1、パーミャチ
※BL強めです
※完結済連載小説『マッチョなハスキー警部と気まぐれポメラニアンは幼馴染』の続編です。こちらを先に読むことをオススメいたします。本作単体では、キャラクター情報が不足しており、分かりにくいです。
○真面目系タフマッチョシベリアンハスキー獣人✕文化系やつれ気味シベリアンハスキー獣人
獣人と書いてますが、90%以上獣です。
○めちゃくちゃスッキリハッピーエンドとは言いにくい結末です。でも、互いに尊重し合う素敵な関係性です。
西灯駅前通り沿いの8階建て雑居ビル。
6階『気まぐれ絵画教室』受講室。
目の前の大通りと平行に並ぶガラス窓は全て開けられ網戸だけになっている。窓の向こうでは、暖色の光球がぼやっと暗がりに浮かんでいる。通りの挟んだ先にあるガラス張りのショッピングセンターの室内照明だ。
電車の走行音が、昼行動を主とする動物達を帰路へ導く。あと数時間もすれば、夜行動を主とする動物達が活発に動き出すだろう。
夜風がスーッと入る。雄シベリアンハスキーの小宮は、風に乗って聞こえてくる外の音を、尖った耳で楽しみながら、鉛筆を走らせる。1人用作業机には、スケッチブックと鉛筆と消しゴム。そして今回のお題のイチゴ3個が皿に盛られている。
6階の一番広い部屋で、蛍光灯と作業机と椅子が、規則正しく並んでいる。小宮と他数名の受講生が静物デッサンに取り組み、講師の雄ブタとアシスタントの若い牝鹿が席の隙間を縫うように歩いている。
「今日はイチゴをデッサンするの?」
「はいっ。見本のイチゴを皆様に配っています」
アシスタントが入ってくる受講生に都度説明しながら席に案内する。気に入らない場合は帰るか、別室で他の作業をすることになる。
社会動物向けの『気まぐれ絵画教室』は、定休日以外は24時間営業だ。会員登録すれば、いつでも自由に受講出来る。受講室では、専門の講師による油絵やデッサン講座がある。入退室は自由で、画材は有料レンタル品を使える。ロッカー利用オプションをつければ私物を常に教室に置いておくことも出来る。服を汚さない為の割烹着やエプロンも無料で借りられる。
気が向いた時にいつでも絵が描ける。それが『気まぐれ絵画教室』の特長だった。
「このイチゴ、どうしたの?」
「室長のご親戚が西灯中でイチゴ農家されてまして。お裾分けを沢山頂いたんです」
「へぇ~、イチゴってあの辺でも作られてるんだ。
イチゴといえば南灯が有名だもんね」
講座開始時からいる小宮は、この会話を5回程繰り返し耳に入れている。アシスタントの台詞はほぼ同じに対して、受講生の返答は毎回少しずつ異なる。その違いを小宮は興味深く聴いていた。
「今日のサスペンダーのお色はとても上品ですね」
自分の横を通った雄豚の講師が言った。首回りのたるみや皮膚の質感に老いがくっきり現れている。眼鏡の奥の眼差しは、老年ならではのゆとりがある。
「ありがとうございます」
小宮は濃紺に銀色の糸を織り込んだサスペンダーの位置を指で整えながら言った。
西灯警察機動隊に所属する警部の小宮は、スラックスとワイシャツ、そしてサスペンダーがトレードマークになっている。サスペンダーを着けているのは、自身の美学で鍛え上げた上半身を魅せる為だが、その日の気分で色やデザインを変えるサスペンダーの方に、皆注目する。彼としては体毛量までこだわった、ボディラインについて触れてほしいのだが、昨今のコンプライアンスもあってか、公の場で容姿自体について言及することは雌雄問わず控えられている。
社会動物として無難な対応をかわし、小宮はほぼ描き上げたスケッチブックを見直す。
3個の内、一番形が整っていると思ったものを1つ選んで描いた。イチゴはヘタの反対側が尖った三角錐に近い形だ。しかし、残り2個の内1つは、ヘタ側と反対側で幅の違う四角柱のようだ。否、三角錐が途中で分裂し丸みを帯びた先端が2つ出来たとも取れる。
小宮は皿のイチゴの摘んでは戻し、配置を変え思考する。イチゴといえば誰もがこうと想像する形、ではなくともこれは立派なイチゴだ。もっとありのままに描いてみようと、小宮は真っ白なページを開いた。
小宮は別に美術が趣味ではない。
小宮がデッサン練習をする理由は、運動と食事で創り上げた筋肉を、二足歩行姿の時により美しく見せることを目指したいからだった。
ヒト以外の動物は生まれてすぐに二足歩行姿に化ける練習を始める。一定時間化けられるようにならないと『就学』出来ない為だ。より高度な『化け』、例えば全く見た目の異なる姿に変身したり、過酷な環境下でも化けを維持したりしたい場合は、人体構造をより深く理解しなければならない。その時に効果的な方法の1つがヒトデッサンである。知識として頭に入れるだけなら『テキスト記憶』を脳に植えれば良いが、化けとして応用・実践するには、訓練する必要があるのだ。
とはいえ、美術を学ぶ動物達に混じって、ヒト以外のデッサンも練習している内に、小宮にとってデッサンは一種の精神統一・集中の場。リフレッシュの機会となっていた。
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「すみません、窓を閉めてほしいです。
雑音が気になります」
空気が変わった気がした。
耳障りのない穏やかで、やや高めの雄の声。
「あっ、分かりました」
アシスタントが小走りして、全ての窓とカーテンを閉めた。蛍光灯の青白さが少し強くなった気がした。
小宮は背後を一瞥した。
声の主は真後ろの席で黙々と鉛筆を走らせている。
自分の半分しか肩幅が無さそうな、細身のシルバー・ホワイトタイプの雄シベリアンハスキーだ。
「前のスプレーペイント講座で、臭いが残ってましてね。でも、もう大丈夫でしょう」
雄豚の講師が軽く弁解するかのように言った。
背後の雄シベリアンハスキーは特に相槌することもなく、スケッチブックに視線を落としていた。
小宮は背後の雄の声を聴き、雑念が入り始めた。
会話したことはないが(ここの受講生は互いに挨拶すら交わさない)、少し前から教室に来る度に見かけるようになった。同じシベリアンハスキー犬なので、親近感はある。しかし教室で他者との交流を求めてはいないので、小宮は無視していた。
ところがこの雄は、毎回小宮の近くの席に座っているようなのだ。今日は真後ろで、前回は真左、その前は右側。既に隣が埋まっている席にワザと座ると、1つ飛ばしの席に彼は座り、極力近い位置にいようとするのだ。
また、小宮は彼が自分に視線を送っていることにも気付いていた。対象物とは異なる方向に小宮がいても、彼の首が度々小宮の方に向いているからだ。偶然ではないと確信していたが、彼から話し掛けてくることは無かった。
異性同士なら視線を送る理由が分かる。恋愛感情無くとも、同種で子孫を遺せそうな存在がいれば気になるものだからだ。ならばさっさと相手にイエスかノーを宣言すれば良い。今回小宮が厄介だと思っているのは、同性同士だからだ。
受講室はいつもより動物が多い。
左に雄イタチ右は雌ヒグマと、種の異なる動物が後から座って作業を始めた。背後の彼は現在席を外していると匂いで分かった。小宮は立ち上がり、出入り口傍の画材置き場に向かう。共用の鉛筆削り器を使う為だ。
シルバー&ホワイトタイプ雄シベリアンハスキーの席横を通過する時、小宮は机上のスケッチブックを見た。3個のイチゴが見事に描かれていた。彼のデッサンは時々目に入るが、やはり上手い。美術系を本業にしているのだろうと推測していた。
鉛筆を削り終え、先程と同じ通路を進む。すると小宮の右横席を使用していた雌ヒグマが立ち上がり、通路を出て振り向いた。彼女の身体幅に対して通路幅はやや狭かった。肘が小宮に当たりかけた。
「おっと」
イチゴの粒粒の描き方を考えていた小宮の反応が遅れた。ぶつかりはしなかったが、雄シベリアンハスキーが使用している机に尻尾と尻が当たり、机上の鉛筆と消しゴムとスケッチブックが落ちた。
「すみません」
「大丈夫です」
会釈し合い、雌ヒグマは画材置き場に向かった。
小宮は落ちた鉛筆を拾う。最後に開いて床に落ちているスケッチブックを手にした。
「え?」
小宮は不意に声が出た。
拾った際、先程と違うページが小宮の目に飛び込んだ。
随分と肩幅の広い後姿、サスペンダーをつけている。イチゴを盛った皿も描かれていた。
「これって……」
「ごめんなさい」
小宮は声がした方を向く。彼が戻ってきていたのだ。
「貴方の許可を得ず、描いてしまったことを謝ります。
あの、よろしければ、講座の後にお時間もらえますか?」
この雄と立って向き合うのは始めてだった。細身だが二足歩行時の身長は小宮とほぼ変わらないようだ。
小宮は周囲の匂いと視線を察知する。
雄二人が立ったままの状況に、何事かと疑問を抱き始めている。
「俺も君もデッサンは終えてるだろう。
今からここを出て話を聞こう」
小宮は淡々と返した。この雄の企んでいることは分からないが、状況次第では警察としてキッチリ対応するつもりだ。
「ありがとう。すぐに片付けます。
僕はパーミャチと言います」
パーミャチは小宮からスケッチブックを受け取り、トートバッグに入れる。
小宮は踵を返し、机上の道具をまとめ、専用のレンタル袋に入れた。それを近くにいたアシスタントに渡し、講師に一言挨拶をして受講室を出た。
数歩進んだ後に、パーミャチも出てきた。
Vネックの濃いグレーの七分丈Tシャツにブラウンのスリムストレートパンツ。足元は紺色のスッキリしたスニーカーだった。会社員としてはかなりカジュアルな格好だ。
「お酒飲まれますか?」とパーミャチ。
「いや、近くに夜営業している喫茶店がある。
コーヒーにしよう」
夜営業の喫茶店とはつまり、夜に活動する動物の為の店だ。この時間なら昼活動で言うモーニングに当たり、客が賑わうはずなのだ。
悪意は無さそうだと小宮は思ったが、念には念を入れておくことにした。
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喫茶チェーン店に入ると、雄アブラコウモリがテキパキと二人をテーブル席に案内する。店内はモーニングを注文する客で賑わっていた。昼と違って少し照明が暗いが、怪しいという雰囲気は無い。夜活動する動物は、職業が関係する場合もあるので、様々な種の客がいる。二人が入店したところで不思議に思われることはない。
小宮がブレンドコーヒー、パーミャチがセイロンティーを注文した後、パーミャチがトートバッグから名刺を取り出し小宮に差し出した。
「改めまして。
僕はパーミャチと言います。北島のアートデザイン専門学校を卒業後、地元を出て何度か転職して、今は西灯の小さなデザイン事務所で主に商品パッケージの制作をやってます」
小宮は受け取った名刺を見た。社名はもちろん知らないが、表記の住所・電話番号・ホームページアドレスは、見る限り怪しい様子は無い。
ソっと名刺を机に置き、小宮はオッドアイの眼光をワザとパーミャチに向け、ネイビーのスラックスからワイヤーに繋いだままの警察手帳を見せた。
「俺は小宮。西灯警察の者だ」
彼がクロなら、それなりの反応を示すはずだ。
「警察……」
小宮は素早く警察手帳を仕舞いながら、注意深くパーミャチの表情を伺う。やがて彼の瞳や鼻先や舌が艶めいてきた。
「だから、身体を立派に鍛えられているんですね!
失礼かもしれませんが、本当に素晴らしい胸板と肩周りだなぁと思っていたんです。
正直、あの教室の雄ヒトモデルよりもデッサンしがいのある肉体だと思っています。
僕、趣味でフィギュアを造っていて。貴方のボディラインを凄く参考にしたいなぁと思っていました」
彼の声や態度や匂い。どこを切り取っても犯罪的後ろめたさは感じられない。
小宮はもう少し彼と話をしてみようと決めた。