肆
「花ちゃ」
「はい、埃とれたよ」
にっこり笑って椅子に戻る。遊君は「ほこり?」とまぬけな声をだした。
「お酒飲んでないのに顔が赤いね」
「ちょっと待って。花ちゃん、俺は」
「お待たせしました! 生二つです!」
空気を裂くようにテーブルへジョッキが置かれた。黄金に輝くビールには、純白の泡がのっている。
「とりあえず飲まない?」
早く喉を潤したかった私は、まだ話したそうな遊君を遮った。
「そう、だね。まずは飲むか」
「じゃ、かんぱーい!」
勢いよくジョッキを口に傾ける。なめらかな泡の舌触りと麦の香ばしさが広がる。そのあと間をあけずにキンと冷えた苦味がやってきて、身体のすみずみまで染みわたっていく。水を飲むより涼しさを感じるのはなぜだろう。喉を三回鳴らしてひと息ついた。
「おいしい! あ、そういえば遊君なにか言いかけてなかった?」
「花ちゃんってマイペースだよなぁ。でも嫌いじゃないけどね。花ちゃんに振り回されるの」
「振り回してなんかないよ」
そんなつもりはないが、遊君が私のことを気にするようにはしているつもりだ。必ず目を見て話す、さり気なく触れる、彼が好きな容姿で来る。
遊君はいつも私への好意を滲ませているけれど、まだ、だめだ。
「でも気をつけてね。花ちゃんみたいに可愛い子はさ、悪い奴に目をつけられるかもしれない」
「悪い奴って?」
「人の欲につけこむ恐ろしい奴だよ」
「もしかして、また霊媒師さんの幽霊の話?」
遊君は知り合いの霊媒師から聞いたという心霊話をよくする。私の怖がる様子を楽しみたいらしい。一応、期待通りの反応をしてあげるが、彼はそれが演技だということを知らない。幽霊の話なんて私はなんとも思わない。
遊君はビールをひと口飲み、「あるところに、日々に疲れた会社員の女性がいました」と話し始めた。
「なんだか夢のない始まりだね」
女性はとても忙しい人だった。
早朝にマンションを出て、人々が寝静まったころ帰ってくる。いわゆる社畜だ。その日は大切な仕事の納品日。なんとか業務を終えたが、すでに終電の時間だった。
ぎりぎりだけど納期に間に合ってよかった。明日は休みだし、アラームをかけずに寝よう。
そんなことを考えながら、暗い夜道を歩いていた。すると街灯に照らされた地面に影が見えた。最初は気にしていなかったが、近づくにつれその影は大きくなっていく。女性は怖くなり道の端を歩いた。ついに影の横を通り過ぎる。しかしその瞬間彼女は驚いた。人が倒れていたのだ。
辺りを見回すが自分以外には誰もいない。意を決し近づく。
「大丈夫ですか」
呼びかけに返事はない。恐る恐る手を伸ばし、倒れている人の肩に触れた。
「あの、大丈夫ですか」
身体をゆすり呼びかけると呻くような声がした。
「大丈夫ですか!? 私の声が聞こえますか!」
女性は力いっぱい呼びかけた。まだ意識がある。すぐに救急車を呼べば助かるかもしれない。
「うるさいなぁ」
「え?」




