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違和感に気づいた龍彦は、食堂の出入り口に視線を馳せた。
途端、店を出ようとしていた男と視線が絡む。
飛び跳ねるように肩を揺らした男に、龍彦は反射的に盆からあるものを手に取った。
「お、おい! 朝川!?」
「大変満乃さん! そこの席にいた方がお代を払わずに出て行って……!」
背後でようやく満乃が出てきたときには、すでに事は済んでいた。
銭を払わずに姿をくらませようと目論んだ男を、龍彦が店先で馬乗りに取り押さえたのだ。
男の眼前に突き立てたのは、美しく磨かれた銀のフォークの先だ。
美しい夜空とぎらりと凶暴な龍彦の瞳から見下ろされ、男は目を剥いて硬直していた。
「生憎、お前みたいな不味そうな目玉を喰らう趣味はねえけどな」
「あ、あ……っ」
「それでも、やらかした罪の代償は払わなくちゃならねえ。どうする。ご希望ならばその目玉をほじくるくらいはしてやるが──、いて!」
次の瞬間、固いものが龍彦の脳天にぶち当たる。
振り返ると、そこには眉をきっと上げ、お盆を両手で振り下ろした満乃の姿があった。
「もう! 龍彦さん! いくら何でもやり過ぎです!」
「ああ!? 無銭飲食の輩をひっ捕らえてやったんだろうが!」
「だからって目を突くのはあんまりです! そんなことのためにうちのフォークを使わせるわけにはいきません!」
「……フォークの心配かよ」
満乃に一喝された龍彦は、仕方なしにフォークを引く。
突然の捕り物に呆気にとられていた民衆も、一瞬の間を置いて盛大な拍手が湧き上がった。
「おお! まあたあんたか、龍彦の兄ちゃん!」
「相変わらず気持ちのいい捕り物を見せてくれるぜ!」
「当然だ」
「こらこら! おじさんたちも、そうやって龍彦さんを持ち上げ過ぎないで!」
周囲からの歓声に、龍彦は短く答え、満乃はびしりと諫める。
門の外に出る機会が増えてから、こういった小さな沙汰に出くわす回数も幾ばくか増えた。
女のみで切り盛りしているこの食堂で、こういった騒ぎは珍しくない。
その度に居合わせた龍彦が強制的に落とし前を付けさせ、やり過ぎた捕り物を満乃が諫める。
そんな流れが、ここ最近のみたしや食堂の恒例行事となりつつあった。
「おいおい朝川。どうするんだよ、その男」
「持ち帰る他ねえだろ。人様の食事を邪魔立てしやがって」
先ほどのコロッケは、まだ皿に半分ほど残したままだ。
盛大な舌打ちをした龍彦に、満乃は困ったように笑った。
「仕方がありませんね。今の捕り物のお礼にまた後日、美味しいコロッケをご馳走しますよ」
「いいのか?」
「ええっ、いいないいな。俺もぜひ満乃さんのお礼を……!」
「お前は手前の皿を空にしてから駆けつけただろうが」
さくっと突っ込んだ龍彦に、田村は「うぐ」と口を噤む。
こいつは真面目に見えて意外とちゃっかりしているのだ。
本日の代金はしっかり支払い、無銭飲食の男を連れ立ったふたりは食堂をあとにした。