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記憶喪失の聖女は、溺愛してくる侯爵閣下を盲目的に愛す

作者: 雨露みみ

 ──気がつけば、私はここに存在していた。


 どうしてここにいるのかはわからない。ただ『マリア』という自分の名前と、


「マリア、どうかしたのかい?」


 私に優しく声を掛けてくれる、この男性の事は分かる。

 

 ソファーに腰掛け俯く私の隣に、少し前屈みで座って。私の手を握るこの男性は『ルーク・レスター侯爵』。

 ウエーブのかかった金色の髪が美しく、その緑の瞳はエメラルドのよう。ただ黒いだけの私の色とは大違いだった。


「……マリア?」


 大柄な身を屈め、心配そうに私の表情を覗き込んでくる彼を安心させてあげたくて。ひとまず薄らと微笑みを作った。

 しかし、どうにも他に何も思い出せない私は、徐に口を開く。


「ルーク様……」

「何だい、私の可愛いマリア」


 先程まで私を心配そうに見ていた瞳は細められ、私に向けられるのは優しい笑み。鼻筋の通った美形が作り出す笑顔は、まるで神様かのようで……強張った私の心を溶かす。

 

 この人は信じていい人。


 ──どうしてか分からないが、私の本能がそう告げた。


「私は、何故ここにいるのでしょうか?」


 そう質問した瞬間に、私は後悔した。ルーク様の顔からは微笑みが消え、彼の全身から発せられているのは『絶望』の二文字。


「マ、リア……?」


 信じられないというように目が見開かれ、先程まで私の手を握っていた彼の手は開かれ、その温かみは去る。

 それが悲しくて、心細くて。どうしてそんな感情になるのか分からないけど、隣に座る彼の胸に縋りついた。

 

「ごめんなさい! あの……記憶が無くて、自分とルーク様のお名前くらいしか思い出せなくて」


 私は必死だった。この人にだけは捨てられたくない……そんな不安な気持ちが渦を巻く。

 

「……そうか」


 ルーク様は小さな声で呟くと、私の膝の裏を掬うように抱き立ち上がった。大柄な彼に抱えられると目線が高くなり少し怖い。


 そしてルーク様はこの部屋の窓に近寄って、シャッとカーテンを開けた。閉じ切っていた部屋に明かりが差し込んで、眩しい。思わず目を閉じる。

 体が少し傾けられたと思ったら、どうやら私を抱えたまま窓を開けたらしい。ふわっと優しい風が、私の腰まである長い髪を撫でた。


「この庭に見覚えは?」


 そう言われて目を開ければ、目の前には美しい庭園が広がっていた。噴水を起点として設計されているのであろうその庭には可愛いピンク色の花が目立つ。

 今自分が着ているドレスもピンクの小花柄なので、もしかしたら私の趣味が考慮されたものなのかもしれない。


 しかし、予想は出来ても記憶が蘇ることはない。


「とても美しいお庭だと思いますが……残念ながら見覚えはありません」


 私がそう言うとルーク様は「良かった」と安堵したような声を発した。……普通は逆だと思うので違和感を覚えたのだが、私がそれを口にする前に、ルーク様は言葉を続ける。


「では、私と恋仲にあった記憶は? それも忘れてしまったのか?」

「……ごめんなさい」


 (そっか。だから私は彼に捨てられたくなくて縋ったのね?)


 そして、それを覚えていないということは。……私の返事は彼を落胆させてしまうだろう。そう考え、抱かれた態勢のままキュッと身を縮めるが。


「大丈夫だ。ならば、もう一度愛するまで」


 そう言って彼は私を抱く腕の力を強める。その表情は──まさかの笑顔だった。


 (……なんて精神的に強い人なのかしら)


 普通恋人が記憶を無くしたなんて展開になれば、ショックを受けたり塞ぎ込んだりするものだろう。

 なのに「もう一度愛するまで」と言い切ってしまう彼の強さと太陽のような眩しい笑顔に──私は恋に落ちた。


 きっと私……記憶を失くす前も、ルーク様の事が大好きだったのね。


 そんな風にストンと、私はその恋心を自然に受け入れた。



 ◇

 


 ──記憶喪失。私を診察した医師は、ルーク様にそう病名を告げたらしい。


 私は直接医師から話を聞いたわけではないが、ルーク様がそう言うので疑うわけが無かった。

 



「マリアは私の婚約者なんだ。この王国では結婚出来るのは二十歳から。だからそれを待っているのだよ」


 ルーク様は何もかも忘れてしまった私に、一定の情報を与えてくれた。

 どうやら私は元々彼の領地で暮らしていた孤児で、偶然十八歳の時にルーク様に見初められてこの屋敷に連れてこられたらしい。


 なんでも、当時この国は『魔物』という名の人間を喰らう怪物が沢山居たようで。その魔物のせいで怪我を負ったルーク様を、私が手当てしたそうだ。 


 平民と侯爵様の婚約だなんて身分違いも甚だしいと思うのだけど、ルーク様は周りの反対を押し切って国王まで説得し、私を婚約者としたらしい。


 そして私は現在十九歳、ルーク様は二十六歳。あと半年で私は誕生日を迎えルーク様と結婚するらしいが、自分の誕生日や年齢すら覚えていなかったのであまり実感は湧かない。


 ちなみに現在ではその『魔物』という怪物を生み出していた根源が封印されて。平和な日常が戻ってきていると言うので、私はほっと胸を撫で下ろした。




「おいで、私の可愛いマリア」


 ルーク様は私の手を引いて、屋敷の中を案内してくれた。

 先程見た美しい庭園に、それを一望できるテラス。豪華な調度品が置かれた応接間やダイニング等、侯爵家とあって屋敷内は広い。


 少し歩くだけでも息が切れてしまう私を休憩させたり、時折抱き上げたり。私に配慮しながら案内してくれるのがありがたかった。


「……どうだろうか、何か思い出す事は?」


 ルーク様に問われるが、私はただ首を横に振る。こんなにも親切にしてもらっているのに……と申し訳なさが湧き出してくる。

 そんな私を励ますかのように、隣に立っていたルーク様は私の肩にポンと手を乗せた。


「そう気落ちしなくても、思い出せぬならそれは『思い出さない方が良い』という体からのメッセージだ」

「でも、ルークさッ……っ!?」


 ──ルーク様の事だけでも思い出したい。


 そう伝えようとした私の唇はルーク様自身のそれにより塞がれる。恋人らしい甘い繋がりに、私の思考は完全に停止した。


 初めは肩を掴まれていただけだったのに、段々とその腕の中に収められ。与えられるのは、髄まで求めるかのような甘くて深い口付け。


 きっと記憶を失う前には当然のように交わしていたのであろうが、全て忘れてしまった私には刺激が強すぎる。

 


 やっと解放された頃には、私はすっかり腰が抜けて立てなくなってしまっていた。

 そんな私を見てルーク様は「すまない、つい」と苦笑いしながらも、私を抱きしめる力は緩めない。

 緩められれば、きっと足腰が子鹿のようになってしまうので……恥ずかしいが今だけは、こうやって強く抱いたままでいて欲しい。


「せめてルーク様の事だけでも思い出したいのですが……どうすれば思い出せるのでしょう」


 教えてもらった情報を統合して考えると、私が置かれている立場は非常に不安定。

 ただでさえ身分違いの恋であったらしいのに、更に記憶を無くしてしまったとなれば話にならない。

 

「そんな可愛いらしい事を腕の中で言うなんて、マリアは私を拷問にかけているのか? それとも、もっとキスが欲しいというおねだりか?」

「──!? ち、違います。私は本気で……!」

 

 揶揄われているのだと分かった私は、カッと顔が熱くなるのを感じた。

 

「――まぁ、それは横に置いておくとして。忘れた事に不安を感じなくていい。どんなマリアでも、私は愛しているから」

「でも……」

「忘れたままでいいんだ。むしろ、今のマリアが私を好ましく思ってくれているのであれば──」


 ──思い出さないでくれ。


 それ以上の問いは許されなかった。


 いくら問いたくても、言葉を発する為の唇が塞がれていては……言葉は、ただ甘い吐息になるだけだった。



 ◇

 


 その後数日間。何か思い出せないかと思って……屋敷の中を探検するかのように、ゆっくりと時間をかけて歩き回ってみたが。

 使用人達に微笑ましい目で見られるばかりで、何も思い出せない。


 先日ルーク様と一緒に見た場所以外は全て初めて見る場所で、記憶の断片にすら引っかからない。

 私はこうも美しい屋敷の中で、どうやって暮らしていたのだろう。


 疑問は膨れ上がるばかりだが、答えは見つからない。ルーク様はレスター侯爵であられるために忙しく、私の側に常にいてくれるわけではない。


 だから私はルーク様の執事を捉まえて、こう訪ねた。


「申し訳ないのですが、本当に何も記憶がなくて。こうなれば、思い出せない事態を考慮して……もう一度、お勉強やマナーを覚え直すべきではないでしょうか」


 まさか半年後に控えた結婚式で棒のように立っているだけ……という訳には行かないだろうし、半年で覚え直さなければならないことは沢山あるように思う。


 その不安を執事に相談すると、彼は「それはごもっともな不安ですね」と理解を示してくれた。

 そして私達の結婚式に参列する予定であるという貴族達の名簿を手渡してくれる。


(これを見ていけば知っている名前があるかもしれないし、何か思い出すかもしれない!)

 

 私は喜んでそれを部屋まで持ち帰り、上から順番にゆっくりと文字を追った。

 

「──あ! そういえば、字は忘れてないのね」

 

 書かれてある貴族たちの名前は全く見覚えが無かったが、字は問題なく読める。

 自分とルーク様の名前以外にも覚えている事があると分かり、少しだけ安心した。


 それに字が読めるなら、本から情報を得る事もできる。それも記憶を呼び戻すきっかけになるかもしれない。

 


 その後も私は、ちょっとした時間に使用人達を捉まえてマナーなど基本的な内容の教えを乞うた。


 私は……とにかく記憶を取り戻そうと。仮に記憶が戻らずとも、隣に立つルーク様が恥ずかしくないようにしようと、前向きだった。

 

(ルーク様には思い出さないでくれと言われたけど、何も分からずに立ち尽くす侯爵夫人なんて大問題よね)

 

 ただでさえ身分が低いのだから、その分ルーク様のお役に立てる存在にならなければ。


 ──私の行動の原点は、ルーク様への想いだけだった。



◇ side ルーク ◇



全て忘れていて欲しかった。私のそんな希望は叶わずに、私の愛する人の自我は目を覚ました。


「──私は、何故ここにいるのでしょうか?」


 その言葉を聞いた瞬間。私の中には絶望が駆け巡った。




 今からおよそ5年前。古代に封印されし人喰いの魔物の封印が緩み解き放たれ、この国は混乱に陥った。


 永久に思えた平和により、魔物の戦う術を全て失っていたこの国は古の召喚術に頼り、異世界へと助けを求めた……その結果。勇者や魔法使い、戦士や僧侶など、それぞれ特殊な力を持った異世界人が多数召喚された。


 その中の一人……魔物を発生させる根源を再度封印するための『聖女』として召喚されたのが、麻里亜だった。


 国王の勅命という避けられぬもので拘束され、魔物と戦うしかなかった異世界人達。当然それはマリアも同じ。

 私はそれを分かっていたのに、侯爵として助けてやれる可能性がある立ち位置にいたのに……見ているだけしかできなかった。

 私も国王と同じように、異世界人と国を天秤にかけ、国を取ってしまった罪人の一人。


 魔物は異世界人の特殊な力でしか滅することが出来なかったので、どうしても異世界人に頼るしか戦う術がなかった。

 


 そして突然見慣れぬ世界に連れてこられ、初めこそ気丈に振る舞っていたマリアだったが。時が経つにつれ、壊れていくかのように、みるみる笑顔が減って。

 同じく召喚された勇者達と共に、悪き魔物の根源を聖女の力で封印すると同時に……彼女の自我も眠りにつき、ただの人形同然と化した。

 


 笑わなくなったマリアの代わりに、この国の民達には笑顔が戻る。

 なんとも皮肉な話だった。

 


 特殊な力目当てで優遇される異世界人も多い中。聖女としての役割を終え、平和になった世界では用済みとされたマリア。

 自我が無くなったのも相まって、誰からも見向きもされない。

 そんな彼女を私が望めば、簡単に手の中へ落ちてきた。


 異世界より召喚された時から、その異世界人ならではの可愛らしい容姿にはずっと目をつけていて。執着するかのように、時折り接触し続けていた甲斐があった。

 

 ……元々彼女の恋人だったという勇者だけは、自我の無いマリアでも手放そうとせず邪魔だったが。

 私が爵位を振り翳せば、大抵の物事は思い通りになる。



 金色の髪が多いこの国には珍しい漆黒の長い髪に、繊細な睫毛に縁取られた同色の虚な瞳。異世界出身ならではの毛色の違ったお人形は、静かに私に身を任せてくれる。

 『監禁侯爵』なんて失礼な陰口を叩かれるほどに、私はマリアを屋敷に閉じ込めて溺愛した。


 手ずから髪を梳いて、新しいドレスで飾って、抱き上げ庭を散歩して。親鳥のように食事を口に運び、風呂で体も洗ってやり、共に眠る。


 無理矢理、国王からマリアを妻にする許可すらもぎとって。正直言って、マリアが自我を持たぬからこそ好き放題していたとも言える。



 ──だからこその、絶望。


 マリアはきっと辛かった聖女時代を思い出し苦しみ、好き勝手した私を非難し、私の元から去りたいと嘆くかと思ったが。


 ……幸い、取り戻したのは自我だけで、記憶は殆どないようだ。毎日のように散歩させていた庭も見覚えがないとの言葉に安堵して、私は悪い大人らしく……嘘をつく。

 

「では、私と恋仲にあった記憶は? それも忘れてしまったのか?」


 たったこれだけで、マリアは私達の関係を勘違いする。

 その後もマリアの出自すら偽って、私だけを見るように仕組んだ。

 

 自我を取り戻した瞬間こそ絶望したが、愛してやまないマリアが、何の疑いもなく私を『恋人』と認識し受け入れてくれた事が……何よりも嬉しくて幸せだった。



 ◇ Side マリア ◇

 


「マリアは、私を愛してはくれないのか?」


 どうやら数日間仕事が忙しかったらしいルーク様が、久しぶりに私の部屋を訪れた。


 しかし、向かい合った瞬間の第一声がこれである。


「え……?」

「私を好ましく思ってくれているのであれば、過去を思い出さないで欲しいと……頼んだのに。思い出そうと屋敷中を歩き回っているそうじゃないか」


 確かに思い出さないでと言われてはいる。

 しかしそれは記憶を失ってしまった私に対する配慮の言葉であって、心から『忘れて欲しい』と願っているわけではないだろう。


 そう考えていたのに、本当は……言葉通りの意味だったのだろうか。


「違います! 私はルーク様を好きな自覚があるからこそ、かつての記憶を取り戻してお役に立ちたいのです」

 

 何も覚えていない侯爵夫人なんて、使い物にならない。結婚するまでに、せめて社交くらいは問題なくこなせるようになっておきたい。


 だから私は毎日勉強を欠かさなかったのだが、それと同時に必死で記憶を取り戻そうとしていた。

 過去を思い出せるならば、その方が目的の達成のためには効率的だと思っていた。



 そして、ルーク様は虚をつかれたような表情で私を見つめる。

 

(……ルーク様って、時々反応がおかしい気がするのは気のせいかしら?)


 普通は恋人が自分のために、失った記憶を取り戻そうとしていたら……嬉しくなるものではないのだろうか?


 それとも。……私には過去を『思い出してはならない』理由があるのだろうか。

 

「あぁ、まさかマリアの口から……私を好きだと聞く日が来るなんて……!」

「ひゃあぁっ!?」

 

 ルーク様は喜び、私の腰を掴んで持ち上げて。ダンスを踊るかのようにクルクルと回り、それに合わせてドレスの裾が花開くように舞った。

 驚いてしまった私は思わず上擦った声を出してしまい、ルーク様の肩に両手を置いて体を支える。


(もしかして私、とんでもなく恥ずかしがり屋だったの?)


 ルーク様の恋人だったのに「好き」とも言ったことがなかっただなんて。

 

 ルーク様は私の表情の変化に気がついたのか。先程までの満面の笑みから、眉尻を下げた苦笑に表情を変えた。

 そして徐々に膨らんでいく私の中の違和感は、ルーク様の次の言葉で凍り付く。


「実はね、マリアには……私の元へ来る前に想い人がいたんだ」

「──え?」

「だから私とは恋人と言っても……きっと彼の事が忘れられなかったのだろう。マリアは、私に好きと言ってくれる事はなかった」


 ……私は孤児で、ルーク様に見初められてこの屋敷に連れてこられたのだと言うのに。まさかそんな恩知らずな態度を取っていただなんて!!


 私は少しでもルーク様を疑ってしまった事を後悔した。

 ルーク様は私を愛してくれていたのに、私がそれにお応えできていなかったのだ。

 

 ……だから、ルーク様は「過去を思い出して欲しくない」と願ったのか。

 それは当然の願いだろう。私だって立場が逆だったならば、そのまま忘れて自分だけを見て欲しいと願うはず。

 


「申し訳ございません……! 私、ルーク様になんて事を……」

「いいんだ、無理に連れて来た私も悪い。だから……思い出そうとしないでくれ。マリアが居なくなりそうで怖いんだ」


 ルーク様は私を降ろしながら、そう願いを口にする。

 苦笑いだった表情はいつの間にか憂いに変わり。そのエメラルドの瞳が宿すのは不安の色。


「頼むよ、マリア……私は君を狂おしい程に愛しているんだ」


 そう言われてしまえば。もう私は……過去を捨てたままにするしかなかった。


 ルーク様のその願いを叶えられるのは、私だけ。


「もう二度と思い出そうとは致しませんし、ルーク様以外に想いを寄せることも無いと誓います。──だから、お願いします。私はルーク様の隣に立っても恥ずかしくないような人間になりたいのです」

 

 私はルーク様の襟元を少し引っ張るようにし、背伸びして。

 誓いと愛情の証拠として、自ら誓約の口付けを送った。


 

 ◇

 


『過去を求めるようなことはしない』


 その約束と引き換えに、私には侯爵夫人として最低限のマナーや教養が施された。


 元々は私の不義理。その過去を捨てて良いと……無かったことにして欲しいと言われているのだから、ルーク様のお心はなんと寛大なのだろう。

 私は、こんな私を見捨てずに愛してくれるルーク様に感謝し、想いを深めた。

 


 恋人らしく甘い言葉を囁き合って、体を重ねて。……何故か屋敷の外でのデートだけは許してもらえなかったけど、私はルーク様と一緒に過ごす時間が幸せだった。


 笑いかけると本当に幸せそうに、太陽のような笑みを送ってくれるルーク様の事を。……私は心から愛していた。



「マリア様。ではこちらに手紙の束を置いておきますから、よろしくお願いしますね」


 ルーク様の執事によって私の部屋まで運ばれてきたのは、各地で開かれるお茶会の招待状。

 皆、レスター侯爵閣下の、元孤児で平民の恋人が気になるのだろうか。私の元には毎週のように沢山の招待状が届いていた。

 

 しかしルーク様は「そんなどうでもいい茶会、参加しても無駄だ」と豪語した上「マリアをこの屋敷から出したくない」と、そもそも私の外出を許可しようとはしなかった。


 だから私が今からする作業は「お断りのお手紙を書くこと」である。


 しかもルーク様によって既にテンプレートが作られているので、私は本当に書くだけで良いという、未来の侯爵夫人としては情けなさすぎる作業だが。


 ……それでも、少しでも任せてもらえることが出来て嬉しかった。



 文机で必死に文字を書くこと一時間。もうそろそろ最後が見えてくるというタイミングで、私は違和感のある手紙に当たった。


 (あら? この招待状、少し分厚いような?)


『開封時に怪我をさせる目的の物もあるから気をつけるように』と、ルーク様から指示を受けていた私は、ユリの模様が入ったペーパーナイフで慎重に手紙を開封する。


 しかし私の警戒心とは裏腹に、中から出てきたのは招待状と……


「……? 手紙がもう一通?」


 まるで隠されるかのように入っていた、二回り程小さな封筒。

 一通目は通常の招待状のようなので、こちらは何か……詳細を記載した物とかだろうか?

 

 疑問に感じながらも、私はその封筒も開封する。

 出てきたのは、他の高級そうなレターセットや招待状とは似つかない……質素な紙の束だった。


 その様子からかえって警戒心が薄れてしまい、私はその紙を広げて──目を見張る。


 そこに書かれていたのは……日本語だった。


(……え? 待って、日本語って何だったかしら)


 ──分からない。


 それでも私には、この見慣れぬ文字が読める。

 ううん、むしろ今使っている文字よりも、この文字の方が馴染み深く愛着があるような気がする。


「……麻里亜へ」


 私の目は滑らかに文字を追う。一文字ずつ確認しながら読んでいるこの世界の文字とは違って、この『日本語』というらしい文字は私の脳にすんなりと手紙の意味を伝える。


 つまり、この手紙の内容は略すとこうだ。


 ──会いたい。今でも愛している。


 その内容はどこからどう見ても、恋人に送る恋文だった。

 

 手紙は震える私の手から滑り落ち、パサリと音を立てて床に落ちた。



 ◇



「……マリア、どうかしたのか? 表情が優れないようだが」


 その日の夜。私の部屋を訪れたルーク様は、私の異変にいち早く気がついた。


「あ……いえ、今日はお手紙のお返事ばかり書いていたので、少し疲れてしまったのかもしれません」


 私は苦笑しつつ「ごめんなさい」とルーク様に謝った。

 当然ルーク様はその謝罪を『心配させてしまった件』についてだと思うだろうが。私の意図は違う。


 ──嘘をついてごめんなさい。



私は、少しだけ過去を思い出してしまった。

 


手紙の一番初めに書かれた『麻里亜』という文字は、私の本当の名前。

 それはこの世界では使われない文字。私はこの領地の孤児だったはずなのだが……思い出したのがこれだけでは、状況が把握できない。

 


 そして一番最後に書かれた『海斗』という文字。

 

『──実はね、マリアには……私の元へ来る前に想い人がいたんだ』

 

 ルーク様がくれた情報と、明らかな恋文を鑑みれば。きっと海斗という人が、この手紙を送ってきたと考えて間違い無いだろう。


 今のところ名前しか分からないが、それでも思い出してしまったことに間違いはない。


「……ごめんなさい」


 海斗という名の人への想いは微塵も無い。私はルーク様だけを愛している。


 それでも、過去を少しでも思い出してしまったのが申し訳なくて。しかもそれをルーク様に言えないのが苦しくて。


 ……謝罪の気持ちで、胸が張り裂けそうだった。




「そんなに謝らなくても。……何かあったのなら、話を聞くが?」


 ルーク様は優しいから、そう言って私を抱え上げて、寝台まで運ぶ。そしてまるで幼な子にするように……大きな手で頭を撫でるから。私は余計にこの胸のモヤを吐き出せない。


 だから首を横に振る。

 

 ──ルーク様を傷つけたくない。


 いっそ声高に私を非難してくれるような人であれば。乱暴に私に罰を与えてくれるような人であれば。……言えたかもしれない。

 


 私の行動の原点はいつだってルーク様だった。


 だから私は……この罪悪感を、無理矢理ルーク様への愛情で塗りつぶして。ただルーク様に愛を示した。



 ◇



 私は海斗という人から届いた手紙を暖炉に突っ込んで燃やした。私には必要ないし、過去も忘れたままでいたい。


 ルーク様の願いとおり、私は過去を全て捨てて。彼の『マリア』として一生を過ごすの。




 そう決意を新たにして、数日後の事だった。


「マリア。よければ一緒に観劇に行かないか?」


 私を決して屋敷の外に出そうとしなかったルーク様が、私を外へのデートに誘う。

 ルーク様と一緒にいられるのなら何だって嬉しいが、どうして急に気が変わったのかは分からなかった。



「……外に出ても、よろしいのですか?」

「基本的には屋敷の中で独占していたいけど。マリアは女の子だから、時にはお洒落したいだろう? 着飾ったならデートに行かないとね」

 

 そしてルーク様は少し冗談めかし「美しいマリアを見せびらかすように歩くのも一興だから」と付け足して。新しく買ったというドレスやアクセサリーで私の部屋を埋め尽くした。


 その数を見て、かかったであろう金額を想像し真っ青になる私だったが。

 使用人達と一緒に「このドレスが似合うと思う」とか「こっちを合わせた方が可愛い」なんて言いながら私を着せ替え人形にするルーク様の……心から楽しそうな笑顔を見てしまえば、拒否するわけにはいかず。

 

「これでもうしばらくはお買い物しなくて大丈夫ですね」なんて言って、今後の爆買いを阻止するように努めるしかなかった。

 



 数日後の夜。私はルーク様と劇場に来ていた。

 

 全身ルーク様おすすめコーディネートで揃えられた私は、馬車から降りて外の地面に足をつく。


 屋敷の外へ出るなんて初めてのことだし、私は元々平民。変な目で見られるのではないかと緊張してしまうが。ルーク様が私の手を取り、彼の腕へ絡めてくれる。


「緊張しなくても、マリアは美しいよ。堂々としていればいい。それに、皆意外と人のことは気にしないし、もっと目立っている人もいるし」

「もっと目立っている?」

 

 ルーク様が指差す方に顔を向ければ、物陰で抱き合い口付けを交わす男女の姿。

 動揺から顔を赤くし震えてしまう私だったが、ルーク様はそんな私を見て他所を向いてプルプルと震え笑っている。


「る、ルーク様!」

「くくッ……ごめん。あまりにも初心なマリアの反応が可愛くてね」


 ルーク様は私を引き寄せて「そんな可愛いマリアを、私は心から愛しているよ」なんて耳元で囁き、とどめを刺しにくるから。茹で蛸になってしまった私はエスコートされるがまま、劇場のボックス席まで連れて行かれた。




「ルーク様、もしかしてこのお席は物凄く高価なのではないですか?」


 私が腰掛けているのは、ふっかふかのソファー席。

 その上飲み物やお茶菓子まで出てくるし、前方は劇を見るために開いているが、ほとんど個室状態。


 皆この状態なのかと思いきや、前の開放部から周りを見てみればそんなことはなく。ただ席が沢山並んでおり、皆そこに腰掛けている。


 横で同じく腰掛けている美形のルーク様には至極お似合いな雰囲気だが、私には場違いなような気がしてしまう。


「一応私は侯爵だからお金なら沢山あるし、それを恋人とのデートで出し惜しみする訳がない。今日という日を最高の思い出にしたいからね」

「ありがとうございますルーク様……」


 その優しさに感謝していると「お礼はキスで」なんて言われるから、クスッと笑ったその時だった。個室の入り口側から何やら声をかけられて、ルーク様はさも残念そうな表情をしつつ、立ち上がって対応しに向かう。


 劇場の係の人だろうか。何やら話が長引いているので耳をそばだてていると。……どうやら、ルーク様のお仕事に関した話のようだ。


「だから何度も言うが、今日の私はただ恋人とデートをしに来ただけのルークであって。挨拶程度ならまた今度に」

「ルーク様。私は大丈夫ですから、どうぞお仕事を優先させてください」


 ソファーに座ったままルーク様の方へ体を向けて、私は微笑みを作る。

 ルーク様はレスター侯爵閣下。恋人よりも仕事を優先させなければならない場面があるのは当たり前だ。


「しかし……」

「大丈夫です! 実は私、始まる前にお手洗いに行こうと思っておりまして。ちょうど良いのでルーク様がお仕事で席を外されている間に行こうかと」

「……じゃあマリアが迷子になっては心配だから、係員を一人付けてもらうようにしよう。絶対に一人にならないように。できるだけ早く戻るから」

「ふふっ分かりました。そこまで心配しなくても大丈夫ですよ」


 子供じゃないのだから、と思うが。ルーク様はそもそも屋敷から私を出したがらない程なので、ここでも私一人にするのは心配なのかもしれない。


 ……今は難しくても。


 いつの日かルーク様に心配されるばかりではなくて、頼っていただけるような存在になりたい。

 隣に立っても恥ずかしくないようにするのが精一杯な私からは、早く卒業したい。

 

 

 ……そんな事を考えながら、私はルーク様と入れ替わるようにしてやってきた係員の女性と一緒に、そのボックス席を後にしてお手洗いに向かった。





「そうだったのですね……、そんな人気チケットだったなんて!」


 お手洗いに行った帰り。私は案内してくれた係員の女性と一緒に会話に花を咲かせながら、劇場内の通路を歩いていた。


「ちょうど今夜のような月明かりの綺麗な夜をテーマにしたラブロマンスなのですよ」


 係員の女性が通路の窓から空を見上げるので、私も一緒に視線を動かす。

 

 どうやら今日の観劇の内容は恋愛物らしく。今期一番人気があって入手困難なチケットだという。中盤以降は特にロマンチックな展開なので期待していて欲しいとのこと。


「わぁ……とても楽しみです。教えてくださってありがとうございます」


 私がそうお礼を述べた瞬間だった。一歩前を歩くようにして誘導してくれていた彼女が通路の角に差し掛かった瞬間。物陰から飛び出してきた強面の男性に──腹部を殴られた!


「──!?」


 ドサリと音を立てて、地面に崩れ倒れる係員。

 そしてその人物は次の目標を私に定めたのか、目線が交わる。

 

(助けを呼ばなくては……!!)


 瞬発的に叫ぼうとしたその時。


「麻里亜!!」


 強面の男性は、私の名を呼び涙する。

 そしてさも家族や恋人にするかのような抱擁で私を包み込んだ。麻の外套が頬に擦れて痛い。


 生憎私は記憶喪失なのでこの人が誰なのか分からない。分からないけれども……ずっと昔から知っているようなこの感覚は……。


(思い出しちゃダメよ!!)


 引き摺り出されそうになる麻里亜を、脳内でマリアが止める。

 


 ──そうだ。私はもう過去は捨てたの。

 私はルーク様と一緒に生きるのだと、決めたの。

 


 だから、私は思いっきりその男性の胸を押して。虚に包まれたその男性の顔を睨みつける。


「やめてください! 存じ上げない男性に、こうやって触れられるのは不愉快です」

「な……麻里亜? 俺だよ、海斗だ!! やっと囚われていた屋敷から出てきてくれたから……迎えにきたんだよ。怖かっただろう?」


 よく見ればその男性は私と同じく、この国では珍しい黒髪だった。しかも手紙の差出人と同じ名前。


 ならばきっと……この強面の男性が元々私の想い人だったのだろう。


 私を待っていたような事を喋っているところ、本当に申し訳ないが。……私はルーク様の側から離れる気はない。


「私はルーク・レスター侯爵閣下の婚約者であるマリアです。人違いではないでしょうか」

「そう言えって侯爵に脅されているのか? ……分かった。元勇者である俺が、絶対に救ってやるから」


 そう言いながら、海斗という男性は腰から下げた剣を抜く。照明の灯りがきらりと反射するそれは、偽物ではない本物だと瞬時に理解できしまい、サッと血の気が引くのを感じた。


(逃げないと……できるだけ遠くへ、ルーク様が居ない方へ!)


 この人の目的は、きっと私。もしくは私を見初め、彼と私を引き裂いた可能性の高いルーク様。


 ならば、私は最悪どうなってもいいが、尊い身であるルーク様に被害は絶対に及んではならない。


 だから私は踵を返し、走り出した。とりあえず、劇場の席とは逆側に行かなくては!


「麻里亜!?」


(どうしよう、どこに逃げよう!?)


 ドレスな上あまり体力のない私ではそんな遠くには逃げられない。とりあえずお手洗いの中まで行けば鍵もかかるし、誰かに助けを求められるかも……!


「──誰か! 助っ」


 助けてと声に出そうとした瞬間に、私は誰かにぶつかってしまう。


 

「マリア? そんなに慌てて……係の人間はどうしたんだ」

「──!?」


 今、最も出会ってはならない人物と最悪のタイミングでぶつかってしまい、私の動揺はさらに深まる。

 

「ルーク様、逃げて!!」


 状況を説明している余裕なんて無かった。だから必死な形相で訴えたのだが。

 

「あぁ麻里亜、助かった。わざわざ案内してくれたんだよな? 信じてたよ」


 私のすぐ後方から聞こえるのは、先ほどの男の声。



 ──お願い、誰か嘘だと言って? 悪い夢だと言って?

 


 振り返る私の頬を掠めない、ぎりぎりを通っていく剣先は。……ルーク様の体を貫いた。


「……元勇者。侯爵に剣を向けるとは……血迷った、か……?」


 私が居たために、貫かれたのはルーク様の肩付近。剣が引き抜かれると同時に、ルーク様は苦しげに膝を床につける。

 苦しみに歪む顔に、服に広がる鮮やかなな赤色。床にポタリと滴り落ちる血。


 その光景は、無くしているはずの記憶の中から……体の中心部が熱くなるような、懐かしい感覚を呼び起こす。



「麻里亜、行こう!」


 その男性はルーク様を刺したその手で私の腕を掴み、強く引く。

 


 ──許さない。


 誰であっても、私が愛する人を傷つけるなんて……


「絶対に、許さない……!」



 怒りの感情が、私を突き動かした。


 その感情を憎き相手にぶつけるように睨みつけ、私は掴まれていない方の手で──至近距離から魔法を放った。

 まばゆい光が私の手から飛び出して、まるで飛び道具かのような軌道で彼の肩を貫く。

 


 記憶は無くたって。……怒りに突き動かされた体は、私が『何者であったのか』正しく覚えていた。

 突然体の中に渦巻いた熱のような感覚を、どうやって使えばいいのか……体は分かっていた。


 彼がルーク様にしたのをやり返すように、彼の肩を打ち抜いた私。

 顔を歪め小さく舌打ちしながら私の腕を離した彼は、騒ぎを聞きつけた警備兵達が駆けつけてきたのを確認して。側にあった窓を割って、闇に紛れるようにして逃げ去った。


「ふ……まさかマリアが、ここまでして……くれるなんて、ね」

「ルーク様……ッ!」


 苦しげに蹲るルーク様の声で我に返った私は急いでその傷を確認して、汚れるのも厭わずに傷口に手を当てる。


 そしてやはり私の体は、私が『何者であったのか』を正しく覚えていて。その手から発せられる柔らかな光はルーク様の傷口を、徐々に無かった物と化していく。


「ルーク様、ごめんなさい。本当にごめんなさい……私のせいでこんな目に!」


 治療をしながらひたすら謝り涙する私を、ルーク様は怪我をしていない方の手で優しく撫でる。


「マリアは何も悪くない上に、暴漢を追い返した。しかもこうやって私の傷を癒そうとしてくれているのに、どうして謝る? むしろ私はマリアに助けてもらって……情け無い気持ちで一杯だ」

「私……ルーク様に嘘をついてしまったのです」


 私は白情した。本当は先程の男性から恋文を送られていて……少しだけ過去を思い出してしまっていた事を。

 そして、そのせいで今回ルーク様は危険な目にあってしまった事を。



 きっとルーク様は私に失望するだろう。


 ……それでも。我が儘な願いだとは理解しているが、 ──私はルーク様の隣にいたい。



 断罪されるのを待つ罪人のような気持ちで視線を下げていたが。私にかけられた言葉の響きは柔らかだった。

 

「なんだ。そんな事……私は全て知っているよ?」

「えっ」


 驚きで視線を上げる。

 

「それよりも……私の方こそ、謝るべきだね。マリアが元々『聖女』と呼ばれ、魔法のような力を使えるのを、私はわざと伝えなかった。本当は一生隠していようと思っていたのだが──」



 ──もう、マリアは過去を思い出したって。私の元に居てくれるだろう?



 過去を取り戻すと私が居なくなりそうで怖いと告げてきた時とは違う、太陽のような笑み。


 あぁ、私のせいでこんな大怪我をしたのだというのに……。

 

 (ルーク様は、それでも私を望んでくれるのね……?)



「……当たり前です。どんな過去が私の中に眠っていようとも。私はルーク様だけを愛してますから」



 私は、塞がったばかりの傷口から手を離す。


 ルーク様は傷があったはずの肌をまじまじと見ながら「流石に切られた服は直せないみたいだね?」なんて、少し冗談めかした声で言うから。……私は涙をこぼしながらも、つられて笑顔になる。


 そんな私をルーク様は抱きしめて。送られたのは感謝の意と優しい口付けだった。



 ──記憶を失った私でもルーク様のお役に立てて、本当に良かった。



 ◇ side ルーク ◇



 マリアの様子が変だった。ピンときた私は、マリアがスヤスヤと安らかな眠りに入った所で、マリアの部屋を片っ端から調べる。


 すると、引き出しの奥から出てきたのは見知らぬ言語で書かれた手紙。どうせ、マリアの元恋人だった勇者あたりからの恋文だろう。


 よくもまあ監視の目を通り抜けたものだ。恐らく茶会の招待状あたりにでも紛れ込ませてあったのだろうその手紙を……破り捨てようかと思った所で、思い止まる。


 (……少し、泳がせてみようか)


 このまま破り捨てたならば、普段ならマリアが涙ながらに謝罪して許しを乞うてくるような展開になるだろうが。なんせ書かれてある内容が分からない。

 マリアが何を何処まで知っているか分からない状況で行動に移すのは悪手だと思った。


 使用人達にいつもより厳重にマリアを見張るように言い付けて、私は何も知らない振りに徹した。

 



 これでマリアが私を避け出すなら問題だったが。逆にマリアは私への想いを強めたかのように愛情表現が増えて。……しかも、勇者からの手紙は自ら暖炉に突っ込んで燃やしたようだ。



 正直言って、ここまでマリアが私に夢中になってくれたのは嬉しい誤算だった。


 だからこそ私は、マリアを外に連れ出すことにした。



 ──きっと。マリアを外に出せば勇者は接触してくるはず。



 恋を諦めさせるのは、実に簡単だ。


 想い人が自分以外を好いている様を見せつければいい。

 そしてできる事なら、その想い人から拒否されると良い。



 私の計画は上手くいって。勇者は狙い通り私に剣を向けた。


 マリアは傷つけないように必ず私だけを狙うと分かっていたから、立ち位置を調整して致命傷は外しておいた。

 これで勇者は「侯爵に剣を向けた反逆者」としての汚名を着ることになる。


 あとは駆けつけるように命令してあった兵士達に捕えられてしまえば良いと思っていたのだが


「──許さない!」


 まさかのマリアが聖女の魔法を使い、勇者の肩を正確に撃ち抜いた。その上私に癒しの力までかけ治療してくれる。


 自我を失ってから約一年。ずっと使っていなかった聖女としての魔法を、マリアは記憶無しで『私のために』使ってみせた。



『──私はルーク様を好きな自覚があるからこそ、かつての記憶を取り戻してお役に立ちたいのです』



 初めてマリアが私を好きだと言ってくれた時の言葉を思い出す。


 記憶が無くたって、それを実現したマリアは──きっと過去を思い出したって、私の元に居てくれるだろう。


「ありがとうマリア。……愛しているよ」


 彼女を抱きしめ柔らかな唇をはみながら、私はマリアが自分を選んでくれたという優越感に浸った。

 


 嘘つきな私に騙された、可哀想なマリア。

 だからこそ、より大きな愛で包んで。ズブズブになるまで浸してあげるから。


 どうかその清らかな黒の瞳に映すのは──私だけで。


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