5-1 初デート
朝、いつもの時間に目を覚ます。
物音を立てないように気をつけながら、服を着替え、剣を手に取った。
夫婦で入寮した俺たちには、広い部屋が与えられていた。セミダブルのベッドが二つ並んでも余りある部屋は、想像以上に快適だ。
ベッドをひとつにしてもらうこともできたが、俺はまだ、これ以上の関係に進むだけの勇気を持ち合わせていなかった。
正直、焦る気持ちはある。前世では、結局体の繋がりまでは至らぬまま、彼女と別れてしまった。そんな甲斐性なしだからこそ、彼女に愛想を尽かされてしまった可能性もあるが、それは分からない。ただ、たとえそうだったとしても、相手の気持ちを無視して手を出すことだけは、どうしてもできない。
故に俺は、いつかクレアがその身に触れることを許してくれるまで、黙って待つと決めている。安らかな寝息を立てるクレアを前に、邪な気持ちが芽生えそうになりつつも、音を立てないように、部屋をあとにした。
外の寒さに、身震いする。広大なスイーテニア王国の北側にあるこの学園は、南に位置するベルモンド領と比べると、かなり気温が低い。しかし、もうすぐ夏期がやってくる。そうすれば、この気候は、むしろ快適さをもたらすだろう。
寮の庭は、学園の訓練場と近い造りになっている。剣の鍛錬を日課とする者が多いからだ。
ただ、俺と同じ時間に起きる者は、この寮にはいないようだ。そして今日も、俺が剣を振る音だけが響き始める。
普段通りの鍛錬を終え、部屋に戻ると、クレアはまだ寝息を立てていた。
身を清めてから、屋敷にいたときと同じように、朝食の用意をする。
いつものオムレツに、コールスロー、豆のポタージュ、そして柔らかい白パン。諸々の準備を終えた頃、クレアはむくりと起き上がる。
彼女は何度か瞬きを繰り返し、俺の顔を見て、安心したように微笑む。
「おはよう、ブラン」
「おはよう、クレア。朝食の準備ができてるよ。顔を洗っておいで」
「ええ、ありがとう」
朝七時過ぎ。俺たちは揃って朝食をとる。
「ん、今日も美味しいわ」
「それはよかった。そうだ、今日のディナーはどうする? リクエストがあったら聞くよ」
「そうね……魚料理が食べたいわ」
「分かった」
これも、普段通りの会話だった。
クレアも、俺が食事を用意することに、すっかり違和感を抱かなくなっているようだった。
「ところで、今日は何をしようか」
今日は、復学してから初めての休日だった。
クレアは顎に手を当て、少し考え込む。
「……そうね、服でも見に行こうかしら」
何気なく言われた提案に、俺は深く頷いた。
「いいじゃないか。ついていってもいいかな?」
「もちろん。あなたの意見が聞きたいわ」
「えっ、俺の好みに合わせてくれるってこと⁉」
期待に満ちた瞳を向けると、クレアは急に笑い出した。
大袈裟だと思われたようだ。しかし、俺からすれば、推しが好きな格好をしてくれるというだけで、一大イベントなのだ。
朝食を済ませ、早速寮を出る。まだ店が開く時間ではないが、カフェで本でも読みながら、時間を潰すことにした。
校舎の前を通るとき、数名の教師が、俺たちの前を慌てた様子で駆け抜けていった。
「休日なのに……何かあったのかな」
「……さあ。どうしたのかしらね」
様子が気になるところだが、教師が動いている以上、学生が下手に首を突っ込むものではないだろう。気を取り直して、街へ向かった。
スイーテニア王都――――。
それは、広大な面積を誇るスイーテニア王国において、もっとも栄えている街。
王の都という言葉通り、街の中央にそびえ立つ巨大な城には、リンゼルの父である現国王がいる。
リンゼルのルートだと、挙式の舞台はあの城だったな――――などと考えながら、遠くに見える城を眺める。
アリスとリンゼルが、玉座の前で口づけを交わすスチルは『アンチェイン』の中でも一、二を争う素晴らしい絵だった。それが表示された瞬間、溢れんばかりの幸福が伝わってきて、滝のような涙を流しながら拍手したことを、鮮明に覚えている。
そういえば、あれはいつのイベントなのだろう? 学園卒業後まで時間が飛んで、アリスがウェディングドレスに着替えているところから始まるのだが、実際のところ、今から何年後の話なのか。
そもそも、あれは確定している未来なのか。仮に、もしも仮に、明日アリスが命を落とすようなことがあれば、この世界はどうなるのか。
それか、因果律のようなものがあって、アリスとリンゼルは傷つかないようになっている、とか?
人生に、決まりきった運命なんて存在しない――――そう思う気持ちは、ずっと変わらない。しかし俺は元来、心配性でもある。こうして取り止めのないことを考えては、不安になることがままあった。何も、今考えなくてもいいことなのに。
「――――ブラン、どうしたの?」
クレアに肩を叩かれ、思考の渦に落ちかけていた意識が戻ってくる。
まさか、この世界の在り方について考えていたなんて言うわけにもいかず、懸命に言い訳を考える。
「ああ、ごめん……。城の美しさに、見惚れてたんだ」
我ながら無理やりな言い訳だが、城を眺めていたのは確かであり、クレアは「ふーん」と言って、特に疑うことはしなかった。
「別に、初めて見たわけじゃないでしょう?」
「そうだけど、美しいものは、いつ見たって美しいと思うだろう?」
「……確かに。その通りね」
◇◆◇
クレアは、ブランと並んで、まじまじと城を眺めた。
左右対称に建てられた、純白の城。
ブランに言われ、改めてよく見ると、これほどまでに美しい建物は、他にないと思った。
クレアは、あの城で一生を終える未来があったのかもしれないのかと、ふと考えた。
ただ、どうしても、自分がリンゼルの隣にいるイメージが湧かない。
今となっては、想像すればするほど、隣にはブランの姿があって――――。
「……えい」
クレアは、唐突にブランの腕をぺしっと叩いた。
「へ?」
「照れ臭くなっちゃったわ」
「な、なんの話?」
ブランが目を丸くし、クレアがくすっと笑う。
「なんでもない。ほら、行きましょ」
「う、うん……」
手を絡めれば、欠けたパズルがぴったりとはまるような感覚があった。
地位よりも、財産よりも、彼がいてくれることのほうが嬉しい。
それは、ブランとて同じことだった。隣にクレアがいることを確かめるように、ブランはつないだ手を、少し強く握った。




