表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

2、デッサン

北西灯市(きたせいとうし)住宅街

某中型動物専用単身向けアパート

小宮の自宅


 二人は小宮自宅でデッサンする約束をしていた。

 時間ピッタリにインターホンが鳴る。ゆったりした地厚の白いTシャツとブラウンのストレートパンツ姿のパーミャチが部屋に入る。足元の白い靴下は、汚れも穴もない。


「グレートーンで統一されたカッコイイ部屋だなぁ。」


 パーミャチから受け取った手土産の枝肉を廊下の肉用冷蔵庫にしまい、小宮はカウンターキッチンでコーヒーを淹れる。明日の午後まで非番だが、小宮はワイシャツの上に薄いグレーのサスペンダー、グレースラックスに濃いグレー靴下まできちんと身に着けていた。


 携帯電話番号を交換し、教室で顔を合わせる度に、喫茶店で話すようになった。

 パーミャチは元々彫刻や銅像に興味があったが、就職との折り合いで、パッケージデザインの道に進んだ。今は趣味として、フィギュア造型や陶芸をしており、デッサンもその延長で続けているとのことだった。


「さっ、始めようか。この椅子借りるね」


 パーミャチはダイニングテーブルの背もたれ付き丸チェア2脚の内1脚をリビング中央に運ぶ。小宮が正方形のダイニングテーブルに置いたコーヒーカップの横に、トートバッグから出した画材を広げていく。

 小宮は立ったままでコーヒーを飲みながらその様子を眺めていた。


「こんな機会滅多にないから、どんどん要求しちゃうよ。無理強いはしないから、嫌ならノーと言ってね。でもこれだけは了承してほしい」


「何だ?」


「ワイシャツとサスペンダーを脱いで、上半身裸になってほしい。スラックスは履いたままで良いからさ」


 小宮はコーヒーでむせそうになったが、必死に冷静さを保つ。デッサンモデルなのだから当然だ。彼は筋肉や骨格を描きたいのだ。教室でヒトモデルは男女共に下着も履かず全裸で務める。上半身だけなら何てことない。


 削り器で鉛筆を尖らしているパーミャチを脇目に、小宮はサスペンダーの金具をパチっと外し、緩く二つ折りしてテーブルに置く。続けて爪を納めた肉球付きの指先で、器用にワイシャツのボタンを外していく。


「やっぱり凄い肉体だね。彫刻以上だ」


 小宮はボディビルダーのように、自分の身体を披露する経験をしたことがない。仕事柄、他者と寝泊まりや入浴をする機会は多いので、裸を見られることへの抵抗はない。しかし今回は自分の身体を見たいという者の強い視線を浴びることになるのだ。不思議な熱が体内で巡り始めていた。


「その椅子に座って。楽な姿勢で、尻尾も下げてて。向きはこんな感じ。途中で『動かないで』って言うまでは、少しは首を動かして大丈夫だよ」


 服を脱いだ小宮は丸チェアに浅く腰掛ける。


「背筋伸ばしてたら疲れちゃうよ?」


「これもトレーニングだ。それに、力が入った筋肉の方が良いだろ?」


 パーミャチは「ありがとう」と微笑みながら言った。


 丸チェアは対面に位置しているが、小宮は斜めに身体を構えて座る。身体と首を同じ向きにすると、パーミャチの姿は視界の端になる。


「僕は姿勢崩すね」

 パーミャチは机を使わず、折り曲げた片膝でスケッチブックを支えて描き始める。丸チェアの縁に乗っている白靴下の爪先がうねうね動く。


 小宮は時々パーミャチの様子を見る。

 彼の周りだけ空気が変わったようだ。髭や毛先がピンと立っている。最小限の目と動きで、モデルと紙を往復する。鉛筆を持っている側の腕が一心不乱で小刻みに動いている。機械のごとくレーザーで捉えたものを正確に紙へアウトプットするように、ただ目の前のものを描いていた。


 パーミャチの様子を見て、自分は胸と肩を張って座っていれば良いだけなのだと思った。


「今は、首も目線も真っ直ぐにして動かさないで……」


 スケッチブックは目を落としたままパーミャチは言った。トーンを抑えた静かな声だった。


「そう、そのままで……良いよ、美しいよ」


 彼の口から溢れた「美しい」という言葉。小宮の耳に届いた瞬間、脳がおかしな信号を出したようだ。とても甘美なものとして、身体を浸していく。

 小宮は「集中しろ」と念じた。デッサンを始めて10分は経っただろうか。背筋を伸ばすのが疲れてきた。だが自分から言い出した以上、緩める訳にはいかない。小宮は姿勢の維持に努めた。

 バサバサと、パーミャチがスケッチブックのページを切り替える音が室内に響く。


■■■■■


「お疲れ、休憩しよう」


 パーミャチがスケッチブックをテーブルに置き、伸びをした。小宮もフッと身体の力を抜いた。


「昼飯を用意する。枝肉を使わせてもらうよ」

 小宮は素早くワイシャツとサスペンダーを身に着けた。


「手伝うよ」


「いいよ、君は休んでいてくれ。

 テレビもクッションも好きに使っていい」


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 パーミャチは画材をトートバッグに仕舞うと、テレビボードにきちんと立てて保管されているリモコンを手に取り、クッションの傍に腰を下ろした。


 エプロンを着た小宮は、肉用冷蔵庫から枝肉を取り出す。新鮮で脂身の少ない鹿肉。まな板に立てて、包丁で赤身を削いでいく。


「有料配信、見てもいい?」


「ああ」小宮はカウンターキッチン越しに返答した。


「ありがとう……。

 これ昔流行った映画だ。観たことなかったんだよね〜」


 動作確認してから一度も視聴せず月額料金だけ払っている有料配信サービス。クラシック音楽と艶めかしい雌雄の会話がリビングとキッチンに広がる。


 大鍋の湯が沸騰し始めた。小宮は削ぎたての薄肉を鍋に放り込む。茹で時間はほんの少し。余分な脂身とアクを湯に残し、肉を取り出す。切った生野菜と電子レンジで加熱した根菜類を混ぜてドレッシングをかければ完成だ。


 パーミャチは一番大きなクッションに背を任せ、小さなクッションを肘置きにしていた。スマートフォンを撫でながら、1.5倍速再生にした恋愛映画を観ている。


「昼飯が出来た。食べよう」と小宮は声をかけた。


「ありがとう」パーミャチは立ち上がる。


 鹿肉サラダと温ほうじ茶が並んだ席に二人は着く。

 小宮が手を合わせて「いただきます」と言おうとした際、パーミャチが割り込むように話しかけた。


「ねぇ、小宮さんは今フリーって言ってたよね?」


「そうだが」


「じゃあ、これは誰の毛? 身内じゃないよね?」


 小宮の目が見開く。パーミャチが指先で持っていたのはオレンジ色の柔らかい一本の毛だった。


「ゴールデンレトリバー? ポメラニアン?

 君は長毛種が好みなの? ちなみに雄雌どっち?」


 薄グレーの毛並みに囲まれたパーミャチの瞳が淡く光る。


 テレビ画面には、主人公とヒロインがサクサクと互いに舐め合っている様子が流れていた。


■■■■■


 数秒、沈黙が漂う。


「料理冷めちゃうね、頂きます」


 パーミャチはオレンジ色の毛を皿横に置き、フォークを持って食べ始める。小宮も黙って鹿肉を口に入れる。


「美味しい。このドレッシング、どこで買ったの?」


「オリーブオイルと酢とハチミツで作った」

 小宮はぶっきらぼうに答える。


「手作りなんだ。凄いや」

 パーミャチはにこやかに食べる。


「嫌ならノーと言ってね。

 単刀直入に言うと、僕は小宮さんが気になっている。だからこの間既婚かどうか、恋人がいるか尋ねた。君はいないと言った。でも、あの小さなクッションに、そんなに古くない毛があった。どういうことか僕は知りたい」


 パーミャチが恋愛という意味で、自分に好意を向けているであろうことは、彼の匂いや雰囲気で小宮は悟っていた。それに抵抗してこなかった自分も自覚する。それを今遂にパーミャチからストレートに伝えられてしまった。奇妙な照れが生じる。小宮は嘘無く事実だけを話そうと思った。


「その毛は、雄ポメラニアンのものだ。

 少し前に、古い友達が泊まりに来たんだ」


「幼なじみと楽しんだ訳か」


「違う。奴は異性愛者だ。子を授かったことを機に結婚して、妻が営む農場を手伝う為に南灯に引っ越した。

 俺も奴も央灯(おうとう)近くの子ども園で育って、奴はずっと地元にいたが、南灯に越す際にトラブルが起きて、急遽俺の家に泊まったんだ」


 「違う」とハッキリ言った自分を、小宮は少し虚しく感じた。


「そっか、雄ポメラニアンの方は問題無さそうだね。じゃあ君の方はどうなの?」


 パーミャチはサツマイモを口に入れた。


「どういう意味だ?」


「君はそのポメラニアンについて恋愛感情はあったの?」


「馬鹿なこと言うなよ。付き合いが長いだけだ」


「警察として忙しい君が、アポ無しで友人を泊まらせたの? ビジネスホテルに泊まらせればいいのに。

 このリビング。とても片付いているのに、クッションだけは毛が残ってた。彼が来てからカバーを替えてないんだ?」


「忘れていただけだ。普段俺はリビングのクッションは使わないからな」


「有料配信。契約開始はちょっと前なのに閲覧履歴が全然無かった。実はポメラニアンがまた来ることを期待してるからだったりして」


「いい加減にしろ。俺はプライバシーを詮索される為にお前を招いたつもりはない!」


 小宮は両拳をテーブルに叩きつける。カシャンと皿が鳴った。


 ブラック&ホワイトタイプの毛並みを持つ小宮。黒く縁取られた毛並みからオッドアイで相手を睨み付ける。パーミャチはそれを静かに見ていた。


「ごめん。もう、僕からは聞かないよ。

 ちょっとだけ嫉妬が混じっちゃった。

 僕は君の忙しいスケジュールに合わせて、やっと今日を迎えたのに、君の友人はあっさり君に会えたんだから」


 パーミャチは宣言通り、その後は黙り、食事を続けた。


■■■■■


 食事後パーミャチが皿洗いを申し出た。「先程の詫びだから」と彼が言うので、仕方なく小宮はお願いした。

 小宮はダイニングテーブルからカウンター越しにパーミャチの様子を見た。サラダボウルは小宮が気に入っている焼物作家の作品だ。丁寧に扱ってほしいと今更言いにくく、祈るように見守るしかない。

 しかし小宮の心配は杞憂に終わった。パーミャチは優しくスポンジを滑らせ、慎重にシンク横のカゴに並べた。彼は陶芸が趣味だと言っていた。器を雑に扱うことはしないのだろう。


 大輔(アイツ)とは違うからな……と頭に浮かんだが、すぐに首を振って消し去った。


「終わったよ」


「ありがとう。やらせてしまって悪かったな」


「いや、僕が頼んだことだし。あのさ……」


 パーミャチは口元に笑みを隠しながら小宮を見る。


「もう一回描かせて。服を着たままでいいからさ」


 今モデルを務めるのは正直落ち着かないが、それを相手に言うと、かえって意識してることが伝わってしまうのではないかと思う。


「今度は小宮さんも僕を描いたら? スケッチし合うんだ」


 小宮は了承した。先程「詮索するな」と言ったが、このまま彼が帰ることは避けたい気持ちもあった。

 パーミャチはスケッチブックの紙を破り外す。小宮の家には画材が無いのだ。

 1回目同様に椅子をリビング中央に置く。パーミャチは、小宮にテーブルでデッサンするよう言った。そしてTシャツを脱いだ。


「何で脱ぐんだ?」


「その方が公平かなと思って」


 小宮は、毛に覆われたパーミャチの背中を見る。

 思っていた以上に痩せており、顔周りや腕に比べて毛艶が悪い。


「お前、普段ちゃんと飯を食ってないだろ?」


「やっぱり分かる?

 自炊しない訳じゃ無いんだけど、今の職場人手不足でブラック気味でさ。3食摂ってる暇ないんだよね」


 パーミャチは苦笑いしながら、中央の椅子にもたれて座る。スケッチブックを立て膝で支え、ササッと鉛筆を走らせ始めた。

 小宮も机に向かった状態で、パーミャチを方をチラチラ見ながらスケッチを始める。


 平日の昼下がり。

 時折過ぎ去る車の音が窓の向こうから聞こえる以外は、静かな空気が二人を包んでいた。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ