第75話 冬の訪れ
翌朝、へルンベルク家の庭園。
ひんやりとした空気に時折、鳥たちの歌声が混じり合う。
静寂と生命力が手を取り合う様は、新しい一日の始まりを感じさせていた。
そんな中、アメリアはライラと一緒に屋敷の外を歩いている。
眠気覚ましも兼ねた、朝の散歩の時間だった。
「ふーんふふふーん♪」
アメリアの口ずさむメロディは、朝日に呼応するように軽快で楽しげだ。
朝露に濡れた花々や、木々の間を飛び跳ねる小鳥たちでさえ何か特別な光景に見える。
「アメリア様、今日はとても機嫌が良いですね」
「あ、わかっちゃう?」
アメリアの口元が綻ぶ。
──もし、私の知識や能力が、たくさんの人の役に立つのでしたら……私は、精一杯、やらせていただきたく思います。
昨夜のローガンに言った言葉。
自分の意思で決断を下せた事が、未だに喜びの糸を引いていた。
「こ、これは……!!」
一方のライラは両目をきゅぴんと光らせて、恋話に花を咲かせる乙女のような顔をして言う。
「アメリア様、ついにローガン様と大人の階段を……!?」
「おおおお大人の階段!?」
ぼむんっと、アメリアの顔が一瞬にして茹で上がる。
「そそそそういうんじゃないから! ちょっと私的に成長出来た事があって、それが嬉しかっただけ!」
アメリアが弁解するように言うと、ライラは「なあんだ」とちょっぴり残念そうな反応をする。
「でも、成長ですか……」
ふむ……と黙考してからライラは言う。
「確かに私から見ても、アメリア様は、この屋敷に来た時と比べると変わったように見えます」
「そ……それはいい方に?」
「ええ、もちろん」
恐る恐る尋ねるアメリアに、ライラは優しい微笑みを浮かべて頷く。
「以前にも増して……アメリア様は、とても明るくなりましたよ」
ライラの言葉に、胸をスッと新鮮な空気が抜けた。
「確かに、そうかもしれないわね」
以前の自分と比べて、今の自分は多少前向きになっている。
実家にいた頃は何もかも諦めて、他人の操り人形として自我のない生活を送っていた。
しかしヘルンベルク家に来て、ローガンがアメリアの本音を引き出してくれた。
そして、シルフィ、オスカー、ライラと言った優しい人たちと過ごすうちに、少しずつ素が出せるようになっていった。
加えて、先日のメリサ襲撃事件も影響が大きい。
今まで逆らうことのできなかったメリサに対して、アメリアははっきりと自分の意思を伝え、抵抗した。
暗く沈んでいた操り人形の目に、明確な光が灯ったのだ。
以降、アメリアは少しずつ、元来の性格を取り戻していったのだろう。
「ありがとう、ライラ」
「えっ、突然なんのお礼ですか?」
「んー、色々?」
「よ、よくわかりませんが……どういたしまして?」
きょとんと小首を傾げるライラに、アメリアがふふっと笑った。
それからしばらく庭園を歩いていると。
「アメリア様! 見てください! 『ユキアゲハ』ですよ!」
ライラが指さした先に、白と紫の繊細な色合いが交じった美しい花が咲いていた。
「わっ、本当!」
ユキアゲハの元に駆け寄る二人。
華やかさと、どこか凛とした雰囲気を持つ花の姿にアメリアの瞳は輝きを増した。
「綺麗ですね……」
「本当、『冬の妖精』と呼ばれるだけあるわ」
「冬の妖精?」
「そう。ユキアゲハは美しいことはもちろん、冬の訪れとともに花を咲かせるの。だから『冬の妖精』って呼ばれるのよ」
「流石アメリア様! 相変わらず博識ですね……」
感心したようにライラは言う。
「知ってても特に役に立たない知識だけどね」
「そんな事ないですよ」
苦笑を浮かべるアメリアに、ライラは真剣な眼差しを向けている。
「たった今、役に立ったじゃないですか。私は花に関する新しい知識を知る事ができて、ひとつ賢くなりました。ほら、とっても役に立ちました!」
屈託のない笑顔を浮かべて言うライラに、アメリアは言葉を詰まらせてしまう。
(すぐ自分を否定してしまうのは……悪い癖ね)
少しずつ直していかなければいけないなと、改めて思うアメリアであった。
その時、びゅうと冷たい風が吹いて二人を包む。
「もうすぐ冬ですねえ……」
ライラがぶるるっと身を縮こませながら、のんびりとした調子で言う。
「冬……そうね、冬ね……」
アメリアの表情が強張った。
脳裏に蘇るのは薄暗い記憶。
思わず、アメリアは遠い目をした。
(実家の離れにいた時は、冬は毎年大変だったな……ご飯も薪もほとんど貰えなくて、手はよく擦り切れるし、何度も何度も凍えてたっけ……)
ふと、自分の両手に目を向ける。
擦り切れひとつない、綺麗な手だ。
改めて、温かい部屋に、美味しいご飯のある生活は幸せだなとアメリアは思った。
「アメリア様? なぜそんな遠い目をしているのですか?」
ライラに訊かれてハッとする。
「ううん、なんでもないわ」
わざわざここで気を遣わせるような話をする必要もないので、アメリアは話題の舵を切る。
「確か、ライラの実家は花屋さんだったよね?」
「そうですそうです! なので、綺麗なお花を見るとつい、吸い寄せられちゃうんです」
「うふふ、すっごく気持ちがわかるわ」
何気ない気持ちて、アメリアは話を続ける。
「私も、お母さんが植物好きで、子供の頃から色々教えてくれたの。ライラも、お母さんが植物好きとか?」
「お母さん……」
今までの明るい声色とは違う、微かに曇りを帯びた声。
「ライラ?」
「あ、すみませんっ、ボーッとして……そ、そうですね、母がとても……植物が好きで、それが高じてお花屋さんをやり始めた、という感じです、はい」
何故か言葉がおぼつかなくなったライラに、アメリアは首をかしげる。
「そうなのね。きっと、素敵なお花屋さんなんでしょうね」
そう返すも、ライラは「はい、まあ……」と沸切らない返答を口にするばかりであった。
(気のせいかしら……?)
ライラの瞳に暗い影が落ちたような気がしたのは。