第172話 助言
午後になり、カイド大学の教授にしてアメリアの家庭教師のウィリアムがやってきた。
「アメリア様! 紅死病の薬の認可が正式に下りましたよ!」
大量の書類を胸に抱えたウィリアムは、部屋に入ってくるなり声を張って言った。アメリアの開発したの紅死病の特効薬は、従来のものと比べると安価で庶民にも手が届く画期的なもの。
ウィリアムによる治験や大学での論文提出などを経て無事認可されたのは、アメリアにとってもビッグニュースのはずだったが……。
「それは……とても嬉しい、ですね……」
一方のアメリアはテンション低めに返す。
ウィリアムの弾んだ声で放たれた言葉が右から左へ素通りしたようだった。
「はい! これで晴れてアメリア様の地力の結晶が認められました、本当におめでとうございます! いやあ、今日は授業はせずに今すぐにでもパーティを開きたいくらいで……アメリア様?」
ここでようやく、ウィリアムはアメリアの異変に気づく。
「いかがなさいました? 何やら、心ここに在らずといった様子ですが」
「イイエ、ソンナコトハナイデスヨ……」
「その反応は流石に無理がある気がします」
ウィリアムは書類を机の上に置き、アメリアの隣に座って優しく尋ねた。
「何か心配事を抱えているようにお見受けします。もしよろしければ、話していただけませんか?」
「……えっと」
改めて聞かれると、どう答えて良いのか悩んでしまう。
アメリアの頭の中に渦巻いているのはもちろん、ローガンのラスハルへの派遣についてだ。
(そもそも、勝手に言うわけにはいかない……)
前提として軍務関連の情報に該当するため、ローガンの許可なしにウィリアムに話すのはよろしくないのは、なんとなくわかる。
アメリアが言葉を口にできないでいると、ウィリアムは「ふむ……」と顎に手を添えてから尋ねた。
「ローガン様のことで、何かお悩みを抱えている、という所ですか?」
「…………っ!?」
「いや、そんな『名探偵ですか貴方は!?』みたいな顔をされましても」
「な、なんでわかるのですか……?」
「アメリア様が悩むことと言ったら、それくらいしかないでしょう」
微笑ましげにウィリアムに言われて、なんだか気恥ずかしくなったアメリアは視線を伏せる。
「喧嘩でもしたのですか?」
「喧嘩、というわけではありませんが、なんと言いますか……」
言葉を慎重に選びながら、アメリアは言う。
「ローガン様のとある行動に少々思うところがあって……それについて私は意見をしたい気もしないでもないですが、言い出せなくてモヤモヤ……という感じでしょうか……」
「だいぶ回りくどい言い方になりましたね」
「うぅ……すみません、自分でも気持ちが整理できていなくて……」
もしかすると、ローガンが危険な場所に行ってしまうかもしれない。
そのもしかしては、ここ最近まで、ローガンと平和な日々を送っていた分、まだ現実味を帯びていない。
考え込むような仕草をしてから、ウィリアムは言う。
「アメリア様はもっと、ローガン様とぶつかるべきかもしれませんね」
「ぶつ、かる?」
「ええ。差し出がましいことを言いますが……アメリア様は、ローガン様に嫌われたくない、迷惑に思われたくがないあまり、自分の本音を我慢しているでしょう?」
ウィリアムの言葉にアメリアは一瞬、胸が締めつけられるような思いに駆られた。
的を射た指摘に、心に小さな波紋が広がる。
アメリアの反応に、ウィリアムは「やはり」といった顔をした。
アメリアの性格は、幼少期の環境によって形作られてきた。
実家では虐げてくる家族の顔色を常にうかがい、決して歯向かうことはしなかった。
そのためアメリアはいつの間にか、自分の気持ちを飲み込むことが身についてしまったのだ。
ローガンと出会って多少は緩和されてきたものの、他人に強い影響を与えそうな主張や要望は反射的にしないようにしてしまっている。
そんなアメリアの内情を察してか、ウィリアムは言う。
「アメリア様はもっと、ご自身の気持ちを主張なさっても良いと思いますよ」
「わがままは、少しずつ言えるようになってきた気がするのですが……」
遠慮がちな口調で言うアメリアに、ウィリアムは尋ねる。
「人の心を変えるほどのわがままは、言えていますか?」
その問いに、アメリアの胸が小さな痛みを覚えた。
確かに、これまでのわがままは些細なお願いばかりで、相手の気持ちを動かすほどのものではなかったと気がづく。
答えられないでいるアメリアに、ウィリアムは優しく諭すように言う。
「実を言えば、私も対人関係が得意なほうではありません。それもあって、私は大学内で孤立してしまうことも多かった……」
どこか遠い目をしてウィリアムは言う。
「ですが、自分の意見を貫かなければ、誰も私の考えに耳を傾けてくれませんし、研究に協力してくれません。時には対立してでも自己を主張し、人と深い関係を構築する事は、とても大事だと思います」
ウィリアムの話に、アメリアは聞き入ってしまう。
彼の言葉は、アメリアが見ないようにしてきた自分の弱点を、そっと教えてくれるかのようだった。
「私は、アメリア様の本当のお気持ちを、大切にしていただきたいと思っています。たとえそれが衝突を生むような事があっても、伝えず悶々と思い悩んで、自身の望まぬ結果になる方が良くないでしょう」
ウィリアムの言葉がアメリアの心に染み渡っていくのを感じる。
正しい。正論だと感じる。
けれど、だからといって「はい、分かりました」と軽々しく頷くことができない自分がいた。
「……ありがとうございます、ウィリアムさん」
感謝しか口にできない事が、とても歯痒い。
「いえいえ、とんでもございません。何はともあれ、アメリア様はご自身の心の声をどうか大事にしてください。周囲に気遣い、尽くすのは、アメリア様の良いところではありますが……それが原因で、結果的に周りを悲しませてしまっては本末転倒ですから」
ウィリアムの言葉は、確かな響きを持ってアメリアの胸を打った。
しかし、一方でローガンが自分で決めた意志に介入する恐怖も拭えない。
心に抱えたままの本音をどう扱うべきか、ローガンに伝えるべきなのか、悶々と悩むアメリアであった。