1- 推しが嫁になった日
この俺――――ブラン=ベルモンドが前世の記憶を取り戻したのは、四歳のときだった。
その瞬間、俺はここが『アンチェイン』の世界であることに気づいた。
『アンチェイン』とは、大人気乙女ゲームのことである。
貴族に成り上がったばかりの主人公が、貴族だらけの学園に通うことになり、様々なしがらみに縛られた攻略キャラたちと、絆を深めていく――――という物語。
前世における最後の記憶は、寝不足がたたって階段から転げ落ちた瞬間のこと。
俺はその日、あっさりと死んだ。疑いたくなるようなことだが、それが真実だった。
――――なにはともあれ、生まれ変わったことは幸運だった。
十六歳になった今、心の底からそう思っている。
なぜならば、この世界には、俺が最推しと慕う〝悪役令嬢〟が存在するから。
「ブラン様。クレア=ハートレイン様がお見えになりました」
「ああ、今行く」
庭に出ると、ちょうど門の前に、馬車が到着した。
なんともみすぼらしい馬車だ。とても、公爵家の令嬢のものとは思えない。
執事の手を取って、荷台からひとりの少女が降りてくる。
腰ほどまで伸びた白銀の髪は、毛先にかけて緩やかなウェーブがかかっている。それは、日に照らされ、まるで発光しているかのようにきらめいていた。
瞳は深紅で華やかな印象を受けるが、その目つきは荊のように鋭い。
遠目からでも分かる、大きな胸のふくらみ。握れば折れてしまいそうなくらい細い腰。
儚く、幻想的で、何より美しい。これ以上の言葉で言い表せないことを、非常に惜しく思う。
彼女の名は、クレア=ハートレイン。
今日この日より、俺の妻となる人物である。
クレアを降ろした馬車は、そそくさと去っていった。その様子を鼻で笑いながら、俺はクレアへ歩み寄る。
――――本物だ……! やばい、可愛すぎて死ぬ!
俺の心は、歓喜に打ち震えていた。
何を隠そう彼女こそ、前世から愛し続けている最推し、『アンチェイン』における悪役令嬢なのだ。
前世の記憶を取り戻してから今日まで、この日が来るのをずっと待っていた。
俺という〝鬼畜男爵〟のもとに、クレアという〝悪役令嬢〟が嫁いでくる、この日を。
「ようこそ、ベルモンド家へ。あなたとこうして会える日を、心待ちにしていました」
胸に手を当て、頭を下げる。
それに対し、クレアはカーテシーをとる。
ああ、挨拶の所作ひとつ取っても、なんて美しいのだろう。
「お初にお目にかかります、ブラン=ベルモンド様。私も、この日を心待ちにしておりました」
笑いそうになるほどの棒読みだった。
クレアの立場を思えば、こうなってしまうのも当然だ。
本編におけるブラン=ベルモンドは〝鬼畜男爵〟と呼ばれるほどの、悪人であった。
曰く、オークションで奴隷を購入しては、原形が分からなくなるほど痛めつける、とか。
曰く、女性を薬漬けにして、裏の市場で売りさばいている、とか。
曰く、領民に高額の税金を課し、払えなければその場で処刑している、とか。
罪の数は、もはや数え切れない。
そんな悪名名高い男の家に嫁ぐことになれば、多くの者は死を悟る。
クレアも、例外ではない。
「……では、どうぞ中へ。荷物は私がお持ちしましょう」
手を差し出すと、クレアは一瞬体を震わせた。
はっきりと見える、恐怖という感情。それでもクレアは、俺の手を取った。
細い指、手袋越しに感じる体温、浅い呼吸――――本物のクレアが、ここにいる。
ゲーム本編のブラン=ベルモンドに対し、俺の前世は、至って平凡な人生だった。
命を落としたのは、二十二歳のとき。就活に悩んでいた時期だった。
俺にはひとつ、ハマっていたものがあった。
『アンチェイン』――――つまりは、乙女ゲームをやり込むこと。
当時の俺は、初めてできた彼女を、年上のエリート商社マンに寝取られてしまったのだ。それから、俺は二度と恋人を取られないために、自己研鑽することにした。
幸い、俺には姉がいた。
レディのことはレディに訊くべし。早速姉を頼ると、予想外のアドバイスが返ってきた。
――――乙女ゲームでもやってみたら?
そこで紹介されたものが『アンチェイン』だった。
初めは、ずいぶんと苦戦した。男を攻略するなんて、どこに楽しみを見出せばいいか分からなかったからだ。しかも、作中に出てくる男たちは、眉目秀麗のエリートばかり。彼女を寝取った商社マンの顔が、嫌でも思い浮かぶ。
こんなもの、なんの役に立つのだ、と腹を立てる俺に、姉は言った。
「このゲームに登場する男は、女の理想像よ。彼らから学びなさい」
なるほど、ただプレイするだけでは駄目ということか。
それからというもの、攻略キャラたちの言動を、片っ端から分析した。
あるときは、キャラクターのプロフィールを暗記し、自分に足りないものを見つけたり。
またあるときは、セリフを暗唱し、抑揚のつけ方を学んだり。
すると少しずつ、最初は毛嫌いしていた男たちに対して、自然と愛着が湧くようになった。
そして、プレイ開始から半年後――――俺は立派なオタクに成長していた。
推しは人気キャラ、リンゼル=スイーテニア。
いずれ国を背負う王子であり、文武両道の美丈夫。第一印象は、絵に描いたような聖人君主といったところ。しかし、物語が進むにつれ、彼の本当の人間性が明らかになる。
彼は、厳格な態度とは裏腹に、自分に自信がない、年相応の男子なのである。王子という肩書きは、果たして自分が背負うべきものなのかと、常に葛藤し続ける。
主人公は、そんなリンゼルをただの友人のように扱い、仲を深めていく。身分の違いなど、存在しないかのように。
リンゼルは、そんな主人公に惹かれ、幼い頃より決まっていた許嫁との婚約を解消し、主人公を妻に選ぶ。
身分を超えた愛とは、いつだって心が躍るものだ。俺も、そういった話が大好きだった。
ただ、ひとりの少女――――クレア=ハートレインの不幸さえなければ。
クレアは、リンゼル=スイーテニアの元婚約者であった。
王族に嫁ぐということは、クレアにとってのすべてだった。両親からもそう言われてきたし、王族の妻として恥ずかしくないよう、血反吐を吐くような努力を重ねてきた。
それが、婚約破棄によって、すべてを失った。
今までの努力も、これからの幸福も、家族からの愛情も、なにもかも。
クレアの最期は、目も当てられないほど、悲惨なものであった。
俺は、そんなクレアの人生に、自分を重ねてしまった。
初めてできた彼女。愛想を尽かされないよう、自分磨きも、話題探しも、アルバイトも、彼女のためならなんでも全力でやった。
そんな矢先、愛しの彼女は、いつの間にか他の男に愛を囁いていた。
クレアと比べれば、小さな失敗談なのは百も承知。しかし、俺にはクレアの気持ちが、誰よりも理解できた。
だから、恋をした。推しという言葉では、量れないこの気持ち。
それはまさしく、ガチ恋だった。
彼女がもし現実にいたら、必ず幸せにすると、夜空を見上げて誓ったこともある。
この世界は、執着にも似た、俺の深い愛情が、神に届いた結果なのかもしれない。
そして、何故かこうしてブラン=ベルモンドとして転生したわけだが、当然、自分が〝鬼畜貴族〟と呼ばれていることは知っている。しかし、それはでたらめである。
ベルモンド家の悪名は、代々続いていた。それを、俺も背負うことになってしまっているというだけだ。
それを知っているのは、我が家の使用人、そして数少ない領民だけである。
そこに、クレアが加わるかどうか……それはまだ、少し先の話。




