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第97話 テスト

 応接間のソファに、ウィリアムとアメリアが対面で座っている。

 ウィリアムは優雅な所作で、カップを口に運んでいた。


「うん、やはりここの紅茶は美味しいですね」

「恐縮でございます」


 シルフィが控えめに頭を下げる。

 一見すると、どこか良いところの貴族とその専属侍女のようだ。


「確か、モーニングミストでしたか?」

「昨日対応させていただいた使用人から、ウィリアム様の好みの紅茶だとお聞きしておりまして。おかわりはアンバーリーフを用意しております」

「気遣いに溢れていて素晴らしいですね」


 ウィリアムは口角を持ち上げると、カップを置いてアメリアに向き直った。


「昨日の今日ですみません、アメリア様」

「いえいえ、お気になさらず! むしろこちらこそ、ご足労いただいてすみません」


 アメリアが頭を下げると、ウィリアムが神妙な顔つきで言う。


「本当に今更で恐縮なのですが、私相手に敬語でなくても構いませんよ? 教授の中に貴族出身の方はちらほらいますが、私はしがない平民出身です。公爵家の夫人となられる方に敬語を使われるのは……少し、その……」

「ゔっ……そう、ですよね……」


 言いづらそうに言葉を切るウィリアムに、アメリアは(やっぱり……)と言った表情をする。

 シルフィは小さく嘆息していた。


 基本誰に対しても低姿勢なアメリアは、初対面の相手に対しては自然と敬語が出てしまう。

 それも人柄といえばそうなのだが、流石に公爵の婚約者という立場で、特に使用人に対し敬語を使うのは見え方的に推奨されるものではない。


 シルフィやオスカーから注意を受けて少しは意識づけられるようになったものの、ウィリアムは自分の師となる方とあって砕けた口調を使うのは気が引けた。


(慣習でいえば、敬語を使わないのが正しいのだろうけど……)


 きゅっと固く結んだ唇を開いて、アメリアは言う。


「申し訳ございません。仰る気持ちはわかるのですが……たとえウィリアムさんが平民であろうと、これから師となる方に対し敬語を使わないというのは……少し、いえ、かなり気が引けます」

「なるほど……」


 少し考える素振りを見せてから、ウィリアムはさらりと言う。


「アメリア様のご要望はわかりました。では、このままでいきましょう」

「ご配慮ありがとうございます……!! 我が儘言って申し訳ございません」

「いえいえ、それでは早速ですが……」


 ウィリアムが話を始めようとすると、アメリアは何かに気づいたような顔をした。

 それからじーっと、ウィリアムを見つめ始める。


「えっと……何か私の顔についておりますでしょうか?」

「あ、いえ……心なしか、昨日よりも目のクマが深くなっているような気がして……」


 言われて、ウィリアムは目に指を当てる。

 それから苦笑を浮かべて言った。


「ああ……いやはや、お見苦しいものを見せてしまい申し訳ございません。昨日、あれから大学に戻って研究に熱中してしまいまして……結局、朝まで根詰め過ぎたようです」

「だ、大丈夫ですか? 熱中してしまう気持ちはわかりますけど……」


 同じように、植物のこととなると周りが見えなくなるアメリアは深く共感する。


「顔色も悪いですし、今日はお休みした方が良いような」

「このくらいは日常茶飯事なので、平気ですよ。それよりも……」


 ゴソゴソと、ウィリアムはカバンの中から紙束を取り出し、机の上にドサっと置いた。


「こ、これは……?」

「アメリア様用の問題集です。アメリア様の知識量を測定するために、まずは基礎的な分野を中心に問題を作ってきました」

「ええっ!? こんなに……!?」


 ギョッとして身を乗り出し、紙束の厚さを指で測るアメリア。

 そんなアメリアの仕草を見て、ウィリアムは内心でそっと息をつく。


(やはり、テストと聞くと嫌な顔をするのはどの生徒でも同じですね……)


 だがここで甘やかしてはいけない。

 ごほんと咳払いをして、ウィリアムは真剣な表情で言う。


「テストと聞くと、気が重いとなるかもしれませんが、これはアメリア様の知識の量を測るための大事な作業なので。多少は面倒かもしれませんが、頑張って取り組んでいただきたく……」

「ああ、いいえ、問題を解くのはとても楽しいですし嬉しいですし大歓迎なのですが」

「た、楽しい……?」


 聞き間違えかと目を瞬かせるウィリアムの一方、アメリアは申し訳なさそうに視線を落とす。


「先ほどは研究を朝までしていたと仰いましたが、この問題集も作っていたのですよね? 私のために時間をかけていただいたと思うと、申し訳ない気持ちが……」


 詰まるような声でアメリアが言う。

 その言葉が自分本位の欠片もない、むしろ気遣いによるものだとわかって、ウィリアムは柔らかく目を細めた。


「……やはり、噂はあてにならないものですね」

「えっ?」

「いえいえ、なんでもございませんよ」


 ゆっくり首を振ってウィリアムは続ける。


「なにはともあれ、手間に関してはお気になさらず。アメリア様の家庭教師を引き受けると決めたのは私で、昨日のうちに問題集を作ったのも、いちはやくアメリア様の技量を確かめたいと私が判断したからなので」

「あ、ありがとうございます。そう仰っていただけると気が楽になります……」


 植物学の専門家に期待を寄せられている。

 その事実に緊張も走ったが、全身が身震いするような感覚もあった。


 実家を出るまでは、他人に期待されることなど皆無だった

 だからこそ、ウィリアムの言葉はアメリアの心を刺激した。


(一問でも多く答えられるように、頑張らないと……)


 ふんすっと鼻を鳴らして意気込むアメリアであった。


「やる気は十分そうですね」

「か、空回りしないように気をつけます。それで、これはすぐに解いていいですか?」

「ええ、もちろん」

「やった」


 胸の前で嬉しそうに拳を握るアメリア。


「ここで解くと腰を痛めそうなので、あの机でやりましょう」

「はい!」


 ウィリアムの提案で、応接間の隅に設置された作業机に移動しアメリアは問題集を広げた。


「制限時間とかはありますか?」

「特に指定はありませんが……そうですね、一時間くらいでいきましょうか」


 量と内容のレベル的にそれくらいだろうと、ウィリアムは判断した。


「わかりました!」

「それでは、始めてください」


 ウィリアムの掛け声で、アメリアはペンを取り、問題と向き合った。

 じきに、さらさらさらさらと、ペンの音だけが応接間に響き始める。


 それからずっと、アメリアはペンを動かし続けた。

 まるで、止まることを知らない渡り鳥のようだ。


(テストをこんなにも楽しそうに解く子は、なかなかいませんね……)


 うきうきるんるんと問題を解くアメリアを、ウィリアムは不思議な生き物を前にしたように眺める。

 カイド大学はトルーア王国一の教育機関と呼ばれているが、芯の通った志を胸に入学してくる生徒はごく僅かだ。


 親の七光りで入学する者、将来は安定職に就きたいというふんわりとした理由で入学してくる者が大半である。

 真剣に講義を聞くものは少なく、テストとなれば不平不満を漏らす生徒も多い。


 自分が学生の時の周りも同じような調子だったので、元来、大学に来る者とはそういうものだろうと思っていた。

 正直、ウィリアムは自分が教育者に向いているとは思っていない。


 お金をかけず最先端の設備で研究に励むには学位を取得し大学に所属するのが手っ取り早いと判断して、カイド大学に籍を置いているにすぎない。


 教壇に立つようにしているのも、大学で思う存分研究に励む条件として、週に何度か学生に講義を展開することが義務付けられているからだ。


 また三十にもなっていない、研究者の中では若手のウィリアムに次世代を担う若者を育てたいという意欲があるわけでもなく、半ば義務感のように教授としての職務を全うしてきたが……。


(こうもやる気に満ち溢れていると、朝までテスト問題を作っていた甲斐があったものですね……)


 活き活きとした目でテストに臨むアメリアを見て、ある種の充実感を覚えるウィリアムであった。

 しかしそんなアメリアの顔に曇りが生じてきた。


 ペンは止まることなく走っているが、少しずつそのスピードが鈍ってきている。

 やがて、アメリアの表情がはっきりとした不安に覆われた。


「少し、難しかったですか?」


 ウィリアムが尋ねる。

 実のところを言うと、基礎的な問題の中に腕試しとしていくつか応用問題も混ぜていた。


 大学の学生に向けて出しているような問題なので、年齢で言うとまだ大学に入学していないアメリアが解くには厳しいものと想定していた。


 しかし。


「ああ、いえ……そんなことは、ないです……大丈夫です!」

「そうですか」


 再び問題を解き始めるアメリア。

 釈然としない返答だったが特に止めることなく、ウィリアムはソファに戻った。


 アメリアがテストを終えるまで、ウィリアムは鞄から紅死病に関するレポートを取り出し眺めるのであった。

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