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第173話 もどかしさ

 夜も深くなったローガンの寝室。

 ふかふかの絨毯の上で、アメリアはユキと向かい合っている。


「ユキ、お手」


 アメリアは手を差し出して声をかける。

 するとユキは「がるっ」を一声発してから大きな前脚を持ち上げ、器用にアメリアの手の上に乗せた。


「よーしよしよし、えらいねぇ!」


 アメリアは顔を綻ばせ、優しくユキの頭を撫でてから、懐からおやつを差し出した。


「がるるっ」


 ユキは嬉しそうにおやつを頬張りながら、アメリアの手にすり寄って甘えるように喉を鳴らす。

 その様子は大きな体に似合わないほど愛らしく、胸がほっこりと温かくなる。


 こんなふうにユキと触れ合える時間は、アメリアにとって大きな癒しになっていた。

 そんな時、ローガンとシルフィが部屋に入ってきた。


「ユキも、そろそろ寝る時間ですよ」とシルフィが声をかける。


 するとユキはアメリアに小さく頬を擦り寄せて、すんなりとシルフィの元へ歩いていった。


「よしよし、お利口さんですねえ」


 いつもは表情の変わらないシルフィも、ユキを前にすると口元が緩んでいる。

 ユキは最後に一度振り返り、アメリアにおやすみとでも言うように「がるっ」と鳴いてから、静かに部屋を出ていった。


 二人きりになった寝室に、ローガンの感心したような声が落ちる。


「本当にお利口なんだな、ホワイトタイガーは」

「ええ、本当に。人でも入ってるんじゃないかと思うくらいです」


 同調するアメリアに、ローガンは言った。


「そういえば、ウィリアム氏から聞いたぞ、正式に紅死病の特効薬の認可が下りたようだな」

「はい! ウィリアムさんのおかげですね。たくさんご協力いただきましたから……」


 控えめな様子で言うアメリアに、ローガンは首を振って言う。


「とはいえ、元はと言えばアメリアの功績が大きい。本当におめでとう」


 静かに告げるその言葉には、アメリアの才能と頑張りを知るからこその深い誇りと愛情が感じられる。

 ローガンに褒められて、アメリアの心は温かく満たされるのを感じた。


「ありがとうございます……」


 照れ臭そうに礼を述べるアメリア。

 しかしその瞬間、ローガンがふと窓の外へと視線を逸らし、つぶやくように言った。


「……俺も、頑張らないとな」


 その溢れるような声に、アメリアの胸がかすかに痛む。

 ローガンのその言葉には、どこか決意めいた含みがあるように感じた。


「そろそろ寝るか」

「……はい」


 ローガンが提案し、アメリアが頷く。

 灯りを消すと、静かな夜の静寂に包まれた。


 二人とも、一つのベッドに身を横たえる。

 カーテンの隙間から差し込む柔らかな月明かりがまるで薄いベールのように部屋を照らしていた。


 アメリアは、ローガンの隣で眠りにつこうと目を閉じていた。

 しかし、心の中に澱むような思いがまだ消えず、ローガンにそっと体を寄せた。


 大きな肩に頭を預けると、彼の温かさがすぐ近くに感じられ、何ともいえない安らぎが広がる。


「どうした?」


 低く優しい声が耳元で囁かれ、アメリアは小さな声で答える。


「なんでもありません……」


 どこか甘えるような声に、ローガンは揶揄うように言う。


「今日はやけに甘えん坊だな」

「す、すみません、暑いですよね……?」


 なんだか恥ずかしくなって、それらしき理由をつけて体を離そうとする。


 しかしその瞬間、ローガンはアメリアの体をしっかりと引き寄せ、胸元に収めた。

 アメリアは驚きながらも、自然とローガンのぬくもりに身を委ねる。


「このままでいい……とても、安心する」


 アメリアの髪にそっと手を伸ばし、優しく撫でるローガン。

 その大きな指先が髪を丁寧に梳いていくたび、なんとも言えない心地よさが到来する。


 撫でるたびに、心がほどけていくような気持ちになった。

 妙に甘い香りがふんわりと漂い、うとうとした眠気がやってくる。


 しばらく、二人は言葉を交わさず、ただお互いの温もりを確かめるように穏やかな時を共有していた。

 外からは微かな風の音が聞こえる。


 時折遠くから虫の声が混じり、静けさの中に自然の息吹が感じられた。

 アメリアはまどろみかけていた時、ローガンの声が響く。


「昼間、話したことなんだが……」


 アメリアはふっと目を開け、ローガンの顔を見上げた。

 ぼんやりとしてよく見えないが、その表情には真剣さが滲んでいるように思えた。


「ラスハルへは、まだ行くと決まったわけではない。それに、もし行くとしても後方での赴任になる。危険な目に遭うことは、そうそうないと思う」

「……そう、なのですね」


 ローガンの言葉に、アメリアはぐこちない返答をする。


 その話し方から、ローガンは安心させようとしているのがわかるし、彼自身もそう信じているのだろう。


 けれど、その言葉に含まれる「そうそうないと思う」という曖昧な響きが、ローガンの胸の奥底にある覚悟や、危険を伴う可能性を物語っているようで、アメリアは不安を隠せなかった。


「遭わない」と断言してほしい。


 そんな気持ちがこみ上げてきたが、言葉にすることなく、ただローガンの胸元に顔をうずめることで、心の波を鎮めようとした。


 ──アメリア様はもっと、ご自身の気持ちを主張なさっても良いと思いますよ。


 ふと、アメリアの頭にウィリアムの言葉が蘇ってくる。


 その一言は、アメリアの心に鋭く響いていた。胸の中の言葉を押し出そうとする。

 しかし、実際に口を開いて出てきたのは自分の本心とは正反対の言葉だった。


「私のことは……お気になさらないでください。ローガン様は、ローガン様が正しいと思う選択をしていただけると、良いと思います……」


 言葉を並べるたびに、アメリアの胸は痛みで締めつけられた。

 本当は「行ってほしくない」と言いたいのに、その一言をどうしても口にすることができない。


 自分の気持ちを隠し、彼を思いやる言葉を選ぶ自分に、もどかしささえ覚えた。

 アメリアの返答に、ローガンが俯く。


「……すまない、苦労をかける」


 どこか辛そうな色を伴って、絞り出すように言ってから、ローガンはアメリアを強く抱き締めた。 

 その抱擁には、言葉にできない感情が込められているように感じた。


 アメリアもローガンの背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめ返した。


 その温かさを胸に刻み込むように、今この瞬間だけでも彼の存在を確かめるように、深く、強く。


 まるで、そう遠くない未来に彼がこの腕の中から消えてしまうかのような予感が、アメリアの心を静かに蝕んでいた。


 そうしていると、ふと、心の奥からある願いが浮かんできた。

 アメリアは少し顔を上げ、口を開く。


「ローガン様」

「なんだ?」


 ローガンの優しい眼差しが自分に向けられるのを感じながら、アメリアはそっと尋ねた。


「美術館に、行きませんか?」


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