2.
茉理は上司から聞いた言葉が最初は信じられなかった。
町田の話によると、敦成はよく茉理の職場に電話を掛けて「茉理の給料をあげろ!」とか「残業をさせるな!」と言った類の電話をよくしてくると言う。
「あぁ……。会社としても困っていてね……。場合によっては会社に怒鳴り込んでくるんじゃないかと懸念しているんだよ……」
「そんな……」
町田の言葉に茉理が言葉を失う。
「とりあえず、君からもそういう事はしないように言ってくれないか?」
「……はい」
まさか、敦成がそんな電話をしているとは全く知らない。敦成がそんな電話をしているなんて信じたくないが、町田が言うということは事実なのだろう。
茉理の中で「信じられない」という感情がグルグルと蠢く。そして、フラフラになりながら自宅に戻っていった。
「はぁ~……。いつになったらあの書類整理から解放されるんかな~?」
紅蓮が奏と透と道を歩きながらポツリと呟く。
今日の仕事が終わり、いつものように三人が並んで帰る。冴子は車で帰り、槙は自転車のため、署の最寄りの駅までは三人で歩いて帰るのが定番となっていた。
「まぁ、何か事件が起きない限りあの書類整理は続くだろうな」
透が帰り道を歩きながら言葉を返す。
「……奏ちゃん?どったの?」
紅蓮が奏の様子がいつもと違うので声を掛ける。
「ん~……。なんていうか、DVってなんであるのかな~と思いまして……」
奏がそう言葉を発する。
「あぁ、今日の話か。そうだな……、なんでそんなことをする人がいるんだろうな……」
透が奏の言葉に頷きながら答える。
「確かにな……。それが原因で事件に発展することもあるし、暴力故に死んでしまったケースもある……。なんでそんなことするんだって思うよな……」
紅蓮が遠い目をしながらそう言葉を綴る。
しばらく、沈黙が続く。
「まっ!俺たちの中ではないことなんだから考えたって仕方ないさ!前向きに明るくいこうぜ!!」
紅蓮が明るい声を出してそう言葉を綴る。
「というわけで!セカンドダーリンの話、考えといてね♪奏ちゃん♪」
紅蓮がそう言って奏の手を握り締める。
「……明日、冴子さんと槙に言いつけてやろ」
「透―!裏切り者―!!」
透がぼそっと言った言葉に紅蓮が過剰に反応する。そんなこんなで駅について、そこでそれぞれ帰路に着いた。
「ただいま……」
「遅かったな。腹減ったから早く作れよ」
「うん……」
敦成の言葉に茉理は返事をして、夕食の支度に取り掛かる。敦成に電話の事を聞かなきゃいけないとは分かっているが、怖くて聞くことが出来ない。そんなことを聞いたらまた暴力を振るわれるかもしれない。そう考えると、会社にそんな電話を掛けているのかを聞くことが出来なかった。
――――トントントン……。
キッチンで野菜を切りながら茉理が夕飯の準備をする。
――――トントントン……。
リズムよく野菜を包丁で切っていく。
――――トントントン……トン……。
「……っ」
茉理の瞳から涙が溢れ出す。
ただ、幸せになりたいだけだった。それだけなのに、なぜこんな暮らしを続けているのだろうと考えると、涙が溢れて止まらなくなる。
(……これで敦成を刺したら私は解放されるのかな……?)
野菜を切っていた包丁を眺めながら茉理の中でそんな黒い考えが頭の中を駆け巡る。
――――ガチャガチャ……ガチャン……。
そこへ、玄関が開く音が響く。
「……夕飯の支度は今からなの?」
帰ってきたのは淳子だった。買い物に行っていたらしく、手にはデパートの紙袋を提げている。
「……うん。ちょっと遅くなって……」
茉理がそう言葉を綴る。
「泣いてないで、とっとと仕度してね」
「……はい」
娘である茉理が泣いていても淳子は何も気に留めることなく、そう言葉を吐く。
茉理は涙を拭うと、再び夕飯の支度に取り掛かった。
夕飯の支度が終わり、敦成を呼んで、いつものようにまず敦成が夕飯を食べ始める。
「しょぼい夕飯だな。もっと豪華なものが作れないのかよ?」
敦成が夕飯を食べながら悪態を突く。その言葉に茉理は何も言わずに、ただ下を向いた。
その時だった。
「……文句を言うなら自分で作ったらいいじゃない」
いつもは敦成が夕飯を食べている時にキッチンにやってこない淳子が顔を出して、そう言葉を吐く。
「あぁ?なんだと?」
淳子の言葉に敦成が相手を威嚇するような声を出す。
「そんなこと言うなら自分で作れって言ったのよ。日本語が分からないのかしら?」
淳子が敦成を見下ろしながらそう言葉を綴る。
「この……」
淳子の言葉に敦成は頭にきたのか、怒気を孕んだ声で何かを言いかける。
「別にあなただけでも今すぐ追い出していいのよ?この家の主は私なんだから」
淳子がそう言葉を放つ。
「全く、茉理もこんなろくでもない男と結婚するなんてね。こんな気の小さい馬鹿男と……」
淳子が茉理の方を向きながらそう言葉を綴る。
「てんめぇ……」
淳子の言葉に敦成がわなわなと声を震わせながら唸る。
「ふ……二人ともやめて!!」
茉理が慌ててそう声を上げる。
「とにかく、私がこの家の権限を持っていることをお忘れなく」
淳子はそう言い放つと部屋を出て行こうとする。
「茉理、てめぇ母親に言われたからって俺を追い出したりしたらどうなるか分かっているよな?」
敦成が低い声でそう言葉を綴る。茉理はその言葉にどう返事をしたらいいか分からずに、何も答えることが出来ない。
「茉理、お前を愛しているのは俺だけだ。あんなババァいらないよな?そうだよな?俺がいればいいよな?」
敦成が茉理の方を揺らしながら怖い笑みを浮かべて言葉を綴る。そして、急に茉理を抱き締めて、キスをする。
「茉理には俺がいればいいよな?あんな奴いらないよな?」
敦成が茉理を抱き締めながら言葉を呟く。
「愛してるよ……。茉理……」
茉理はその言葉にどう返事をしていいのか分からない。今でも敦成の事は愛している。そして、敦成は誰よりの自分を必要としてくれている。
「あ……あ……」
茉理の心の中で何かが壊れる音が響く。
この生活から解放されたい気持ち……。
敦成に強く愛されたいという気持ち……。
『もし、この生活から解放されるのなら……』
茉理の中で何かが崩れ出す。
そして……。
「あぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
茉理が叫び声をあげながら、敦成を突き放すと、包丁を持ち出した。
――――ドスッ!!!
「……え?」
刺された相手は一瞬何が起こったのか把握できなくて、その場に崩れ落ちる。
「あ……あ……やぁぁぁぁぁぁ!!!」
茉理は我に返ると、自分がしたことにパニック状態になって叫び声をあげる。
――――バターン!!
そして、そのまま家を飛び出していった。
敦成は状況が飲み込めないまま、愕然となっている。
そして、刺された淳子は呻き声をあげながらその場で息が絶え絶えとなっていた。




