佐藤、部活について
翌朝、学校に行くのが面倒くさいという気持ちと、佐藤ともっと話がしたいという気持ちがせめぎ合いながらまだ寝ている重い足をなんとか前後に動かしていた時に、
「よっキョウ! おはよ!」
後ろからギュッと肩を掴まれた。
「おはよう、 那瑠……」
爽やかな笑顔を見せるイケメンに、早朝からめまいがする。
加々美那瑠は幼なじみだ。家が近所だから物心ついたときから一緒に遊んでいたし、かつてはスイミングクラブも一緒に通っていた。
「マリちゃんは?」
「先に小学校行った」
「もう四年生かぁ」
爽やかなイケメンらしく馴れ馴れしくも肩に腕を乗せてくる。くそぅ、俺を肘置きにした件、いつか絶対仕返ししてやる。
「聞いたぞキョウ、昨日の自己紹介で前世設定のこと言ったんだってな」
「どっからそんな話が……」
「まだ前世設定やってたんだな! あれだろ、剣で世界を救う勇者の!」
「お前と話してた時よりももうちょっと設定が細かくなったよ……」
くそ、噂して馬鹿にしたやつ、見てろよ。いつかこの設定でラノベ書いてデビューしてやる。そのときにはもうサインはしてやらん。
「なつかしいなぁ! 一緒に考えた設定ノート、どこにやったかな」
そう、那瑠とは一緒に前世設定を考えていた。俺が剣士で那瑠が魔法使い。しかもあえての闇魔法使いで、ネクロマンサーでもあった。
幼稚園の頃は当たり前のように一生にいたが、小学校に上がった頃合いから、周りの空気の違いを感じるようになった。
まず、那瑠お父さんは弁護士、お母さんは医者で暮らしぶりが我が家とは随分と異なるようだった。こちらは2DKのアパートに母親と妹の三人暮らし、あちらは間取りが全くわからない豪邸に両親と三人暮らし。
その頃に母親に言われた言葉を今でも覚えている。
「あの子も将来は親と同じで『先生』と呼ばれる職業につくよ。あんたと遊んでくれるのもどうせ今だけだよ」
十歳の頃には顔面偏差値の違いに気付いた。女子からは常に黄色い声援をあび、男子からも一目をおかれ、クラスでは常に何かしらの役職についていた。
体格にも恵まれていて、ぐんぐんと身長を伸ばした。目線は今や十五センチは見上げる。
一緒に入ったスイミングクラブも、あっという間に階級に差を付けられ、もはや努力ではこの差は埋まらないと悟った俺は、スイミングクラブに見切りをつけクラブをやめてしまった。その時の母親の言葉は
「クラブの会費を払わなくて済むから楽になるわ」
だった。
この同時期に、那瑠の俺への呼び名が『キョウちゃん』から『キョウ』に変わったのを、俺はしっかり気が付いていた。前世設定などの話はとっくにしなくなっていた。
ほとんど毎日一緒に遊んでいたのが、週に一度になり、月に一度になり、やがてすべて消滅した。
最近は、こうして登校のときに偶然会うだけになる。俺はもう別世界の人間だと思っているのだが、彼の方はこの遠慮のない人懐こい性格で、未だに俺に親しげに話しかけてくる。
彼だけが続けているスイミングクラブのおかげで均整の取れた理想的な細マッチョになっている。このしょぼい町で一人だけメインのレールに乗り、このままトントン拍子で人生は進むであろうことは想像に難くない。
「キョウも部活見学行くんだろ。どこ見に行く?」
羨ましいと思う反面、誰しもがかっこいいと思っている那瑠にこうしてしたしく話かけられるのは正直鼻が高い。
「まだどんな部活があるかもよく知らないんだ。那瑠は水泳部なんだろ?」
「あぁ。本当は中学では新しいスポーツ始めたかったんだけど、水泳部のコーチが入学前から勧誘に来てくれてさ。顔を立てるためにもな」
裏舞台も華々しい。私立中学ではなく、同じ公立に行くことに疑問を感じていたがこういう事情か。『主人公』というのはこういう奴を言うのだろう。そういう人生を歩みたかった……。
「でも、色々見て回りたいから友達と他の部活の見学に行くぞ」
「もう友達ができたんだ」
「あぁ。キョウも一人なら一緒に回ろうぜ」
哀れみか。悪気はないのかもしれないが、こういう『友達の施し』は世界で一番惨めな気持ちに點せられる。
今までの俺だったら、それでも一人よりはマシとその同情に甘えて、波長の合わない陽キャ連中に混ざりながら一言も発しないでいただろう。だが、
「いや、俺も友達と回るから」
今日は俺だってこの言葉が言える。佐藤とはっきり約束はしていないが、あいつもどうせ似たりよったりだろう。
我が中学校は部活の所属が必須となっている。入学式から二週間の間に、入部する部活を決めなければならない。青春の一ページに一役買うのだから、部活見学を楽しみにしている奴も多い。
ホームルームでは各部活の活動場所と部長の名が記された一覧表を配られた。その一覧表を手に、前の席の佐藤の背中をつついた。
「佐藤は、部活は決めたか?」
「あぁ、決めた」
「え!?」実にあっさり軽やかに言われたので、めまいを起こしそうになった。「ど、どこ!?」
「茶道部だ」
「茶道部!?」めまい、二度目。「なんで!? 好きな女子でもいるのか!?」
「女子? ふぅむ……そんな理由で部活を選ぶこともあるのか」
「結構いるだろ」
「そうなのか? まぁ、どのみち僕はこの学校の女子には興味はない」
「じゃあ茶道そのものなんかに興味あるのか?」
「いや。まぁせっかくの機会だから茶道は真剣に覚えたいとは思っているが、それ以上の興味はないな」
話がよくわからん!
「楽そうだからか?」
「篠原……君ってやつは……」佐藤は呆れ顔でため息をついた。「『茶道なんか』とか『楽そう』とか……いや、前世の僕もそうだったからよく分かるが、自分の知らない世界を軽んじるというのは、自分の狭量をバラしているだけだぞ」
「そ、それは……」
「僕たちの国にはこんな言葉があるだろう、『井の中の蛙、大海を知らず』。知らないことを知ろうとする、今はそういう年代だと思ったほうがいい」
「……ごめん」
確かに俺は、自分の知らないものに夢中になっている人間に対して、それを知ろうという気持ちよりは『そんなしょうもないものに夢中になって』とバカにしがちな傾向があった。出会ったばかりの佐藤に的中されて、恐ろしく自己嫌悪を抱いた。
「僕が茶道部に入りたいのは」佐藤は続ける。「着物が着れるチャンスがあるからだ」
「は?」説明されているのに疑問が増えるのはなぜだ。「着物? 着物って、正月に芸能人が着てるやつ?」
「またえらく認識が狭まっているが……まぁそれだ」
「なんで?」
「僕は着物が好きなのだ。茶道なら着物を着れるだろう。着物に触れる機会はなるべく増やしたい」
「なんで?」
「僕から言わせれば、日本人が着なくてどうすると言いたい」
「なんで?」
「そんなに『なんで』と言われても、こちらほうがなんでだ。我々日本人の民族衣装だろうが。着物は単なる日用品にとどまらず芸術的に見ても世界で類を見ない。もっと身近であるべきが本当の姿だ」
そうはいっても着物なんか着たことないし、見たことだって成人の日のニュースでしかない。七五三に何かをされたこともない(茉莉花は派手な着物姿で写真を撮らされていたが)。
「そんなわけで、さっそく茶道部に行ってくる」
「あ、ま、待って」
立ち上がる佐藤につられて、俺も立ち上がった。
「なんだ? 一緒に来るか?」
「えっと……」一瞬迷ったが、ひとまず乗っかることにした。「行く」
一人で部活見学なんてボッチがバレるし、人見知りには辛い。那瑠に見られてもバツが悪い。なんとしてでも佐藤と一緒にいなければ。
しかし茶道部かぁ……ラノベのヒーローっぽくないなぁ……。
配布された部活動案内表の茶道部の欄には、
『主な活動:お茶立てとマナー講座、文化祭での野点 部長:三年 生野べる』
とある。
マナー講座て……。『野点』って何て読むの?
部長の名前も読めない。しょうの? いくの? なまの? 下の名前が『べる』って……。
茶道部では俺の華々しい中学生活がみすみす水泡に帰ことを甘んじることになる。なんとしてでも他の部活に興味を持ってもらうよう佐藤を言いくるめなければ!