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第90話 少しの、わがまま

『本日は有意義な時間をありがとうございました。今日は、これにて』


 という旨を告げて、ウィリアムは退出した。

 応接間に、ローガンとアメリアが二人きりになった後。


「凄い人でしたね……」

「ウィリアム氏も、アメリアに同じことを思っているだろうな」


 放心気味なアメリアに、ローガンが苦笑を浮かべて言う。


「そんなことよりも、大丈夫だったか?」

「と、言いますと?」

「事前説明無くウィリアム氏と会わせて、話を進めてしまった。今後ウィリアム氏に師事する点についても、俺がこの場にいる手前、アメリアが気を遣って了承したのではないかと、心配な部分がある」

「そんな、お気になさらないでください」


 首を振ってアメリアは言う。


「ウィリアムさんに学びたいと思ったのは私の本心ですし、これからウィリアムさんの元で学べると思うと、わくわくしていますよ」

「そうか。ならいいんだが……」

「むしろ、私の方が分相応じゃないかと心配です……」


 アメリアの瞳に不安が滲む。


(確かに、ウィリアムさんは私を、評価してくれている様子だった……)


 しかしあくまでもそれは、短い会話の中でのこと。

 今後、ウィリアムともっと専門性の高いやり取りをしていく中で、果たして自分の知識や知恵が通用するのかどうか心配だった。


「それは杞憂だと思うぞ」


 安心させるように、ローガンは言う。


「専門的なことはわからなかったが、教授に引けを取らないほどの知識を、アメリアが持っているというのはわかった。これまで相当長い間、頑張ってきたことはわかる。例え現時点で、足りない部分があったとしても、アメリアの勤勉さがあればきっと大丈夫だ」

「ローガン様……」


 じん、と胸の辺りが熱くなる。

 ひとりでに、言葉が溢れてきた。


「私、子供の頃から……植物が好きで、もっとたくさんのことを知りたいって思って、母と一緒に学んできたんです。だから、頑張ってきた、みたいな感覚はあんまりないのですが……」


 アメリアの目が細くなる。


「母が病気を患って、なんとか治せないものかとたくさん勉強して、色々試したんですけど、ダメで……それが悔しくて……もう二度とあんな思いをしたくない、そう思って、もっとたくさんの知識を、って勉強したんですよね……」


 アメリアを見るローガンの瞳に、憐憫の情が浮かぶ。


「すみません、何を言いたいのか纏まらないんですが……私なりに積み重ねてきたことが、今日、報われたような気がして……とても、嬉しかったです」


 ローガンに微笑みを向けて、アメリアは言う。


「ありがとうございました。私のために、ウィリアムさんを呼んでくださって」


 ローガンは少しの間、言葉を選んでいるようだったが。


「アメリアの助けになったのであれば、何よりだ」


 そう言って、アメリアの手に自分の手を重ねた。

 僅かに目を大きくするアメリア。


 しかしすぐ、悪戯を思いついた子供みたいな笑みを浮かべて。


「えい」

「……っ」


 逆にローガンの手を包み込んだ。


「昨日のお返しです」

「……される方は、なんだかむず痒いな」

「そういうことです……はふ……」

「大丈夫か?」


 崩れ落ちるようにソファに身を埋めるアメリアに、ローガンが声を掛ける。


「す、すみません、気が抜けてしまい……」


 思わず欠伸が出そうになるのを必死で噛み殺す。


「緊張が解けて安心したんだな、無理もない」

「それもありますが、ちょっと今日は寝不足気味でして……」

「昨日は遅かったのか」

「…………そんなところです」


 庭園でのローガンとのひと時に心臓が休まらず朝まで寝られなかった、などと口に出来るわけがなかった。


 ──もっとわがままを言っても、いいんだぞ?


 不意に、昨日のローガンの言葉が蘇る。


「ローガン様」

「どうした」

「少し、わがままを言っても良いですか?」

「……わがまま?」

「ぎゅって、して欲しいです」


 寝不足で頭が回っていなかったのか、緊張から解放された気の緩みからか。

 気がつくと、そんなことを口にしていた。


(……何言ってるの私!?)


 言ってから、とんでもないお願いをしたことに気づき、背中にぶわっと冷たい汗が浮かぶ。


「……ぁっ、えっとですね、すみません、なんかぽろっと出てしまったと言いますか、ごめんなさい忘れてくだ……ひゃっ……」


 返答は、温かい抱擁だった。

 ローガンの温かい腕がアメリアを包み込む。


 心地よい香りと確かな力。


 壊れ物を扱うような優しさ、しかし確かな強さで、ローガンはアメリアを抱き締めた。

 驚きで微かに身体が強張るも、すぐにその力が解けていく。


 ローガンに包まれているという安心感が、じんわりと全身を満たしていく。


「……痛くないか?」

「だ、だいじょうぶです……」


 とろんと溶けそうな思考からようやく言葉を落とす。

 ひとりでに、アメリアはローガンの胸に頭を預けてしまう。


 とく、とく……とローガンの心音が聞こえてくる。

 自分のそれよりも速く、強く、聞くだけで心地良い鼓動だ。


 両手いっぱいでは抱えきれないほどの多幸感に、アメリアの頬がふにゃりと緩んでしまう。


「えへへ……」

「どうした?」

「いえ……嬉しいなあって……」

「そうか……」

(こんなに幸せで……いいのかな……)


 この温もりを幸せに思う一方で、怖さもあった。

 自分なんかがこんな幸せを享受して良いのだろうか。


 この幸せは仮初で、ある日突然崩れ去ってしまうのではないか。

 長い間実家で過酷な目に遭ってきて、世界は自分に厳しい物だと思っていたアメリアはそんな事を考えてしまう。


 今自分を包み込んでいる幸せに現実感がない。

 ある時ふとした拍子で目が覚め、あのオンボロ離れで目を覚すのではないか……という、言いようのない怖さがあった。


 そんな恐怖を振り払うかのように、背中に回された腕の片方が動く。


 そっ……と、ローガンの手がアメリアの髪をゆっくりと撫でる。

 その動きは繊細で、優しく撫でられるたびにアメリアの心音が落ち着いていった。


 目を閉じたらそのまま寝てしまいそうになりそうで……。


(……あ、これ……だめかも……頭回らない……)


 本当にこのまま寝てしまいそうだった。

 流石にこの状況で寝るのはローガンに迷惑がかかると、必死に目を開けようとする。


 しかし瞼は鉛のように重く、幕引きのようにゆっくりと落ちていく。

 意識の糸を手繰り寄せようとしても、するりと手を抜けていった。


「眠かったら、寝ていいぞ」


 ローガンの言葉に、踏ん張っていた理性が脆く崩れ去っていく。

 もはや、返答を口にすることも出来なくなっていた。


 代わりに、こくりと小さく頷く。


「……おやすみ、アメリア」


 ローガンの優しげな声を記憶の最後に、アメリアは意識をすんなりと暗闇に手放した。


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