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第一部 第一章 錦三丁目の夜

 名古屋駅前の煌びやかなビル群を過ぎ、錦通を東へと進んでいくと、どこか淫靡で猥雑な空気が漂いはじめる。スナック、キャバクラ、ホストクラブ――そして、誰にも知られたくない者たちが身を潜める裏の世界。名古屋・錦三丁目は、表向きの顔と裏の顔を併せ持つ夜の街だ。


 その一角に、ひときわ目立つ赤黒いネオンサインが灯っていた。


「Velvet -ヴェルヴェット-」


 ゲイバーというよりも、男色ホストクラブと呼ぶほうがふさわしいその店は、連夜、欲望と孤独を抱えた男たちで賑わう。


 店の奥のカウンター席で、滝川たきがわ れんは、ショートカットの美少年然とした容貌に濃い化粧を施し、毒々しい真紅のドレスシャツに黒のスラックスを纏って、グラスを弄んでいた。


「蓮ちゃぁん、もう一杯飲んでよぉ。俺、蓮ちゃんのこと、マジで……」


 隣で絡んでいるのは、40代半ばの太った中年男。顔は赤らみ、汗ばんだ額から加齢臭と香水の混ざった匂いが漂う。


 蓮は艶然と微笑み、男の膝に手を這わせる。


「じゃあ、ボトル入れてくれる?」


 甘ったるい声に、中年男は鼻の下を伸ばし、財布を取り出した。


 そんな光景は、今夜だけでも三度目だった。蓮は口元の笑みを消さずに、内心では吐き気を堪えていた。金のため。生きるため。名古屋の夜は、綺麗事じゃ食っていけない。


 ふと、視線の端に、ひとりの男の姿が映った。


 派手なスーツ姿の長身。漆黒の髪を撫でつけ、切れ長の目がギラリと光る。日暮ひぐらし 絢斗けんと


 この界隈で名前を聞かない者はいない。元ホストで、今はドラッグと売春を仕切る裏稼業の男。滅多にこの店には顔を出さない。


 絢斗の登場に、店内の空気が微かに緊張した。蓮は手馴れた動作で中年男の耳元に囁く。


「ちょっとだけ席、外していい?」


 男は酔いに任せてうなずいた。蓮はグラスを置き、絢斗のもとへと近づく。


「珍しいね、ここに来るなんて」


「仕事の話だ。裏の個室、空いてるか」


「……ついてきて」


 二人は奥のVIPルームへと入った。


 薄暗い照明。淫靡な空気。だが、絢斗はソファに腰を下ろすと、真面目な顔で切り出した。


「お前、『G-HAVEN』って知ってるか」


 その名を聞いた瞬間、蓮の背筋が凍った。


 『G-HAVEN』――名古屋の闇社会で都市伝説のように囁かれる、同性愛者専用の秘密クラブ。性的嗜好に関わらず、金とコネさえあれば参加できるが、その実態は拷問じみた性行為、薬物漬け、性奴隷取引が横行する地獄。


「……聞いたことはある。でも、関わる気はない」


「今夜、そこに呼ばれた。お前も来い」


「冗談じゃない、絢斗……俺を巻き込むなよ」


 だが、絢斗の瞳は凶悪な光を帯びていた。


「断れば、お前の過去をバラす。誰と寝て、誰をハメたか、全部だ」


 蓮は歯を食いしばった。名古屋で生きるには、誰もが秘密を抱えている。蓮にも消したい過去がある。それをこの男は掴んでいる。


「……場所は」


「今夜、2時。鶴舞の倉庫街だ」


 蓮は静かにうなずいた。

 

 それが、終わりの始まりだった。



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