02-01:日常編「相互補完関係の実証実験 (ケーススタディ)」
論理的証明において、理論 (セオリー) だけでは不十分だ。どれほど美しい数式も、それが現実の現象を説明できなければ、ただの記号の羅列に過ぎない。
ゆえに、次に提示すべきは「具体例 (Example) 」である。
我々がいかにして日常という戦場で互いを補完し合い、生存確率を高めてきたか。その実証データ (エビデンス) を、ここに開示する。
◇ ◇ ◇
現在。全校集会の壇上。
俺の「理由」に関する説明が終わり、マイクは天道まなかの手に渡っていた。
彼女は深呼吸を一つすると、少し震える手でマイクを握り直した。
その瞳には、先ほどまでの怯えはない。隣に俺がいるという事実が、彼女の最強のバフ (強化魔法) となっているようだ。
「えっと……具体例って言われても、ちょっと恥ずかしいんですけど……」
まなかが頬を染めながら口を開く。
会場の空気が少し緩む。冷徹な論理で攻め立てた俺とは対照的に、彼女の人間味あふれる態度は聴衆のガードを下げる効果がある。計算通りだ。
「でも、リクくんが……あ、市井くんが、私にとってどれだけ大切な存在か、みんなに知ってほしいから、話します!」
彼女は客席に向かってニッコリと微笑んだ。
その瞬間、男子生徒の半数が即死 (ときめき死) したのが見えた。
やれやれ、広範囲攻撃 (Area of Effect) 持ちは厄介だ。
「例えば……そう、先月の期末テストの時のこと!」
まなかが指を立てる。
俺の脳内アーカイブから、該当ファイルが瞬時に検索される。
ファイル名:『地獄の缶詰合宿』
重要度:Sランク
あれは、我々の関係性が「ビジネスパートナー」から「生活共同体」へとシフトする契機となった、記念すべき (そして忌まわしき) 事件だった。
◇ ◇ ◇
時間を、一ヶ月前へと巻き戻そう。
六月の期末テスト一週間前。
放課後の生徒会室――もとい、我々の秘密基地である「文芸部 (仮) 」部室にて。天道まなかは、机に突っ伏して死体と化していた。
「……終わった。私の人生、ここで終了 (エンド) です……」
彼女の口から魂が抜けていくのが見える。
俺はパイプ椅子に座り、赤ペンを走らせていた手を止めた。
「状況を報告しろ。簡潔にな」
「数学……赤点確定……」
「ほう」
「物理……即死級ダメージ……」
「なるほど」
「現代文……だけは、リクくんのおかげでS評価なんだけど……」
彼女はむくりと起き上がり、涙目で俺に訴えかけてきた。
「今回のテスト、平均八〇点を下回ったら、親から生徒会長辞任命令が出るの! そしたら、小説を書く時間も没収されちゃう!」
天道家は厳格な家柄だとは聞いていたが、そこまでとは。
「自業自得だ。先週、俺が『テスト勉強にリソースを割け』と忠告したはずだ。君はそれを無視して、新作の魔法設定 (マナ・システム) の構築に熱中していた」
「だって! 設定が降りてきちゃったんだもん! クリエイターにとってインスピレーションは生鮮食品なの!」
「だが、その結果がこの惨状だ」
俺は、彼女が広げていた数学の教科書を取り上げた。
ほぼ新品だ。書き込み一つない。
「……これはひどいな。二次関数のページが、ただの白い紙に見える」
「ううっ……リクくん、助けて……私を論理的に救済して……」
まなかは俺の腕にしがみついてきた。
上目遣い。潤んだ瞳。
この攻撃 (チャーム) に対する耐性は、まだ完全には獲得できていない。
俺は小さく息を吐いた。
「……仕方ない。緊急救済措置 (ベイルアウト) を実行する」
「本当!?」
「ああ。ただし、スパルタだぞ。俺の計算通りに動けば、赤点回避どころか、トップ一〇入りも不可能ではない」
「ついていきます、マイ・マスター!」
「その呼び方はやめろと言っている」
こうして、放課後の勉強会が決定した。
場所は、最も集中できる環境――すなわち、天道まなかの自室である。
……訂正する。これは俺の論理的判断ミスだったかもしれない。
生徒会長の部屋、という響きから、俺は整理整頓された書斎のような空間を想像していた。
だが、現実は違った。
放課後、彼女が住む天道家の豪邸の門をくぐり、通された部屋。
そこは、カオス (混沌) の坩堝だった。
ピンク色のカーテン、フリルのついたベッド。
そこまではいい。女子高生らしい。
問題は、壁一面に貼られた怪しげなメモと、床に散乱する資料の山だ。
『魔界転生ルートA』
『禁断の呪文詠唱破棄について』
『リクくんとの妄想デートコース案 (未定) 』
……ん?
最後の一つは見なかったことにしよう。
「あはは……ごめんね、散らかってて……」
まなかは慌てて床の上の「黒歴史」をベッドの下に蹴り込んだ。
「……情報の洪水だな。これでは脳のメモリを無駄に消費する。まずは環境整備からだ」
俺は腕まくりをした。
勉強を教える以前に、この部屋の「ノイズ」を除去しなければならない。
それから一時間。
俺の指揮のもと、部屋の片付けが行われた。
不要な設定資料は箱に封印。
怪しいポスターは一時的に裏返し。
ようやく机の上が「勉強スペース」として機能する状態になった頃には、二人とも軽く汗をかいていた。
「ふぅ……リクくんって、お母さんみたい」
「俺はマクロ管理を行っているだけだ。さて、始めるぞ」
俺は彼女の隣に椅子を持っていき、座った。
距離が近い。
彼女の体温と、甘い香りが漂ってくる。
俺は平静を装い、数学のノートを開いた。
「まず、君の敗因を分析する。君は数字を『記号』として捉えているから拒絶反応が出るのだ」
「だって、xとかyとか、意味分かんないんだもん。人生の役に立つの?」
「立つ。……いいか、視点を変えろ。これをお前の得意な『物語』に変換するんだ」
「物語?」
まなかがキョトンとする。
俺はノートに二次関数のグラフを描いた。
「この放物線を見てみろ。これはただの線ではない。お前の小説における、主人公の『魔力放出軌道』だ」
「えっ」
「頂点 (p, q) は、魔力が最大出力に達する臨界点だ。そして、このX軸は『時間』、Y軸は『敵との距離』を表している」
まなかの目が輝き出した。
「な、なるほど……! つまり、この解の公式を使えば、敵に必中する魔法の角度が計算できるってこと!?」
「その通りだ。判別式D>0なら敵に二回ヒットする。D=0ならクリティカルヒット一回。D<0なら攻撃は外れる (解なし) 」
「すごい! 分かりやすい! 解ける! 私、天才かも!」
彼女は猛然とペンを動かし始めた。
ツボにハマればもう止まらない。ノリノリだ。「くらえ、判別式ブレイク!」などとブツブツ言いながら問題を解いていく姿は、傍から見れば狂気かもしれない。だが結果として正解率は飛躍的に向上した。
物理も同様のアプローチで攻略した。
運動方程式F=maは、「攻撃力=体重×加速スキル」。
エネルギー保存の法則は、「魔力変換効率の等価交換」。
俺の翻訳 (トランスレーション) 能力と、彼女の妄想 (イマジネーション) 能力が化学反応を起こし、学習効率は通常時の三〇〇%を記録した。
夜の八時。
休憩の合図として、まなかの母親が夜食を持ってきた。
高級フルーツの盛り合わせだ。
「あらあら、まあまあ。まなかちゃんが男の子を部屋に入れるなんて……お母さん、感激だわ」
お母様、誤解です。感激しないでください。
「もう、お母さん! リクくんは私の……その、大事な……編集者なんだから!」
「へんしゅうしゃ? まあ、新しい彼氏の呼び名かしら? ウフフ」
母親が去った後、まなかは顔を真っ赤にして俯いた。
「……ごめんね。お母さん、勘違いしやすくて」
「気にするな。誤解されるのは慣れている」
俺はフルーツのメロンをフォークで刺した。
まなかが、じっと俺の手元を見ている。
「……あーん、して」
「は?」
「だって、脳が疲れて手が動かないの。リクくんが責任取ってエネルギー補給させて」
無茶苦茶な理屈だ。
だが、今の彼女は頑張った。その成果に対する報酬は必要だろう。
俺はため息をつきつつ、メロンを彼女の口元に運んだ。
彼女はパクっとそれを食べ、とろけるような笑顔を見せる。
「ん~! おいしい! リクくんの味がする!」
「メロンの味だ。味覚障害か?」
「心の味覚だよ! ……ありがとね、リクくん。私、こんなに勉強が楽しいって思ったの初めて」
彼女は真面目な顔に戻り、俺を見つめた。
「私一人じゃ、絶対無理だった。リクくんがいると、難しい数式も、全部キラキラした物語に見えてくるの。魔法使いみたい」
「……俺はただ、情報のエンコード (変換) を行っただけだ」
「ううん。リクくんは、私の世界を広げてくれる魔法使いだよ」
その言葉を聞いた時、俺は不覚にも照れてしまった。
論理で武装した俺の心に、彼女の純粋な感情 (パッション) がダイレクトアタックを決めてくる。
俺は眼鏡を押し上げ、視線を逸らした。
「……休憩終了だ。次は歴史だ。年号を『魔王の在位期間』に置き換えて暗記するぞ」
「イエス、マイ・マスター!」
結果として、彼女は期末テストで学年三位という快挙を成し遂げた。
数学に至っては満点だ。
この実績により、彼女の生徒会長としての地位は盤石となり、同時に「文芸部 (仮) 」の活動も黙認されることとなった。
これが、我々の相互補完関係の証明の一つ目である。
◇ ◇ ◇
現在。
まなかの語りが一段落する。
「……というわけで、リクくんのおかげで、私は数学という強敵 (ボス) を倒すことができたんです!」
会場から「おおーっ」という感嘆の声が上がる。
具体的なエピソードの力は強い。
特に「放物線を魔法の軌道に例えた」というくだりは、生徒たちの笑いと共感を誘ったようだ。
俺は補足のためにマイクを握る。
「訂正しておくが、彼女の元々のポテンシャルが高かっただけだ。俺はきっかけを与えたに過ぎない。……だが」
俺は少し言葉を濁し、横目でまなかを見る。
「彼女が言う『相互補完』という点については、否定しない。俺もまた、彼女に教える過程で、無味乾燥な数式の中に『物語』を見出すという、新たな視点 (パースペクティブ) を獲得したからだ」
これは本心だ。
彼女との勉強会は、俺にとっても発見の連続だった。
論理だけでは見えない世界があることを、彼女は教えてくれた。
「さて、次の事例に移ろう。日常における補完関係は証明された。次は、非日常――すなわち『トラブル』における我々の連携についてだ」
俺は次のスライド (脳内) をめくる。
我々の絆を語る上で外せないエピソード。
正直なところ、いろいろあった。
文化祭準備期間中に発生した、予算配分を巡る泥沼の抗争。
泣き虫な生徒会長と、冷徹な影の参謀の暗躍。
予測不能なバグとエラーが頻出した「文化祭の乱」など。
そういった中で、際立った重大事。
まなか自身に迫った危機への、奇跡的な解決 (デバック) 。
彼女は、俺に微笑んでみせ。
再び、俺たちの恋路を傾聴する全校生徒に向き合った。
-つづく-




