、殺人が起きてしまった。
事件の流れが、最悪な方向に動き出した。それに対し、俺たちはまだ、状況を飲み込めずにいる。
「……そう言えば、ラング。ズコット先生に呼び出されたと言っていたが、なんの用だったんだ?」
「そっ……それは、言えない」
ラングは、申し訳なさそうに顔を伏せた。その様子に、ゼストが顔をしかめる。
「どういうことかな? 人が殺されてるって言うのに、何を隠しているんだい?」
「言えないものは言えないんだ! 俺は……俺は……!」
唇を噛んだラングは、そのまま生徒会室を飛び出していった。
ゼストが、慌ててそれを追いかける。俺たちも行こうとすると、扉を塞ぐように、突然騎士が現れた。
「――――クレア=ベルモンド」
屈強な騎士たちの視線が、クレアに集まる。
「貴様を、殺人の疑いで拘束する」
「……え?」
一瞬、彼らが何を言ったのか理解できず、頭が真っ白になる。間もなく、思考が追いついてきた俺は、すぐにクレアを庇うように立った。
「……待ってくれ。事件が起きたとき、クレアは私たちと共にいたと説明しただろう」
「存じております。ですが、現場付近で彼女の姿を見たという者がいます。それと、被害者の胸を貫いた一撃は、クレア殿がいたハートレイン領に、古くから伝わる剣術によるものでした」
思わず息を呑む。騎士団に所属する者たちは、皆歴戦の剣士だ。傷口から相手の流派を当てることなど、朝飯前である。要するに、信頼できる情報ということだ。
「一連の被害者の証言も含め、拘束せざるを得ません。ご理解いただけますね?」
リンゼルが、苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「それに、犯人がクレア殿に化けた者だとしたら、彼女を拘束することで、今後事件が起きた際に、被疑者から外すことができます。クレア殿としても、悪い話ではないかと」
――――それは違う。
仮に、ここでクレアが捕まったとして。新たな事件が起きれば、確かにクレアの疑いは晴れる。しかし、犯人の目的は、クレアに罪を着せること。クレアが騎士団に拘束されたら、その時点で目的は果たしたことになる。つまり、新たな犯行は、起きない可能性が高い。
そうなれば、クレアの疑いはさらに深まることになる。騎士団も、事件の解決を急ぐよう、国の重役からつつかれているに違いない。クレアを犯人として、正式な逮捕に踏み切ったとしても、なんらおかしくはないのだ。
リンゼルに目配せする。彼も、俺と同じ考えに至ったらしい。
「クレアを拘束することは、この私が許さん」
「……しかし」
「くどいぞ。それとも、王子の言うことが聞けないのか?」
リンゼルが睨みを利かせると、騎士たちは圧倒された様子で、一歩下がった。
「……承知しました。では」
騎士たちが、護衛担当だけを残して退散していく。それを見送り、リンゼルは小さくため息をついた。
「王子の言うこと、か。我ながら、言うようになったな」
リンゼルは、そう言って苦笑した。権力を振りかざしたことに対し、自己嫌悪に陥ったのかもしれない。しかし、彼の自責と引き換えに、俺たちは窮地を救われた。
クレアと共に、リンゼルに頭を下げる。
「ありがとうございます。リンゼル様」
「いいんだ。君が潔白なのは、共にいた私がよく知っている。不当な逮捕に踏み切ることは、この私が許さない」
――――ただ。
リンゼルは、暗い表情を浮かべ、言葉を続ける。
「これだけのことが起きてしまったのに、事件については、まだ分からないことだらけだ。これでは、アリスに顔向けできん」
「リンゼル様……」
思い詰めているリンゼルに、クレアは同情しているようだった。
「それに、ラングが気がかりだ。まさか、やつの仕業ということは――――」
「リンゼル様、今日はここまでにしましょう」
思考の渦にはまる前に、俺はそう言った。ラングが事情を話してくれない以上、疑うなというほうが難しい。しかし、彼が犯人だとしたら、不可解な点が多すぎる。
「ラング様のことは、俺がなんとかしてみます」
「お前が? どうするつもりなんだ?」
「ひとつ、心当たりがあるんです。彼が心を開いてくれる方法にね」
「……分かった。お前がそこまで言うなら、任せよう」
俺は、リンゼルに向かって深く頭を下げた。




