佐藤、部活を新設したい
我が家は築四十年の2LDKのアパートで、『2』のうちそれぞれを俺と妹の部屋として割り当てられている。
部屋というと聞こえはいいが、広さは各々四畳半のみ。ベッドを置くスペースはないので、全員が床に布団を敷いて寝ている。母親はリビングだ。
その晩は興奮してよく寝れなかった。
前世……! 魔法……! 悪魔……!
かっこいいと憧れ続けた世界が目の前に実際に転がってきたのだ。
これでやっとくだらない俺の人生が、人から羨まれるものに好転しそうなのだ。これで……これでやっと……!!
もしかして、もしかすると、佐藤と一緒にいることで俺まで魔法が使えるようになっちゃうんじゃないか!?
心が落ち着かないので、むくりと布団から出ると、先程佐藤から分配された石を机の上に並べてみた。
だが、
「……どう見ても普通の石……」
特筆して綺麗でもないし形もまちまち。
しかし佐藤が魔法石だと断言するからにはその通りなのだろう。事実、この石を媒体にして魔法を使ったのだから。
俺が持っていても宝の持ち腐れだ。これは佐藤に返したほうがいいだろう。
……いや、待てよ?
佐藤がピンチのときに、これを持って駆けつけるというのはどうだろうか? 主役ではなくても欠かせない役目である。俺にはメインを張るよりもこのくらいのスタンスのほうがお似合いな気もするし。
……しかしピンチの時とは一体なんだ? 佐藤は悪魔に狙われている身だというが、本当に悪魔が来たりして。んで、そのときに俺が『佐藤! これを使え!』と言ってこの石を投げピンチから救う、大変重要なジャムおじさんポジション。あぁヤバい、これはオイシイ!
結局また布団の中でもあれやこれやと妄想し、妄想と現実が入り混じったまま浅い眠りについていた。
この時、この魔法石を机の上に出しっぱなしにしていたことを全く気にも止めていなかった。
浅い眠りのままだったのでなかなか起きれず、結局は朝慌ててアパートを飛び出し、遅刻寸前で教室に滑り込んだ。
すると、会うやいなや佐藤が
「生徒手帳は読んだか?」
と聞いてきた。
「生徒手帳? いや、読んでないけど」
「読め。部活の設立について書いてある」
「きょ、今日誰かに聞けばいいと思って」
「人に聞いて済まそうとすると、何か大きな欠落があることがある。まずは自力で調べて、それでもわからないところをだけ有識者に聞くんだ」
ユーシキシャって誰のことだよ。……とまぁ、今までの俺だったらこんな物言いはムカついていた。
だが、佐藤ならば違うということをもう知っている。本当に大人としての経験からものを言っているのだから。なにせこいつは前世があるからな! 文字通り人生の先輩であるから、小言も金言として受け取っておくべきだ。
「何人以上じゃないと設立できないとか、そういうのあるの?」
「いや、それは書かれていなかった」なんだ、また部活系アニメの王道『頭数捜し』は空振りか。「だが、人数が少ないと同好会扱いで部活動費が出ないそうだ」
「えー!?」
と、驚いてみたものの、活動費の使い方がよくわからない。佐藤も別段不満そうではない。
「まぁ当面は着付けの練習ばかりで金を使うような活動はしないだろう」
「だよなぁ」
「それから」佐藤が思い出したように付け加えた。「部長の欄には篠原の名前を記入したからな」
「なにーっ!?」ここ数年で一番に腹から声が出た。「俺が!? なんで!!」
「? 発起人だろうが」
「でも俺は着物のことなんか何も知らないぞ!?」
「そういうのは僕が率先してやるから大丈夫だ」
「だったら佐藤が部長だろ!」
「一番詳しい者が部長になるということではない。篠原は設立を提案した責任を取るべきだ」
なんてことだ……。
部長なんて立場になったら、もう逃れられないじゃないか。俺の華やかな中学生活は着物部という派手さも注目度もない部活で三年間終えてしまうことが決定した。
ショックを超えて放心だった。
これが、今日というとても長い一日の幕開けだった。
放課後になると、設立を申請しに生徒会室に行くのかと思いきや、まずは昨日の茶道部へ断りを入れに行くという。
「別に正式に入部してたわけじゃないんだから、入らないならそれまででいいんじゃねぇの?」
と、俺は言ったが、佐藤は譲らなかった。
「そうはいかない。昨日、大変親切にしていただいたからな」
「でも向こうも勧誘なわけで」
「いや、どんなに小事であっても礼儀には礼儀で返すべきだ。他人に労力を使わせたことを搾取してはならない」
「それって、前世が関係する?」
すると佐藤は一瞬言いよどみ、奥歯を噛みしめるようにした。
「……そうだ。恥ずかしい話だが、前世の僕は身分も地位も魔法力も高かったが、それを当たり前のこととして他人を軽んじていたために、誰からも尊敬されていなかった」
「身分も地位も魔法力も高いなら、別に誰からも尊敬されてなくてもやっていけるじゃん」
「僕もそう思っていたが、違った。全ての人間は他人に支えられて生きているのだ」
「俺はいつも一人で生きてるけど」
「それは違う」佐藤はきっぱりと言った。「篠原が今着ている制服は誰が仕立てたものだ? 昼間食べた弁当の米は誰が作ってくれた? 髪をさっぱりと切りそろえているが、その技術は誰が会得していた? そしてその全ての対価を支払ってくれたのは誰が労働して得た金だ?」
「……そんなふうに考えたことなかった」
佐藤が正論であることは俺なんかにもさすがに分かった。急に自分自身が恥ずかしくなった。
「いや……叱るつもりはないんだ。僕も昔は目の前にあるものが当たり前だと思って、それどころか地位が高いのだから当然だと思っていた。だが、やってもらったことに感謝をしない人間など、それこそ周囲に生かしてもらっているだけの愛玩動物だ。僕は前世と同じ失敗はしたくないだけだ」
佐藤が茶道部に入部しないだけではなく、新しく着物部を立ち上げようとしていると丁寧に事情を説明し、
「昨日は大変もてなしていただいたのに、不義理を果たすことになり申し訳ありません」
と頭を下げた。なので生野部長も安浦先輩も、怒るどころかあっけにとられた。
「こんなにかしこまった一年、初めて見たわ」
と安浦先輩はのけぞる。
「なるほど、残念だが仕方がない」生野部長も怒っている様子ではない。「確かにそちらのほうが君がやりたいこととマッチしそうだ」
「ですが、文化祭の野点の件はぜひとも合同活動にさせていただきたいです」
「うむ、それはこちらからもお願いしたいな」
「ご理解ありがとうございます」
「さよなら」
「失礼します」
そういって佐藤が踵を返したので、俺が先に家庭科準備室を出て佐藤がそれに続こうとしたときに、
「だがな、佐藤」生野部長が言葉を投げた。「どうせお前はここに戻ってくるさ」
「え?」
「お前とボクは運命で繋がっているのさ」