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第92話 涙 夢

 ──将来、アメリアのことを大事にしてくれる人が現れたら……その時は、たくさん魔法を使ってあげて。


 声が響いた。

 懐かしい、声。

 

 いつ、誰にかけられた言葉なのか、ぼんやりと思い出せる。


 夕暮れに染まる、どこかの庭先。

 多分、離れの庭先だ。


『うええぇぇん……おがぁさん……』


 膝に怪我をした幼いアメリアが涙を流して泣いている。

 そんなアメリアの膝に、母ソフィが懐から小瓶を取り出し、中の液体をふりかけた。


『痛いの痛いの飛んでいけー』


 効果はすぐに現れた。


『……痛く、ない……』


 アメリアの目が大きく見開かれる。


『すごいすごいすごーい! お母さん、どうやったの?』

『んー、魔法かな?』

『まほう! 私も使えるようになりたい!』

『じゃあ、たくさん勉強しないとね』

『たくさん勉強したら、痛いの痛いの飛んでいけーが、使えるようになるの?』

『もちろん』


 言い聞かせるように、ソフィはアメリアに言った。


『アメリアには、私の魔法を全部教えてあげる』

『ほんと!?』

『ええ、もちろん。そしたら……』


 アメリアの目をまっすぐ見て、ソフィは言葉を贈る。


『将来、アメリアのことを大事にしてくれる人が現れたら……その時は、たくさん魔法を使ってあげて』

『うん、わかった!』


 優しく微笑む母の言葉に、アメリアは力強く頷いた。


 ──急に、場面が変わる。

 慣れ親しんだ、ハグル家の離れが見える。


 他の貴族から見ると足を踏み入れるのも穢らわしいと躊躇するようなオンボロ家屋。

 アメリアにとっては、母親との思い出が詰まった大切な場所。


 薄暗い空からしんしんと降りてくる雪が、辺りに降り積もっていた。

 場面が変わる。


『おかーさん! お願い! 起きて!』


 子供の声が聞こえる。

 女の子の声。


 アメリアの声だ。


 オンボロ家屋の中。

 粗末なベッドの上で、横たわる女性はソフィ。


 先ほどと打って変わってソフィは骨のように痩せ細り、髪もボロボロになっている。

 顔からは生気が抜け落ち、今にも消えてしまいそうな儚さを纏っていた。


 ソフィに、アメリアが必死で声を張って呼びかけている。

 ぼんやりとした意識が、目の前の光景がなんなのか、察した。


『ほらっ……お母さん! リジーナとネオリーフで作ったくすり!』


 涙で顔をぐっしょり濡らしたアメリアが、母ソフィに小瓶を見せる。


『お母さん、これ飲んだら病気が治るって言ったよね……!! だから飲んでっ……』


 ソフィはうっすら瞼を持ち上げて、唇を震わせながら言葉を空気に載せた。


『アメ……リア……』

『なにっ? お母さん、私にできることがあるなら言って! 私、お母さんが元気になるならなんだって……』


 そっと、ソフィの手が力無く持ち上がる。

 その手が、アメリアの頬を愛おしそうに撫でた。


『あなたが生まれてきてくれて、良かった……ありがとう』


 ふんわりと、ソフィが笑う。

 今まで数えきれないほどアメリアに向けてきた、優しい笑顔。

 

 アメリアが大好きだった笑顔を浮かべ、心の底から湧き出た思いを、ソフィは言葉にした。


『愛してるわ、アメリア……』


 それは、愛する我が子に贈る、最期の言葉だった。

 頬を撫でていた手が、力無く落ちる。


『やだ……お母さんっ……起きて……目を覚まして……!』


 再び瞳を閉じて微動だにしなくなったソフィに、アメリアが抱き縋って声を上げる。

 しかし何度呼びかけても、ソフィが再び目を開けることはなかった。


 幼心ながら、母とはもう二度と言葉を交わすことができない。

 もう二度と、あの優しい笑顔を見ることができない。


 その残酷な事実を受け入れたくないと、アメリアは何度も何度もソフィに向かって声をかけ続ける。


 何度も何度も、声も涙も枯れて、息ができなくなって、力尽きるまで。


 何度も何度も、何度も……。


 少しずつ、二人の光景が遠ざかっていく。

 徐々に薄暗くなっていき、やがて視界は闇に包まれた。


 ──ひとりに、しないで……。


 ぽつりと、そんな声が聞こえたような気がした。

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