「君を愛することはない」「よし、では乗っ取りだ」新妻エヴァは夫の領地を乗っ取ることにした
「エヴァ、君は今日から私の妻となったわけだが。私は君を愛することはない。私には最愛のレアがいるから」
結婚式を挙げたばかりのマティアス・アマルリックは、初夜の寝室でのうのうと言い放った。愛人のレアの腰に手を回して。
「結婚は貴族の義務であり、政略。契約書に、白い結婚とは記載されておりませんでしたが。契約不履行ということでよろしいですか? 結婚はなかったことに?」
「いや、それは困る。君の、そのクルーグワイズ子爵家にはなにかと、ほら」
「資金、人員の補助をしておりますね。私と離縁して、それらを引き上げられると困る。そういうことでしょうか? 随分と虫のいい話だと思いませんか?」
「だが、私との婚姻で、アマルリック侯爵家との縁ができたわけだ。クルーグワイズ家にとって悪い話ではあるまい」
アマルリック侯爵家は王国で、最も古い貴族家のひとつだ。確かにその縁は必要だが。
「それと白い結婚では釣り合いません。子をなせなければ、意味がありませんもの」
「あさましい。なんと言うことを口にするのだ。これだから、下品なクルーグワイズと言われるのだぞ。そのうち抱いてやる。それまで待て」
マティアスとレアは、エヴァの返事を待たずに出て行った。
はあ。エヴァはため息を吐いた。ベッドから降りると、白いシーツをはがす。
「予想通りとはいえ。あそこまで言われると腹が立つわね」
エヴァは窓を大きく開けると、窓からシーツを垂らす。机の上から燭台を持ってきて、窓際でロウソクに火を灯す。
「一本なら、問題なし。三本なら、様子を見る、しばし待て。五本なら、乗っ取り」
エヴァはロウソクに火を灯す。一本、二本、三本、四本、五本。
「よし、乗っ取りだ」
屋敷から少し離れた森の中で、松明が掲げられる。五本。乗っ取り、了承の合図。
***
エヴァ・クルーグワイズ子爵令嬢は十八歳。ふたつ年上のマティアス・アマルリック侯爵令息とは、十年前に婚約した。
十歳の頃のマティアスはかわいらしかった。少し照れながら、エヴァの手を取り、庭を案内してくれた。
十五歳になり、学園に通い出してから、マティアスは少しずつ軽薄になった。エヴァの手紙にも返事をよこさない。
「マティアスとの婚約を解消するかい?」
あるとき父に尋ねられた。
「でも、あの土地はいい小麦が取れますよね? 小麦は必要です。皆に」
「まあそうだが。他にも小麦が取れる領地はある」
「でも、既にセバスティアンが入っています」
「ああ、セバスティアンか。それが望みか。修羅の道を行くのか?」
「そうですね。小麦とセバスティアン。それが望みです」
父は思案した。
「姉ふたりは、夫と仲良くやっているのだがなあ。下ふたりはどうにも苛烈だな」
「クルーグワイズ家の力が強くなり、引き寄せる闇が大きくなったから。仕方ありません」
エヴァは父を見つめて肩をすくめる。
伝統あるアマルリック侯爵家。歴史はあるが、領地経営能力は低い。家名にあぐらをかき、民に重税を課し、年々税収を落としている。どちらかというと無能な貴族家。
一方、クルーグワイズ家は、年々勢いを増してきた。
なぜだ。他の貴族家はいぶかしがる。領地に有用な特産があるわけでもない。鉱山があるでなし。いたって普通の領地。
答えは実は簡単。婚姻だ。貴族にとって、結婚は政策。それを正しく理解し、全力をあげて使える貴族とつながる。
代々、各地の有力な貴族と縁を結んできた。結婚相手がクルーグワイズ家を大事にするなら、問題はない。そうでなければ、多少強引な手を使う。
マティアスが十八歳になったとき、マティアスの両親が馬車の事故で亡くなった。
マティアスの両親の死に、クルーグワイズ家は関与していない。ただ、知っている情報を伝えなかっただけだ。
重税にあえぐ民が、馬車に細工を施し、通る道の上の岩を少しグラグラさせた。クルーグワイズ家は、そうなる兆候を、見過ごした。それだけ。
クルーグワイズ家の援助を受けながら、マティアスは領地を治める。
一年後、父がエヴァに告げた。
「マティアスに泣きつかれてね。先代からの家令が口うるさいと。新しい家令を紹介した」
「まあ、元の家令はどうするのです?」
「優秀な家令は職に困ることはない。最近男爵位を賜った家に紹介したよ」
「そう。アマルリック領の民は耐えられるかしら」
「新しい家令も優秀だ。大丈夫だろう」
二十歳になったマティアスは、立派な腑抜けとなっていた。ふんぞりかえり、若い女性を手当たり次第食い散らかす。無能の極み。それでももし、マティアスがエヴァを正妻としてもてなすなら、エヴァはマティアスを支えるつもりではいた。
愛する人は他にいるが、夫婦としての体面は保つ。そんな貴族は多い。エヴァだって、それぐらいのことはできる。マティアスがレアを愛人として遇したいなら、そうすればいい。でも、エヴァを馬鹿にするのはダメだ。それは許さない。
クルーグワイズ家の援助を受けていながら、エヴァを蔑ろにする。そんな扱いを、甘んじて受けるエヴァではない。恩には恩を、情には情を、蔑みにはムチ打ちを。それがエヴァ・クルーグワイズの生きる道。
さて、エヴァだが。薄い夜着を脱ぐと、乗馬服に着替えた。もしかしたら立ち回りが必要になるかもしれない。ペラペラした服では戦えない。
上着のボタンをかけ、腰に剣を差す。髪をクルクルとまとめたところで、扉を叩く音。開けると、執事見習いのセバスティアンが現れた。
「エヴァお嬢さま」
「セバスティアン」
ふたりはしばし見つめ合う。
「年に一度、マティアスとは会ってきたけれど、年々ひどくなっていたわ」
「ええ、先代が亡くなってから、すっかりタガが外れたようです」
「クルーグワイズ家からの資金援助がなければ、とっくに破産。使用人も護衛の手配も、我が家に頼り切り。それでどうして、私にあんな仕打ちができるのかしら」
セバスティアンはそっと乗馬用のムチをエヴァに渡す。
「お仕置きが必要ね」
「はい、エヴァお嬢さま」
この屋敷の者は、ほぼクルーグワイズ家の息がかかっている。給与の支払い元がクルーグワイズ家なのだ。どちらに忠誠心を持つかは、疑問の余地もないであろう。
エヴァはセバスティアンに案内され、マティアスの私室に向かう。セバスティアンが開けた扉の向こうに、エヴァは堂々と入っていく。
「なっ」
仲良くお楽しみ中だったふたりが、驚きの表情でエヴァを見る。
「見苦しいわ。何か着てくださらない」
エヴァはマティアスの尻をムチで打つ。
「ひいっ、何をする」
「無能はしつけないと」
エヴァはマティアスの尻から背中をビシビシ打った。レアには手を出さない。エヴァにも、若い女性をムチ打つ趣味はない。どうせ、何人もいる浮気相手のひとりにすぎないのだから。
「お前たち、何をしている。エヴァを止めろ」
マティアスは壁際の護衛に声をかける。誰も動かない。
「あのね、誰がお金を払っていると思う? 私のお父さまよ。彼らの主人は、父と私なの。そんなことも分からないなんて。情けないわ。アマルリック家の当主にふさわしい行いができるように、鍛えて差し上げます」
それから、エヴァによるマティアス教育が始まった。ムチと書類だ。アメは滅多にない。
数ヶ月もすると、マティアスは従順になった。
「本日は、領地の見回りです」
セバスティアンが告げる。
「ありがとう。行きましょう、あなた」
エヴァはマティアスのエスコートに身を任せると、馬車に乗る。
「ご領主様だ。ご夫妻でいらっしゃったぞ」
「エヴァさまー」
領民や子どもたちから声をかけられる。エヴァは領民からとても人気が高い。税金を引き下げ、小麦を適正価格で買い取り、別の領地に売ってくれる。他領から、良い品を安く仕入れてくれる。クルーグワイズ家の縁がある領地との取り引きで、アマルリック領は潤った。
「小麦はどうかしら? 肥料は足りている?」
「はい、順調です。いい肥料が安く手に入って、ありがたいです」
「そう、ならいいのよ。必要な物があったら、屋敷の誰かに言ってね。なんとかするわ」
「ありがとうございます」
小麦畑をあとにし、河川や森を見て回る。途中で村人から声をかけられた。
「エヴァ様。堤防を強く高くしてくださってありがとうございました。これでもう、大雨に怯えなくてすみます」
「働く場所が増えて、村の若い男たちも喜んでました」
「そうね、公共事業はもう少し増やしていくわね。森を少し開いて、耕作地を増やしてもいいかもしれない」
マティアスは、眩しそうな目でエヴァを見つめる。その夜、マティアスが遠慮がちに寝室に入ってきた。
「エヴァ、その。やり直せないかなと思って」
「あら」
エヴァは少し目を見開いてマティアスを見る。
「最近のあなたは、領主として恥ずかしくない状態だと思うわ。この調子でがんばってね」
エヴァは微笑んで、マティアスをやんわりと遠ざける。マティアスはエヴァの手を握った。
「夫婦になれないだろうか」
「なれないわね」
エヴァはすっと手を引き抜き、ベッドから降りる。
「あのね、取り返しのつかない発言ってあるのよ。初夜の寝室で、君を愛することはない。これは絶対言ってはダメなことね」
「反省している。償わせてくれないか」
「あら、いいのよ。この調子で領主の顔を保っていてくれればそれで。細かいことは私とセバスティアンに任せてくださいな」
セバスティアンは、執事見習いから執事に昇格した。エヴァとセバスティアンと家令で、領地経営はつつがなく執り行われている。マティアスは、元気に生きていれば、それでいいのだ。
「あなたは愛人を愛してさしあげて。私にはセバスティアンと、この子がいますから」
エヴァはお腹に手をやる。もちろん、セバスティアンとの子だ。マティアスとは触れ合っていない。
「私は、エヴァを愛しているのに」
「まあ、今さらもう遅いわ。そういうのは、初夜で言っていただかないと。さあ、明日は忙しいの。もう出て行ってくださらない?」
エヴァはムチを手に持つ。マティアスはビクッとすると、そそくさと部屋を出て行った。
すぐにセバスティアンが入ってくる。
「エヴァ、大丈夫?」
「大丈夫よ。廊下に護衛がいるんだし。問題ないわ」
セバスティアンが渋い顔をする。
「私は不愉快だ」
「そうね、ごめんなさいね。気をつける。マティアスに新しい女の子を紹介してあげて。何人か、愛人希望の女の子がいたわよね」
「分かった。手配する」
セバスティアンは美しく、優しく、頭がいい。そして何より、エヴァをずっと愛してくれている。子どものときから、密かに思い合っていた。
「あなたと結婚できないことだけが、心残りだわ」
「いいんだ。エヴァの心が手に入って、子どもまでできて。これ以上望むとバチが当たる」
セバスティアンはエヴァを後ろから抱きしめると、お腹に手を重ねた。
「もし、マティアスの愛人に子どもができたら?」
「できないと思うけど。薬を飲ませているもの」
「でも、もしもはあり得るだろう」
「きちんと育てればいいんじゃないかしら。優秀なら、後継ぎにしてもいいんだし。どのみち、実権は私が握るんだもの」
「そうか、処置はしないんだね」
「母子を消すのはイヤよ。それだけはイヤ。絶対に。大丈夫、きちんと育てれば、きっといい子になるわ」
マティアスと愛人の子を後継ぎにする方が、血を重視する貴族界ではよいだろう。実権はエヴァが握ればいいだけのこと。エヴァとセバスティアンの子を、エヴァとマティアスとの子と偽ってもいい。領内は掌握済みなので、異議を唱える者はいないはず。
マティアスと愛人の子が後継ぎに向いていないなら、どこかに婿入りか嫁入りさせればいい。クルーグワイズ家の縁故は王国中に広がっている。どうとでもなるのだ。結婚は最強の政策なのだから。
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