01-03:カモフラージュの必要性と、論理的帰結としての恋人関係
嘘とは、情報の隠蔽工作ではない。それは状況を最適化するための、一種の「パラメータ調整」である。
特に、守るべき真実が、社会的死をもたらす劇薬である場合。嘘は唯一無二の防護壁となる。
◇ ◇ ◇
五月の中旬。我々の秘密結社「文芸部 (仮)」の活動は、危機的状況に陥っていた。
学園内での目撃情報が多すぎたのだ。
放課後の空き教室、休日のカフェ、そして下校時の並列歩行。傍から見れば、学園のアイドルと陰キャのモブが常に一緒にいるという異常事態。
当然、風紀委員会と生徒会の一部が動き出す。
そして、ついに呼び出しが掛かった。
場所は、生徒指導室。
目の前には、眉間に深い皺を刻んだ生活指導の教師・鬼瓦と、副会長の早乙女が座っている。
俺と天道まなかは、並んでその対面に座らされていた。
空気は重い。湿度九〇%の不快指数。
「……単刀直入に聞くぞ、市井、天道」
鬼瓦先生が低い声で唸る。
「お前たち、最近二人きりで何をしている? 不純異性交遊の疑いが掛かっていることは知っているな?」
隣で、まなかがビクリと体を震わせた。
彼女の顔色は悪い。無理もない。彼女にとって「生徒会長」という立場は、親や周囲からの期待の結晶であり、絶対に汚してはならない聖域だ。
もしここで、「実は中二病全開の小説を書いていて、彼に添削してもらっていました」と言えば、不純異性交遊の疑いは晴れるかもしれない。
だが、その代償として彼女は「痛い女」というレッテルを貼られ、社会的死 (ソーシャル・デス) を迎える。
彼女の震える手が、膝の上で握りしめられている。
助けを求めるように、チラリと俺の方を見た。
「会長、正直に言ってください」
副会長の早乙女が、猫撫で声で追撃する。
「もし、こいつに何か弱みを握られているなら、僕が助けます。脅されているんですよね? そうじゃなきゃ、天道様がこんな陰気な男と……」
早乙女の視線が俺を突き刺す。
明確な敵意。そして侮蔑。
状況を整理しよう。
選択肢は三つ。
A:真実 (小説執筆) を話す。 → 回避不可能 (バッドエンド) 。まなかの尊厳が消滅する。
B:黙秘、あるいは「ただの友達」と主張する。 → 証拠不十分で逃げ切れる可能性はあるが、疑惑は晴れない。今後、監視が強化され、執筆活動 (編集会議) は物理的に不可能となる。
C:……第三の選択肢 (サード・オプション) 。
俺は脳内で高速シミュレーションを行う。
目的関数は「まなかの尊厳を守り」、かつ「今後も堂々と二人で会える環境を確保する」こと。
この二律背反を解決するソリューションは、一つしかない。
毒を以て毒を制す。
疑惑を、より強固な「既成事実」で上書きするのだ。
俺は眼鏡の位置を直し、ゆっくりと口を開いた。
「……先生、そして副会長。訂正させていただきたいことがあります」
「なんだ、言い訳か?」
「いいえ。前提条件の修正です。『不純』という定義についてですが」
俺は隣のまなかの手を、机の下でそっと握った。
まなかが「ひゃっ」と小さな声を上げる。
俺はそのまま、彼女の手を握りしめ、二人の間に引き寄せた。
そして、教師の目を真っ直ぐに見据えて宣言した。
「俺たちは、真剣に交際しています」
室内が、真空状態になったかのように静まり返った。
鬼瓦先生の口がポカンと開く。
早乙女副会長は「は……?」と声を漏らし、石像のように固まった。
そして何より、隣のまなかが一番驚いていた。目が飛び出さんばかりに見開かれている。
三人の反応を他所に、俺は畳み掛ける。
「放課後に二人でいるのはデートです。空き教室を使うのは、周囲の目が気になり、二人だけの時間を確保したかったからです。思春期の男女における健全な交際活動であり、校則に抵触するような『不純』な行為は一切行っていません。……ですよね、まなか?」
俺は彼女の名前を、初めて呼び捨てにした。
これが合図 (サイン) だ。話を合わせろ。
まなかは一瞬、パニックで白目を剥きかけたが、さすがは生徒会長。土壇場でのアドリブ力 (というか妄想への順応力) は高かった。
「は、はいっ! そ、そそそ、そうなんです!」
彼女は顔を真っ赤にして叫んだ。
「わ、私たちが……その、愛を育んでいるのは事実で……リク……くんとは、その、清いお付き合いを……!」
嘘ではない。顔が赤いのも、動揺しているのも本物だ。それが逆にリアリティを生む。
「そ、そんな……嘘だ……」
早乙女が崩れ落ちる。
まなかが、俺のような陰キャと交際している。
その言葉がよほど、受け入れ難いのだろう。
「天道様が……こんな男と……嘘だと言ってくれ……」
「事実です」
俺は冷徹にトドメを刺す。
「プライバシーの観点から公表は避けていましたが、これ以上疑われるのであれば、公言せざるを得ません。我々は恋人同士です。文句ありますか?」
結果として、我々は無罪放免となった。
鬼瓦先生からは「まあ、学生の本分を忘れないように、節度を持って付き合うなら……」という、歯切れの悪い許可を得た。
早乙女は魂が抜けたように真っ白になっていた。
生徒指導室を出て、校舎裏のベンチまで歩いた。
そこが限界だったのだろう。まなかが、へなへなと座り込んだ。
「死ぬかと思った……」
「任務完了だ。これで最悪の事態は回避した」
俺はハンカチで額の汗を拭った。脇汗もひどい。IQを一〇〇くらい消費した気分だ。
まなかが潤んだ瞳で俺を見上げてくる。
「あ、あのさ、リクくん……さっきの……」
「ああ、あれか」
俺は努めて事務的に答える。
「論理的カモフラージュ (Logical Camouflage) だ。恋人という設定 (ロール) を被ることで、我々の密会に社会的正当性を付与した。これで今後、どれだけ二人でいても『デートだから』で押し通せる」
「……設定?」
「そうだ。あくまで対外的なカバーストーリーだ。君の『小説執筆』という秘密を守るための、最強の盾となる」
完璧な論理だ。これ以上の解決策はない。
だが、まなかは少しだけ唇を尖らせた。
「……そっか。設定、かぁ」
「不服か?」
「ううん! すごいよリクくん! 天才! 私、感動しちゃった! 『愛の逃避行』みたいでドキドキした!」
彼女はすぐにいつもの明るさを取り戻し、立ち上がった。
「じゃあ、これから堂々とデート (編集会議) できるってことね!」
「そういうことになる。ただし、疑われないために、人前では恋人らしい振る舞い (演技) を要求されるが」
「演技! 任せて! 私、女優もいける口だから!」
こうして、我々の「偽装交際」が始まった。
しかし、俺はこの時、重要な変数の計算ミスを犯していた。
「演技」と「現実」の境界線は、思ったよりも脆いということを。
翌日の放課後。
我々は「既成事実作り」のために、駅前のカフェにいた。
当然、周囲には同じ学校の生徒もチラホラいる。
テーブルの上には、パンケーキと、まなかの新作プロット。プロットは他人には見せられないので、ダミーの参考書に挟んであるが。
「ほら、リクくん。あーん」
まなかがフォークに切ったパンケーキを刺し、俺の口元に突き出してくる。
「……必要か? これ」
「必要よ! 斜め後ろに早乙女くんのスパイ (サッカー部員) がいるわ! ラブラブなところを見せつけないと!」
彼女は小声で囁きながら、満面の笑みを作る。
俺は観念して口を開けた。
甘いクリームと、ふわふわの生地。
「おいしい?」
「……糖分過多だが、悪くない」
「えへへ」
まなかは自分のフォークをそのまま使い、パクっとパンケーキを食べる。
間接キス。
その事実に気づいた瞬間、俺の心拍数が跳ね上がった。
ドクン、と胸が鳴る。
これは演技だ。カモフラージュだ。論理的帰結だ。
脳内で呪文のように繰り返す。だが、目の前でクリームを口につけて笑う少女の姿が、網膜に焼き付いて離れない。
執筆作業中、彼女が思考に行き詰まり、俺の肩に頭を預けてきた時もそうだった。
「んー、眠い……五分だけ肩、貸して……」
彼女の髪の匂い。
体温。
規則正しい寝息。
肩にかかる心地よい重み。
俺はキーボードを打つ手を止め、彼女の寝顔を見つめた。
普段は完璧な生徒会長。
中身は残念な中二病作家。
そして今、俺の隣で無防備に眠る一人の女の子。
彼女を守りたいと思ったのは本当だ。
だがそれは「編集者としての義務感」だけだったのか?
あの生徒指導室で、彼女の手を握った時。
俺の中にあったのは、「論理的な計算」だけだったのか?
否。
認めざるを得ない。
俺のシステム (心) には、深刻なバグが発生していた。
計算外の変数。論理では説明できないエラーコード。
それを世間では「恋」と呼ぶらしい。
俺は、その非論理的な単語をまだ認めたくなかった。
だが、事実は事実だ。
最初は「嘘」だった。
秘密を守るための「カモフラージュ」だった。
しかし、偽りの関係を演じ、彼女の孤独や弱さに触れ、その笑顔を一番近くで見ているうちに、嘘が真実に侵食されていったのだ。
俺は眠る彼女の前髪を、そっと指で払った。
「……手のかかるクライアントだ」
独り言は、カフェの雑音に紛れて消えた。
だが、俺の決意は固まっていた。
この関係がどのような理由 (Reason) で始まったにせよ。今、俺が彼女の隣にいたいと願っているのは、俺自身の意志 (Will) であると。
◇ ◇ ◇
そして、現在。全校集会の壇上。
俺は第一章の締めくくりに入る。
「以上が、我々が交際関係にあるという『結論』に至った『理由』のすべてである」
俺は会場を見渡す。
生徒たちの表情は、呆れから感心、そして一部は羨望へと変わっていた。
俺たちが積み上げてきた時間の重みは、たとえきっかけが偶然や嘘であったとしても、否定できるものではない。
「最初は事故だった。次は契約だった。そして最後は、必要に迫られたカモフラージュだった」
俺は言葉を切り、隣に立つまなかの手を取り、高く掲げた。
「だが、論理的なプロセスを経て構築されたこの関係は、今や感情という補強材を得て、何よりも強固なものとなっている」
まなかが俺を見つめる。その瞳はもう泳いでいない。
彼女もまた、覚悟を決めた顔をしている。
「ここまでが『理由 (Reason) 』である。だが、君たちはまだ疑っているだろう? 言葉だけならいくらでも飾れる、と」
俺は不敵に笑った。
「ならば次は、『具体例 (Example) 』を提示しよう。俺たちがどれほどの密度で時間を共有し、互いを補完し合っているか。その実例を知れば、ぐうの音も出なくなるはずだ」
俺の宣言に呼応するように、まなかがマイクに近づいた。
彼女の番だ。
俺が構築した論理 (骨組み) に、彼女が実例 (肉) 付けをする。
さあ、見せつけてやろう。
最強の「陰キャ×生徒会長」カップルの実力を。
-つづく-




