00-01:我々の交際の真実性、及び相思相愛の提示
結論から言おう。
今、この瞬間の状況は、俺の人生において最大のエラーである。
かつ、早急に修正パッチを当てなければならない致命的なバグである。
場所は、俺が通っている学園の体育館。
時刻は、六月の蒸し暑い午後の五時間目。
全校生徒約八百名の視線は、壇上に立つ一人の男子生徒――すなわち俺、市井理屈 (いちい・りく) に注がれている。その視線に含まれる成分を分析するならば、殺意が三〇%、蔑みが四〇%、そして残りの三〇%は「なんであんなモブがここにいるんだ?」という純粋な困惑だろう。体育館の床を叩く上履きの音、ざわめき、そして湿気を含んだ熱気。それらが俺の肌を不快に撫で回す。
そして、俺の隣にはもう一人、この場の主役がいる。
天道まなか。
この学園の生徒会長にして、全男子生徒の憧憬の的。偏差値七〇オーバー、スタイル抜群、家柄良し。神が二物どころか三物も四物も与えすぎて、余ったパーツで俺を作ったんじゃないかと疑いたくなるほどの完璧超人。
彼女は今、マイクスタンドの横で、その白く美しい顔を蒼白にし、小刻みに震えている。
可憐だ。
実に可憐なのだが、俺だけは知っている。彼女が震えている理由は、全校生徒の前で吊るし上げられている恐怖からではない。
「 (……ど、どうしようリクくん。このシチュエーション、新作の第三章『断罪のロンド』と丸かぶりなんだけど……! これって、私の妄想が現実を侵食し始めたってこと!? 私、ついに能力 (チカラ) に目覚めちゃった!?) 」
そんな電波を受信しているからだ。しかも小声かつ早口で口にしている。
俺は小さく溜息をつく。
やれやれ、相変わらず論理的ではない。
事の発端は、学園エントランスの掲示板に貼り出された一枚の写真だった。
放課後のカフェで、俺と天道まなかが密会している現場を盗撮したものだ。
画角は粗いが、天道まなかが俺の手を握り、潤んだ瞳で何かを訴えかけている様子がはっきりと写っていた。
一般生徒の解釈はこうだ。「学園の至宝である天道様が、陰気なモブ男に弱みを握られ、脅迫されているに違いない」。
あるいは、「あの男が何らかの卑劣な罠を仕掛けた」。
まさか、「小説のプロットが行き詰まって死にそうな天道まなかが、俺にアイディアの提供を懇願し、俺がそれを論理的に却下している場面」だとは、誰一人として想像できないだろう。
結果として、緊急全校集会という名の異端審問が開かれることになった。
そんなことで全校生徒を集めるなど非合理にも程がある、と思うのだが。実際にはこうして全校集会が開かれ、議題となる人物である俺とまなかは、生徒たちの視線の前にさらされている。
そして、この集会の発起人と言うべき人物が、同じく壇上でマイクを握っている。生徒会の副会長を務める男子生徒。サッカー部のエースで、爽やかイケメン。天道まなか親衛隊の筆頭でもある彼は、正義の味方のような顔をして、マイクを通して俺を糾弾する。
「市井理屈君。君が天道会長に対して行っている不適切な行為について、弁明はあるか? もし脅迫の事実があるなら、素直に認めて退学するべきだ」
体育館に響く声。それに同調するように、フロアからは「帰れ!」「天道様を解放しろ!」という罵声が飛ぶ。
感情論だ。
すべてが感情論で構成されている。
俺は眼鏡の位置を人差し指で押し上げながら、平常心を保つ。
そして、脳内のCPUをフル回転させる。
この場の目的 (ゴール) は何か。
俺の身の潔白を証明すること? 否。
天道まなかの社会的地位を守ること?
それも一部正解だが、本質ではない。
真の目的は、「俺と天道まなかの関係性を、この非論理的な集団に『納得』させ、かつ今後の平穏な交際 (および執筆サポート) 環境を確保すること」である。
感情に対して感情で返しては泥沼だ。「やってない」と言えば「嘘つき」と言われる。「愛し合っている」と言えば「嘘乙」と笑われる。
ならば、使うべき武器は一つしかない。
論理 (ロジック) だ。
俺は、ネット小説界隈で「ロジカル・カッター」として恐れられる冷徹な編集者としての顔を、今ここで、現実世界 (リアル) にインストールする。
俺は一歩、前に出た。
隣でまなかが「ひっ」と息を呑む。
副会長が勝ち誇ったように笑う。
「やっと罪を認める気になったか?」
俺は彼の手からマイクを奪い取ると、スイッチが入っていることを確認し、二回、指で叩いた。
ボン、ボン。
不快な低音がスピーカーから流れ、ざわめきが一瞬だけ凪ぐ。
その静寂の隙間を、俺は逃さなかった。
「結論(Point)から言おう」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、平坦で、そしてよく通った。
感情の起伏を削ぎ落とした、情報の伝達のみに特化した声。
「俺、市井理屈は、天道まなかの彼氏である」
瞬間、時が止まった。
体育館にいる八百人の脳が、入力された情報を処理しきれずにフリーズする。トラブル発生を知らせるビープ音のようなものが聞こえた気がした。
隣のまなかも、口を半開きにして固まっている。そこはヒロインとして「きゃっ」とか言うべき場面だが、彼女の脳内では今頃、『第三章:驚愕の公開処刑』という見出しが踊っているに違いない。
「は……?」
最初に再起動を果たしたのは、副会長だった。
「な、何を言っている? ふざけるな! そんな妄言が通用するとでも――」
「妄言ではない。事実だ」
俺は副会長の言葉を遮り、淡々と言葉を継ぐ。
「今、君たちは思考のショートを起こしている。無理もない。学園カースト最上位の天道まなかと、測定不能 (圏外) の俺。この二者の結合は、君たちの持つ『青春の方程式』においては解なし、あるいは計算エラーとして処理される事象だからだ」
壇上を見上げる生徒たちから様々な怒号が飛び始める。
「そうだ!」「鏡を見ろ!」などなど。
だが、俺は動じない。ノイズはフィルタリングすればいい。
「静粛に。プレゼンテーションはまだ始動 (ブート) したばかりだ」
俺は視線を体育館全体に巡らせる。
これだけの人数を相手にするのは初めてだが、画面の向こうの有象無象 (ネットユーザー) を相手にするのと大差はない。
要は、いかに簡潔に、反論の余地のない論理を積み上げるか。
俺の生きる指針、コミュニケーションの最適解。
PREP法。
Point (結論) 、Reason (理由)、Example (具体例)、Point (再結論)。
このシンプルなフレームワークさえあれば、どんな理不尽な現実も、カオスな設定の厨二病小説も、整理整頓することができる。
「今から、我々の交際における『必然性』と『正当性』を証明する。感情論は捨てて聞いていただきたい」
俺は空いている左手を、横にいるまなかの方へ差し出した。
まなかはビクリと肩を震わせたが、俺の意図を察したのか、あるいは単に条件反射か、おずおずとその白い手を俺の手のひらに重ねた。
指が冷たい。
緊張している証拠だ。
俺は彼女の手を、壊れ物を扱うように優しく、しかし離さないという意志を込めて強く握りしめた。
体育館に、悲鳴に近いざわめきが走る。
俺は気に留めず、それをBGMにして思考を加速させる。
なぜ、俺たちは付き合っているのか。
それは「好きだから」という曖昧な言葉では説明がつかない。
もっと構造的で、機能的で、そして運命的な理由が存在する。
彼女には、完璧な外面の内側に隠された、巨大な欠落がある。
俺には、空虚な日常の中に燻る、何かを完成させたいという渇望がある。
凸と凹が噛み合うように。
パズルのピースが嵌まるように。
俺たちは出会うべくして出会い。
契約を結び。
そして、いつしかそれが代替不可能な愛着へと変質した。
それを今、ここで言語化する。
俺のような日陰者が、太陽である彼女の隣に立つ資格があるのか。
その問いに対する答えをつまびらかにする。
論理という名のメスで切り出し、白日の下に晒すのだ。
「聞いてくれ、全校生徒諸君。そして、もしこの世界を物語として観測している誰かがいるならば、その者たちへ」
俺はマイクに唇を寄せ、宣言する。
「これより、俺と天道まなかの関係性についての論理的証明を開始する。――理由は、単純だ」
俺は一呼吸置き、隣で顔を真っ赤にして俯く、世界で一番手のかかる、そして世界で一番愛しい「作家」を見下ろした。
彼女の、俺の手を握り返す力が少しだけ強くなった。
それが、ゴーサインだ。
「彼女の物語 (人生) を執筆し、編集できるのは、世界広しといえども、俺一人しかいないからだ」
さあ、プレゼンの時間だ。
感情と偏見に満ちた、この学園という舞台。
そこで俺たちのロジックがどこまで通用するか。
徹底的に論破してやろうじゃないか。
俺は息を吸い込み、頭脳に空気を回してクールさを保つ。
次なるフェーズ、「理由 (Reason) 」へと移行するための準備を整えた。
-つづく-




