壱
ジョッキに三分の一残っていたビールを、遊君は一気に飲み干した。
「飲んだあとこうやってジョッキに泡が残るじゃん? この泡のことをなんていうか知ってる?」
空になったジョッキの内側に、輪っかのような泡の跡がいくつも付着している。等間隔に並ぶ輪は、人工的な模様のようだ。
「知らない。名前があるの?」
遊君は唇の端を上げ、「エンジェルリングっていうんだ」と答えた。
「天使の輪? 可愛い名前だね」
大げさに反応してあげると、遊君はとても嬉しそうな顔をする。ほら、今も私の猫なで声に目が輝いた。
「でも、ただビールを飲めばリングができるわけじゃない。注ぐ前の準備が大切なんだ。ジョッキやグラスは綺麗に洗う、乾いたら拭き上げて埃をとる、ビールは適度に冷やす、上手に注ぐ、きめの細かい泡をのせる。この条件を揃えないとエンジェルリングはできない」
私のジョッキにも泡の跡がついている。遊君に比べ輪の間隔が一定ではなく、なんだか芸術点が低い。
「泡じゃなくて、下のビールを飲むのが綺麗なリングを作るコツだよ。あとは毎回同じ量を口に含めばOK」
「うーん……天使って条件厳しいね」
フライドポテトの塩気を舌に感じながら、ごく、ごく、ごく、とビールを喉の奥へ流し込んだ。「いい飲みっぷり!」と少し顔の赤い遊君が囃し立ててくる。楽しい時間を過ごすために来ているのだ。リングを気にしながら飲むなんて面倒くさい。
「そうなんだよ。天使は簡単に姿を見せない。でもこの条件は、ビールをおいしく飲むための条件でもある。だからここのお店は、きちんとビールに向き合っているって証明になるね」
やっぱりいい店だよなぁと遊君はしみじみ呟いた。
「遊君は本物の天使を見たことある?」
私はもちろんない。でも遊君は学生時代、オカルト研究会に所属していて霊媒師の知り合いがいるらしい。胡散臭い情報ではある。だけどそんな環境にいたのなら、万が一の可能性として訊いてみたくなった。
「ある」
その声はやけに澄んでいた。酔っ払いで騒がしい店内でもクリアに届く。遊君のアーモンド形の瞳が、真っ直ぐこちらを見つめている。
「いま俺の目の前にいるよ」
彼の緩んだワイシャツの襟元から、太い鎖骨がほんの少し顔を覗かせていた。じっと見ていると喉仏が上下した。
「ええ? なぁにそれ」
私はわざとらしく甘い声で笑っておいた。君は僕の天使だよ、というギャグなのか、もしかして本気のセリフなのか。実は僕には目の前にいる本物の天使が見えています、という特殊能力を打ち明けられたのか。遊君はいつも紛らわしい。冗談なのか本気なのか、判別が難しいのだ。
「なんか……自分で言って恥ずかしくなってきた」酔いと混ざり、遊君は首まで赤くなっていた。
こういう空回りをしているところ、人間臭くて可愛いと思う。夢を叶えるなら、やっぱり遊君がいい。




