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中編

「俺の名は、デューイ・ルーラー。ルーラー家の当主が御目通り願いたい、とお父君に伝えて欲しい」


 伯爵家に着いて、外で待つという彼の言葉に甘えてしまって良いものか迷ったものの、父の許可なく上げるわけにもいかないので、執務室を目指す。


「おや、おかえり、リンジー」

 父であるロルフ・スコット伯爵は、書類をさばく手を止めて、柔らかく目を細めてこちらを向いた。私と同じココアブラウンの髪に蜂蜜色の瞳。顔の作りは亡き母に似たけれども、色彩は完全に父だ。


「お客様です。先振れはありませんが、ルーラー家の当主様だそうです」

父はびっくりしたように目を見張った。

「何かあったのかい? リンジー」


 ええ、いろいろと。曖昧に頷いて、アニカに知られないようにとのことです。というと、難しい顔をして、こちらに来てもらおうと言った。


「執務室に?」

「こんなところで申し訳ないけれども、ここは防音がされているから」


 お父様がメイドに指示をしている間に玄関に引き返す。この父の反応を見る限り、身元のはっきりした人なのだろう。しかも位の高い。外で待たせてしまって本当に良かったのかしら。


「ルーラー様、すぐにお父様に会えるそうです」

 寒くありませんでしたか? と聞くと問題ない、とゆるく首を振った。彼は今はローブは脱いでいる。ダークグレーのジャケットに同色で仕立てたズボン。仕立てのいいそれは彼を貴族らしく見せていて、けれど身のこなしは、優雅でありながら隙のなさを感じる。艶やかな黒い髪に紅の瞳が映え、まるで彼自身が夜の化身のようだった。


「デューイで構わない」

歩きながら少し話をして、まず、父には私から婚約破棄について伝えることになった。

「君には酷な事実もある。それでも聞くか?」

 彼の問いに頷く。何も知らないままでいるのは、とても怖い。もう一度、あのようなことが起こらないように、


「確かに、怖いです。あの夢も、何が真実なのかも怖い。でも何を信じたらいいのかわからないのが何よりも恐ろしいのです」


真実を知りたいというと、彼は強いな、とささやいてひとつ頷いた。



「いきなり邪魔をしてすまない。スコット伯爵。デューイ・ルーラーだ。証拠はここに」


 彼は、挨拶の時に金属で出来た紋章を出した。三日月に荊棘いばらが絡みついたデザインだ。

「確かに確認させて頂きました。伯爵家当主、ロルフ・スコットにございます。おいで頂き恐縮です。早速ながら、一体何が……」

「俺がここに来たのは、スコット嬢、紛らわしいからリンジー嬢と呼ばせてもらう。彼女に起こったことについて、伯爵に知らせておかなくてはいけないことがあると思ったからだ」


デューイ様がこちらに目線をやる。父にも目を向けられて、話し出す。


 今日、オスカー様から婚約破棄を言い渡されたこと、そのきっかけとなった噂と、数日前に起こった不思議な体験と悪夢。


話終わるとデューイ様は言った。

「リンジー嬢の夢は実際にあったことだ。本当にむごい……」

 痛ましげな顔をして彼が言うには、オスカー様の家に向かった私は三人組の男に襲われたのだという。御者も仲間だったのだと。そういえばあの時の御者は、最近新しく入った者だった気がする。私を引き摺り下ろし、廃屋に引き摺り込み、刺した。もう一人の男は事故に見せかけて馬車を始末するため、弓を射て馬を暴走させた。御者だった男は見張をしていた、と。


 あまりの事実に今更ながら身体が震えてしまう。

 こちらを気遣わしそうに見つつ彼は続ける。

「リンジー嬢は刺されて血が足りなかった。そのままでは死んでしまっていただろう。だから、私の血を分けた」


ガタッと椅子が音を立てる。

そこまではじっと聞いていた父が、立ち上がったのだ。

「リンジーは、リンジーは……」

「伯爵、どうか落ち着かれよ。俺の血液は特殊だから、傷は綺麗に塞がっているはずだ」


 リンジー嬢、と呼びかけられて、彼の方を見上げると、彼は真っ直ぐ目を合わせたまま言った。

「ちゃんと説明する。だが、その前に伯爵と話さなければならないことがある。伯爵、早めに手を打ったほうがいいことがあります。どうか、話を聞いて頂きたい。お嬢さんにはその後に」


彼の真剣な様子に、言いたいことをとりあえず飲み込んだらしい父は言った。

「リンジー、少し自室で待っておいで。後で呼んであげよう」


 混乱したまま自室に戻る。うろたえているところを見せるのもどうかと思って、メイドは下がらせた。


 コンコン、コン。というノックにはい。と返すと、入って良いだろうかとデューイ様の声が返ってきて慌てて扉を開けた。

「ああ、すまない。先ほどは驚かせたな」

 いえ、と椅子を勧めるけれども、そういえばメイドは下がらせてしまった。扉は少し開いてはいるものの。


「誓って何もしない。ただ、少し余り聞かれたくない話がしたい」

幾分か潜められた声はふざけたものではなく、しっかりと頷いて、向かい合わせに座っていたソファーから彼の隣に移動する。

 座っても? とこちらも少し潜めた声をかけると頷かれた。


「まず、俺は人ではない」


 彼が言うには、デューイ・ルーラーとは王家と密約を交わした吸血鬼で、秘密裏に街の人々の声や、貴族の様子などを探っているという。貴族家の当主はそれを知っていて、彼を番人と呼ぶのだとか。


「吸血鬼は人間より耳が良い。それを利用しているというわけだ。あとは、カラスや蝙蝠に化けたりもできる。夜限定なら霧になることもできるな」


「霧に?」

もしかして、

「霧になってこの部屋へ?」

気づいていたのか、と彼は少し罰が悪そうにした。


「悪かった。余りにもうなされているのが気の毒で」

「いえ、助かりました」

驚いたけれども、確かに彼によって悪夢から救われたのは事実だ。


「いいか、リンジー嬢、君はアニカ嬢を信頼していたようだが、あの女はとても君にはいえないような事をいろいろやっている。絶対に信じてはいけない」


 まず疑ったほうがいい。と彼は言った。人は善意だけで出来ていない。それは知っているつもりだというと、あの女に限っては悪意でできていると思ったほうがいいと忠告される。


「心配だな。絶対わかっていないだろう」

彼は困ったような顔をしている。本当に心配してくれるようだ。


「あの、なぜ、見ず知らずの私を助けてくれるのですか?」

問いかけると、

「私も人間を信じたいとずっと思っていたからだ」

けれど、長く生きていて、信じられる人などほんの一握りしかいないとわかったと彼は言う。


「昔、友人だと思っていた男に殺されかけた事がある。君がかつての俺に____少し重なった」




「リンジー、あんまり遅くならないように帰りなよ」

 次の日、まるで姉のような口調でたしめるネリアに心持ち心配そうに見送られた放課後、図書館で調べ物をしていた。今日も朝からひそひそ指を指され、まるで汚いものを見るかのような目で見られた。正直に言ってとても疲れる。ささくれた心を人の少ないこの空間で癒している、というわけだ。今日の調べ物は民話。


 デューイ様は自分を吸血鬼だと言った。吸血鬼とは、どのようなものなのか、気になっていた。気になるものは調べてしまおう。本人にいきなり聞くのもどうかと思うし。


 ぺらり。ぺらり。とページをめくる。

__曰く、人の血を飲む。

__曰く、光に当たると死ぬ。

__曰く、蝙蝠に化ける。


今ひとつしっくりこない。ひとつ、ふたつと本をめくりっていくものの、どうにも御伽噺とか噂話の類のようで当てにならないものが多い気がする。


 幾分と古めかしい文献を手に取った時のことだった。はらり。とメモ書きが落ちる。日に焼けた紙は少しぼろぼろになっていた。


__伴侶のいない吸血鬼は早死にする。なぜならば、人に狩られるからだ。


 彼らは、陽の光に当たっても死なない。人と変わらぬ容姿を持つ思慮深い隣人である。身体能力に優れ、闇色の生き物に変身できる不思議な力を持つ。

 人と違うのは、定期的に血を飲まなくてはいけないことと、人の持たない深紅の瞳を持つこと。




 これを書いたのは誰だろう。吸血鬼のことはよく知らないけれども、デューイ様が自分で言っていたことと重なる。正しいことが書かれているのだろう。とすれば__


__伴侶のいない吸血鬼は早死にする。

一文を指でなぞる。


気になる。彼はとても親切な人だと思う。あの彼が死んでしまうのはとても悲しい。





「__と、いうわけなんです」

 学院から帰ってきた私は机の上のカラスに真剣に向き合っていた。

心なしかカラスは、呆れた顔をしているように見える。

 学院から帰ってくると自室の窓のそばに見慣れないカラスがいたのだ。もしかして、と思って部屋に招いてみたらデューイ様だった。


「なので、デューイ様は伴侶の方はいらっしゃるのでしょうか?」

恩人が死んでしまうのは嫌だ。と熱弁を奮い詰め寄ると、彼はやれやれとため息をついた。


「伴侶はいないけれど、当分死ぬことはないから心配はいらない」

 彼が言うには、伴侶のいない吸血鬼が早死にするというのは、人の血を飲むために危険視されやすく、人間に敵対されるからだという。


「俺は曲がりなりにも王家と密約を交わしているし、そこから罪人の血を融通してもらっているから、人を襲うことはない」


だから、狩られないし、心配いらない。そう聞いてほっとした。

「それより、リンジー嬢は大丈夫だったのか?」

 気遣わしげに見上げられて、カラスでも表情ってわかるのね、とこんな時なのに微笑んでしまいそうになった。


「大丈夫、ではないですね。でも、少し世の中を知ったというか」

 言って目をふせる。友人だと思っていた人たちが、噂一つで簡単に手のひらを返すこと、優しげと言われて良いイメージを持たれていたはずの容姿が、あんな姿なのに恐ろしいと悪女の象徴のように言われること。こんな状況になってもネリアは傍にいてくれること。父が変わらず心配してくれること。そして__



 真っ黒なカラスの紅の瞳を見つめた。人でないこの方は、今日も仕事の傍、私の様子を見守っていてくれたらしい。


「俺は……俺が警戒しろと言ったんだが、君がこの世界に、人に絶望してしまうのが恐ろしい」

ぽつり、と呟く彼は本当に温かい心を持つ方だと思う。


「大丈夫ですよ。信じてくれる人もいますし、デューイ様のように助けてくれる人もいます」

 にこっと微笑んで見せると、彼は決まり悪そうに姿勢を何度か変えた。




 それから1ヶ月が経とうとしている。家に帰って、窓からカラスの姿のデューイ様を招いておしゃべりするのは、とても楽しかった。彼はなんだかんだ毎日のように来てくれたから。お茶を淹れましょうか? とお聞きしたこともあるのだけれども、人の姿で令嬢の部屋に上がるわけにはいかないからと断られた。


 そうしている間にも、私を取り巻く状況は少しずつ悪くなっていて、父には言えていないけれども、修道院に行くしかないだろうと思い始めている。


 アニカは悲劇のヒロインとして有名になった。姉を想い、父を想い、オスカーを慕う美少女の話はどこでも話題になっていた。アニカは決してはっきりと私が悪いとは言わない。しかし、オスカー以外に思う人がいた。私がいながら止められなかったと嘆くのだ。


 父はアニカの話を否定してくれたけれども、お義父様が信じられないのも無理ないわ。と涙を溜めるので、周りはみんなアニカの味方だった。


 オスカー様のガノシア侯爵家からは、婚約破棄とそれにまつわる抗議文、婚約者の変更の打診が送られてきた。父は抗議文を送り返そうとしたけれども、私はオスカー様のことが全く信じられなかったので、婚約者の変更はしてもいいと言った。


 父は納得できず、婚約者の変更はしてもいいが、婚約破棄の理由は言いがかりであり、伯爵家を継がせるわけにはいかないと返したという。


 ガノシア侯爵家とスコット伯爵家は険悪になり、お互いに領地間の流通や仕事上の繋がりできっぱりと切るに切れないまま、世間の目から見れば、ガノシア家が悲劇の令嬢アニカを保護するといった形にまとまりそうだ。


 3週間後にはオスカー様とアニカの婚約パーティーがある。これに出席して、少しは誠意を見せたらどうだ、というような内容の手紙がオスカー様から届いたばかりだ。それを机の上に広げたまま、ぼーっと物思いにふけっていた。


「また、ひどいものが届いたな」

 声をかけられて手元を見ると、少し開けていた窓から入ったのかデューイ様がいた。彼はカラスの姿で器用に首を傾げつつ手紙を読んでいる。


「本当に醜い」

行くつもりか? と聞かれたので、はい。と頷いた。

「少し……少しだけ疲れてしまって。これに出たら、修道院に行こうと思うのです」


 こんな醜聞のついた娘がいることは、スコット伯爵家にとって決していい方向には働かない。

「親不孝で本当に情けないし、デューイ様とも、もうすぐお別れしなきゃ……」

口に出して、ぽっかりと感じる喪失感に胸がしくしくと傷む。


 そうか、彼ともう会えない、のか。愚痴を聞いてもらうことも、心配そうな声を聞くことも、ない。


 優しく潜められた笑い声、片目を器用に細めて首を傾げる姿も、もう見ることができないなんて。


「リンジー嬢?」

信じられないものを見たかのように彼が呆然と呟くのと、頬を暖かなものが伝うのは同時だった。

「あれ? どうして……」

涙はぼろぼろと次々に落ちてくる。拭っても拭っても無くならず、後から後から。


 オスカー様に婚約破棄を告げられた日以来、泣いたことなどなかったのに、涙腺が壊れてしまったかのように止まらない。修道院に行けば、悪口も悪意のある視線もなく穏やかに暮らせるはずだ。貴族としての勤めは果たせないし、親不孝だが、もう疲れてしまったから、とそう思っていた。それなのに__


「デューイさま」

小さく呟いた声は、不安げに揺れて、まるで迷子になった幼児おさなごのようだった。


「デューイさま」

うつろに、思考の海に沈んでいく。落ちて、堕ちて____世界が遠くなる。


そして__





「リンジー!」



 苦しげな声が耳元で強めに私の名を呼んだ。気づけば、人型の彼に抱きしめられている。綺麗な顔は今は見えなくて、彼は、腕も身体もひんやりとしているのだと、知った。


「ごめん、なさい。こんなつもりじゃなくて……」

 項垂れる。私の様子がおかしかったから、優しい彼は放っておくことができなかったのだ。

「ありがとうございます。おかしなところを見せてすみませんでした。もう、大丈夫です」


 そっと、胸に手を添えて押し返す。けれど、逆にぎゅっと強く抱き込まれた。

「嫌だ__離さない。離したらきっと__君は、消えてしまうから」


 行かないでくれ、と切なげな声で懇願される。戸惑ったまま、彼にそっと腕を回して抱き返す。

 しばらく、そうしていると、体温が混じり合う。彼の身体が冷たく感じなくなって、こんな時なのに嬉しくて小さく笑ってしまった。


 それを合図にゆっくりと、彼が身体を離す。

「リンジー。あの女の婚約パーティー、俺を連れて行かないか? いや、違うな。連れて行ってほしい。君の、パートナーとして」


何かを決めたような目で、彼は言う。

「よろしいのですか? 私はいろいろと言われてしまうと思いますが」

「ああ。もちろん」

 キッパリと言い切る。潔さと覚悟と、どこか悪巧みでもするような笑顔を添えて。


 たった1日でも彼の隣を歩けると言うなら、私は嬉しいけれど、いろいろ煩わせてしまうと思うのが気がかりだ。でも、心なしか__


「悪いお顔をなさっている気がするのですが……」

「そうかもしれない」

くくっと喉奥で彼は笑った。

「いいか、諦めるなよ、リンジー」

 修道院に行く話は待ってほしいと彼は言った。絶対に伯爵に言わないでほしいと。


「そして、全てに片がついたら__」

 そこで彼は言葉を切った。流れるように膝を付き、私の手を恭しく捧げ持つ、そうして、指先にそっと触れるだけのキスをして__消えた。


 辺りはいつの間にか暗くなっている。霧になって出て行ったのか、と冷静な部分で考えつつ、遅れて頬に朱が登る。耳まで赤くなっていると思う。まるで夢のような、けれど、ドキドキと未だ激しく脈打つ心臓が、あれが夢ではなかったと知らせてくる。


 ぱたぱたとオスカー様とアニカの婚約パーティーの手紙で顔を扇ぐ。

あんなにも見るのが憂鬱だったのに、今はその手紙を見ても、何も感じなかった。

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