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 それから数日。

 詐欺師らのアジトから押収した資料を、龍彦は黙々と精査し続けていた。


 普段資料読みにはつゆほども興味を示さないはずの龍彦の変貌ぶりに、周囲の者はそろって目を見合わせた。

 あれだけ熱中していた鍛錬場通いも、ぱたりとなりを潜めている。


 どうやら街外れの詐欺師集団は、儲けた金を軍資金に危ない薬物売買まで着手していたらしい。

 薬物の品質は相当低いが、それでも手を出す金持ち界隈を中心に裏で取引されていたという。


 その症状は種類によって様々で、高揚感、せん妄、意識混濁、あるいは極度の興奮状態など──。


「熱心だな、朝川」

「……神無月副長官」


 缶詰になっていた資料部屋の戸が開いた。

 笑顔で姿を見せた神無月に、龍彦は思わず固い声が出る。


 そんな様子を知ってか知らずか、神無月はいつもの爽やかな笑みをたたえ龍彦の机を覗き込んだ。


「ははあ。先日大捕物があった詐欺師集団関係のものだな。お前がなかなか鍛錬を誘いに来ないから、腹でも壊して寝込んでいるのかと思ったぞ」

「別に寝込んじゃいません。今はこうしていたほうが気が紛れるってだけで」

「ほう。それはつまり、事務作業をしていたほうが都合の悪いことを思い出さなくて済む……と」


 穏やかな言葉に、龍彦はばっと顔を上げた。

 窓からの陽の光を背負い、神無月は口元を弧に象る。


 見上げる龍彦の視線が、無意識に鋭くなった。


「みたしや食堂のあの子と何やら揉めたらしいな。それ以来、あの食堂にも足が向かなくなったと。意地悪でも言って泣かしてしまったのか?」

「……もしかして、おちょくっていますか」

「いいや? 俺はお前に(いか)っている。上官という立場上、顔には出さないが」


 言葉にされた瞬間、びりっと鋭いものが室内に走る。

 表情こそ穏やかな笑みを貼り付けたままの神無月は、気配を辿れば確かに憤怒していた。


「まあそれも、結局詳細はわからず仕舞いだ。あの子は詳細を話そうとしないし、こちらが勝手に理不尽な怒りを燃やしている可能性も大いにあるわけだが」

「……」

「煮詰まっていても好転はしまい。何があったか話せないか」

「……罪人の男から、あの女と副長官が蜜月関係なのだと聞いた」


 その瞳を真っ直ぐ見据え、龍彦は告げた。

 向き合う神無月は、僅かに目を見張る。


「俺は、満乃が己の力で苦境を脱し今の店を築いたのだと思っていた。自分と同じく、苦汁を舐め続けたからこそ強い芯を持っているのだと。でも違った。今の店を出せたのも、いつも幸せそうに笑っているのも、全部全部、あんたから青天井の援助を受けているからなんだな」

「……」

「それを知ったから、あいつに興味がなくなった。それだけだ。気に喰わないのならばいつでも懲罰に呼びつければ応じて……」

「っ、ぷ、くくく……」

「……は?」


 信じられないものを見る目をする龍彦に対し、神無月はなおも肩を大きく揺らす。

 最終的に堪えきれなくなったようにぶはっと息を吐き出した神無月は、腹を抱えて笑い出した。


 いつも穏やかな人柄にはまるで似つかわしくない、豪快な笑いだ。


「……殴ってもいいですか?」

「ははっ、いや悪かった。まずお前は大きな勘違いをしている。私と満乃ちゃんはそういった色沙汰の関係にはない。確かに彼女は美人だがな。いくつ歳が離れていると思っている?」

「っ、でも、あんたが夜な夜なあの食堂に通っていると」

「それは周囲の目を気にすることなく、彼女の近況を聞くためだ。あの子は、私の幼馴染みの娘だからな」


 予想とは斜め上方向の答えに、龍彦は首を傾げる。


「これは誰にも話してはいないことだが、満乃ちゃんは私の幼馴染み……もっと言えば初恋の相手の一人娘なんだ。その幼馴染みが遠方の者と婚姻してからは疎遠になっていたが、その一人娘が両親を失い行くところをなくしたと聞いてな。急遽身元を引き受けた。悪知恵の働く輩に手籠めにされる直前だったな」

「……満乃が?」

「あの子の家は、もとは政治界にも顔のきく華族だった。それもあの子の親の代になって早々に返上したがな。引き取ったこちらでも相応の暮らしを用意する腹づもりでいたが、あの子はそれを頑なに断った。自分自身で生きる力を身に付けたい。それが両親から受け継いだ最大の教えだからと」


 結局満乃は、一月も経たないうちに仮住まいしていた神無月邸を出た。

 高品質の着物や甘美な装飾品、その他のものは全て売り払った。

 必要最低限の荷物と両親が残した遺産を手に、満乃がまず初めにしたことは、食堂を建てることだった。


 立地のよすぎる土地については、実は神無月が密かに裏で手を回したらしい。

 満乃を想う恩人の最後の我が儘ということで、事後的に許しを得たという。


「だからあの子の食堂は、この警視庁と目と鼻の先にある。なにか問題があればすぐに駆けつけることができるように。あの子は自立志向が強いが、如何せん育ちが良すぎる。心の根っこのところでは、人を疑うことができていないんだな」

「……」

「お前が何を基準に判断するかはわからないが……少なくともあの子は、その者の生い立ちで人を図ることはしない。自分の作る料理を求める者に、美味しい料理を差し出す。それだけだ。母親が生前教え込んでくれた……思い出の料理を振る舞ってな」


 静かに語る神無月は、嘘を言っているようには見えなかった。

 龍彦は呆然とした頭で、数日前の自身の振る舞いを振り返る。


 いつものように、笑顔で龍彦を出迎えてくれた満乃。

 あのときも、他の同僚に対してよりもほんの僅かに頬を紅潮させ、嬉しそうに微笑んでくれていた。


 そんな彼女に、自分はいったい何を言った?


「っ……馬鹿か、俺は……」

「そうだな。近年稀に見る大馬鹿者だし、身元を引き取った身としては数発殴ってやりたいところだ。上官という立場上、実行には移さないが」

「いっそ気の済むまで殴ってくれ」

「断る。真にお前が(こうべ)を垂れるべきは、俺に対してではあるまい?」


 さすが文武両道の副長官は、痛いところを的確に突いてくる。

 あるいは鉄拳制裁よりも、はるかに鋭い痛みだ。


「それにしても。お前も案外素直な奴だな」

「は?」

「お前は先ほど、『あいつに興味がなくなった』と言っていた。それはつまり、満乃に興味を持っていたということだろう。あの子が作る料理ではなく、あの子自身のことを」

「……」

「これ以上は野暮だがな、あまりあの子をいじめてくれるなよ。……次はないからな」


 最後の言葉に宿された強い意志に、すうっと背筋が冷たくなる。


 とはいえ、それも致し方がない。

 全ては罪人の話を鵜呑みにした浅はかな己のせいである。


 その後、請け負っていた資料整理を全力で済ませ、副長官に確認の印を賜りに行った。


 ……その際、重箱の隅をつつくような軽微な漏れを繰り返し指摘されては十を越える直しを受けることになったのもまた、浅はかな己のせいである。

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