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3、イチゴ

 パーミャチをモデルに描いていくと、小宮はどうしても意識してしまうことが生じた。パーミャチの立てた膝や爪先の動き、優しさで潤んだような眼差しに、言いようもない色気を感じる。毛の色が淡いだけのはずなのに、彼の毛並みはとても柔らかそうに見える。彼の肩のラインの毛先を描き込みながら、邪な考えが脳内で止められなくなっていた。


「僕の初恋は、同級生の雄秋田犬だった」


 空気にそっと乗せるように、パーミャチは話し始めた。小宮は短く相槌だけする。


「秋田犬は子ども園出身だった。家庭で育てられた僕には、彼が凄くしっかり者に見えたよ。早くから自立してる感じがした。

 当時2人共『トルネードヒーロー』が好きで、僕が親に買ってもらったトルネードレッド人形を見本にして、一緒にスケッチしたり、粘土で作ったりした。そしたらさ、彼には芸術的才能があると子ども園で認められたらしくて、あっという間に芸術大学付属校へ転校したんだ。その後彼は映画業界では有名な造型作家になった。比べて僕は」


 パーミャチはパサッとページをめくる。


「誰も何も言わない。才能が無かったんだ。惨めな気持ちだったが、僕は粘土を捏ねることを止めなかった。彼に並ぶ位に上達して、同じ道に進みたかった。でも両親は束縛がキツくて、地元から遠い芸術大学に行かせてもらえなかった。何とか説得して、隣町の専門学校に行くことは許してもらえた。そこで結局限界を感じて、立体作品は諦め、パッケージデザインの仕事を選んだ。幸いデザインの方は学生コンクール受賞する位には成長したからね」


 パーミャチの手は動いていない。片膝を立てて座っているだけだった。小宮も手を止めて、彼の話を聴いていた。


「専門学生の頃に子どもを作った。地元のバイト先で出会った赤茶色(レッド)&ホワイトの毛並みの可愛い女の子だった。めでたく5頭産んでくれたよ。

 そういえば、小宮さんは子ども作っているの?」


「いや作ってない」


「へぇ~、雌からいっぱい声かけられそうなのに」


 実際、小宮は過去に何度も誘われたことがある。しかしどれも丁重に断っていた。

 パーミャチは再びポロポロ話し始める。


「自然交配を要求されたから応じた。でも上手くいかなかったから体外受精に切り替えた。すると最初は了承してたはずの彼女が、産後ひどく僕を責めた。彼女は僕と結婚もしたかったみたい。そんな約束は一切してないし、僕は親権を持たないと宣言していた。後から言われて本当に困ったよ。子ども課が間に入って話し合い、2人共親権を持たずに、子ども達は園に入った。おかげで順調みたいでさ、1人は難関大学受験を目指しているって聞いたよ」


 「そうか」と小宮は簡易的に相槌した。別によくある話だと思った。


「その時はっきり気付いた。僕は雌に対して恋愛感情も肉体的欲求も持たない。心に靄がかかっていたものが、鮮明になった。昔、雄秋田犬を追うように美術の特訓をしたのは、彼への恋愛感情があったからだと。

 同種異性愛以外の存在は有り得ないという両親だったからね。僕は泣き叫ぶ彼等を無視して、ほとんど無一文で北島を出た。色々ツテを頼って仕事を見つけて生活して、雄犬と恋愛を楽しんだ。

 で、今僕はここで裸になってます」


 パーミャチは微笑む。髭がやんわり下がっている。


「お前が勝手に脱いだんだろ」と小宮は言った。


「小宮さんはもう描けた?」


「あぁ大体な。ヒト以外の二足歩行姿を見ながら描くのは初めてだったから面白かったよ。改めて()()()()()()()()()()()()()()()()と学んだよ」


「僕も同じことを思った。まだ絵を見せてなかったね」


 パーミャチは椅子から立ち上がり、スケッチブックの小宮の前に置いた。


「今までこっそり描いたのも全部あるよ。良かったら見て」

 Tシャツを着ながらパーミャチは言った。


 小宮はパラパラとスケッチブックをめくる。最初は走り書きが多い。教室にいる自分をこっそり描いたのだろう。ヒトモデルデッサンの端に小宮がいた。

 段々と紙の中で自分を占める割合が増えていく。形もくっきり立体的になり、傍の小物で、いつの講座の時は思い当たるようになった。


「酷いストーキングだ。俺が一般動物なら、とっくに警察に通報してるな」


「ごめん」とパーミャチはクスクス笑った。

 パーミャチは座っている小宮の傍で立って一緒に絵を眺めている。


「このスラックスの皺、デフォルメしてるだろ?

 こんなに張っている訳無い」


「いやいや、ここは結構忠実に描いたつもりだよ。凄く印象的だったもの」


 小宮は軽く衝撃を受けた。服を着た時のボディラインは徹底的にチェックしてたつもりだった。しかし斜め後方から描かれた自分は、見たこともない身体をしていた。

 その他にも仕草の癖や、舌の出し方。無意識とは恐ろしく、観察されていたのが怖い。パーミャチのデッサン力の高さが余計に小宮の背筋を凍らせた。


「うわっ、何だこの身体?!」


 小宮が見たのは、午前中のデッサンだった。体毛をほとんど無くした上半身がチカチカしながら目に入ってくる。


「何って、君じゃないか」パーミャチは苦笑いする。


「俺ってこんなに皮膚を剥き出しにしてるのか……

 不気味だ……」


 ワイシャツを着た時に胸板のラインが綺麗に出るように、小宮は化けで体毛を極限まで減らしていた。だが、他者の目を通して写る自分を見た時、とてつもない違和感に襲われた。


「皆、俺の筋肉じゃなくてサスペンダーのことしか言わない理由が分かった気がするよ」


 小宮は肘をつき顔を手で覆いため息をついた。これ以上スケッチブックを見るのが辛かった。


「キッチン借りるよ。コーヒー淹れるね」


 小宮は返答しなかったが、パーミャチは気にせず電気ケトルに水を注ぎ始めた。


■■■■■


 小宮の自己管理っぷりは、自他共に認める素晴らしさだと思っていた。しかしそれは他者からでは修正しようのない自分の思い込みだったのではないかという考えに至った。たまらなく恥ずかしい気持ちに小宮は襲われた。


「自分を責めなくて良いと思うよ。君の身体は、努力の賜物だもの。他者が文句言う筋合い無いし、無視すれば良い」


 コンッとパーミャチはソーサーに載せたコーヒーカップを小宮の前に置いた。スッとスケッチブックはトートバッグに片付けた。


「……隠してたのかもしれない」


「何を?」


「自分を、だ。身体を鍛えるきっかけは、大型動物が所属する運動クラブに入ったからだ。必死で身体を大きく見せようとした。だけど、今思うと『見せてた』のではなく『筋肉で隠してた』のかもしれない」


 小宮はコーヒーを啜る。深煎りの苦い香りが、頭と口の循環を良くしてくれるようだ。パーミャチは向かいの席で静かに聴いていた。


「さっきパーミャチが言ってた靄ってのが、ずっと引っ掛かっている。多分それは俺の中にもある。でも俺は靄に背けて、客観的に評価されることだけに精進してきたんだ。運良く、そこそこ社会的に成功してはいるが」


「小宮さんは靄を晴らしたいと思っているの?」


「気付いた以上、放っておきたくないな」


「真面目だねぇ。じゃあ僕からのアドバイス。

 靄を晴らしたかったら、素直に言葉で出してみるんだよ。間違っててもいい。まずは出すことが大事だよ」


「言葉に出す……」


「小宮さんの靄の中に誰かいるのかな?

 誰でもいいんだよ。幼い頃の自分や、子ども園職員、今は連絡を取ってない友人でも」


 ドクンと、心臓が脈打つ。

 浮かぶのは1人しかいない。


「もしいるなら、ソイツに何て言いたい?」


 パーミャチの瞳はオッドアイではない。淡い淡い水色だ。まるで水の粒子を眼球に収めているようだと小宮は思った。その瞳に犬の影が映っている。


「……好きだ……と」


 口から溢れた瞬間、身体中が熱くなる。

 馬鹿馬鹿しい、と言い聞かせてきたが、もう否定することが出来ない。口に手を遣り、感情を露わにしないように堪えた。


「『雄』のポメラニアンのこと?」


 反論出来ず、小宮は頷く。


「小宮……」


 パーミャチは立ち上がり、テーブルに視線を落としている小宮の傍に近付く。


「焦って晴らす必要はないよ。簡単な作業じゃないから。

 でも、折角だから……」


 小宮の硬くて厚い肩を、パーミャチの肉球と少しだけ出した爪が掴む。


「君の心の靄の中に、僕も混ぜてくれないかな……」


■■■■■


 警察機動隊という過酷な職業が、どれだけ心身を消耗しても早朝決まった時間に目覚める習慣を創り上げていた。

 四足歩行姿の小宮は、寝室の敷布団の上で伸びと欠伸をする。すぐ隣には四足歩行姿のパーミャチがまだ寝ている。小宮と違い、パジャマを着ていた。

 いつの間に着たのかと小宮は恥ずかしくなり、慌てて二足歩行姿に化け、放り出してクシャクシャになっていたパジャマに手を伸ばす。


 パーミャチを寝室に残して、小宮は洗面所で支度を済ませる。今日は真っ赤なサスペンダーにした。キッチンで朝食作りを始め、コーヒーを淹れ始めた頃にリビングと寝室を繋ぐスライドドアが開き、パーミャチが現れた。小脇に昨日着ていた服を抱えている。


「コーヒーの香りで目覚めるって最高だね。

 洗面所借りるよ」


 小宮がダイニングテーブルにコーヒーと鶏ハムとフルーツを並べ終えたタイミングでパーミャチが戻って来た。


「パジャマ、洗濯かごに入れたから。

 わぁ、朝食も美味そう〜」


 パーミャチは目をキラキラさせながら座る。

「いただきま〜す。小宮のご飯食べてたら、嫌でも健康になりそうだよ」


 小宮は照れ臭そうに微笑んだ。


 ピンポーン


 インターホンが鳴った。小宮がモニターを見に行くと、宅配員が映っていた。ドアを開けて、片手でも持てそうな小さな段ボールを受け取る。


「大輔から?!」


 すぐに「しまった」と小宮は思ったが、パーミャチは大輔の名を知らない。冷静なフリをしながら、キッチンでハサミを取り出し開封する。パーミャチは黙ってコーヒーを飲んでいた。


 中にはパック詰めされたイチゴが入っていた。その上に、折り目がズレた紙がある。紙を一旦箱の横に置き、イチゴパックを取り出す。


「イチゴ?」

 カウンター越しにパーミャチが言った。


「そうだな、随分大きいが……」


 フィルムを外し、一際大きなイチゴを手に取る。小宮の手の平にドンと乗るイチゴは三角錐の形をしているが、ヘタ周りがかなり盛り上がっている。他のイチゴもどれも、粒は大きいが歪な形をしている。


 小宮は訳が分からず、折り畳まれた紙を広げる。雑な字が並んでいた。


『俺の嫁さんの親せきがイチゴ農家で、こないだ手伝った時に規格外品をいっぱいもらったからおすそ分けだ。

 一番デカいのとかスゴいだろ。お前の胸筋みたいにパッツンパッツンだな。

 ちゃんと食べろよ。大輔より』


「……小宮」


 パーミャチがいつの間にか隣に立っていた。手紙と段ボールに貼られた送付状を交互に見ている。恐らく()()()()()()知られただろう。

 小宮は黙った。自分は今どんな顔をしているのだろう。パーミャチの表情が穏やかな理由も分からない。


「靄を晴らすことは、その中にいる影を消すことじゃない。いつまでも君の記憶にいて良いんだ。きっとかけがえのない存在のはずだから」


 そう言うとパーミャチは小宮の横顔をスッと舌で舐めた。


「仕事あるから行くね。また後で」


 パーミャチは廊下に出た。ドアを施錠する音が響く。


 小宮はイチゴを持ったままキッチンを離れる。パーミャチが置いていったトートバッグから画材を取り出し、デッサンを始めた。

次は、登場動物紹介です。

色々補足説明してます。

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