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第169話 人を変えるのは人

 船が波をかき分けて進んでいくたび、港の景色が徐々に遠ざかっていく。

 やがて視界は広大な海一色に染まり、晴れ渡る青空の下、輝く日差しが水面に無数のきらめきを映し出していた。


 そんな爽やかな空の下で、アメリアは甲板でホワイトタイガーと戯れていた。


「ほわあぁ~……柔らかくて気持ち良い~……」


 大きなホワイトタイガーのお腹に顔を埋める。


 ホワイトタイガーの毛並みはまるで極上の絨毯のように滑らかで、どこか甘い香りさえ漂っている。


 ふわふわとした毛の温かく優しい感触を心ゆくまで味わっていた。

 ホワイトタイガーはアメリアと一緒にいれて嬉しいのか、喉をゴロゴロと鳴らしながら身を寄せ甘えるように目を細めている。


 そんな二人の様子を見て、ふとローガンが尋ねた。


「そういえば、名前はつけないのか?」

「名前……そうですね、つけた方が良いですよね」


 へルンベルク家の一因となるのだから、呼び名はあった方が良いだろう。


「何がいいかしら……」


 起き上がってアメリアが顎に手を添えて考え込む。

 するとホワイトタイガーの瞳が興味津々と言わんばかりに輝きを増した。


 まるで、アメリアの言葉に期待を寄せているかのように。

 アメリアは少し考え込んだ後、ぴこんと閃いたように指を立てて言った。


「……ユキとか、どうかしら?」

「いいんじゃないか? 雪は白いから、分かりやすい」

「あ、語源はユキアゲハから取っています! 冬の妖精と呼ばれている、白くて可愛らしいお花なんですよ」


 人差し指を立てて、ふんわりした笑顔でアメリアは解説する。

 ユキアゲハは以前、お花屋さんでライラと共に話題にした花でもあった。


「なるほど、花の名前から来ているんだな。アメリアらしい」


 納得したようにローガンが頷く。

 一方のホワイトタイガーはその提案を歓迎するかのように、「わふっ」とひと鳴きした。


「ユキが良いみたいだぞ」

「人間の言葉を理解してるみたいでお利口ですね……」


 頭が良いとは言っていたが、賢すぎではないだろうか。


「それじゃあユキ。これからもよろしくね」


 なにはともあれ、こうして、ホワイトタイガーは正式に「ユキ」と名付けられたのだった。 


「わわっ、ユキ、くすぐったいわ」


 まるで、名前をつけてくれた感謝をするかのようにユキがアメリアの頬を舐める。


 アメリアはおひさまのような笑顔でユキを受け入れて楽しそうにしていた。


 そんなアメリアとユキの姿を眺めているローガンの眉がぴくりと動く。

 ユキがアメリアの気を引いているのを見て、微妙な感情が姿を現した。


 それを自覚した途端、なんとも自分の器が小さい気がして苦虫を噛み潰したような表情をしてしまう。

 その表情の変化に気づいたアメリアが、不思議そうにローガンを見つめて問いかけた。


「いかがなさいました?」

「いや……」


 ローガンは一瞬、言葉を濁して視線を逸らす。

 傍らのシルフィがすました顔で一言、ささやくように言った。


「ローガン様は嫉妬されているのですよ」

「しっと?」


 アメリアはきょとんとした顔で、シルフィの言葉の意味が理解できずに首を傾げる。


「シルフィ」


 ローガンはがシルフィに軽く釘を刺すと、「失礼しました」とシルフィは一礼した。

 アメリアはまだ困惑した様子で「???」と首をかしげている。


 そんな様子を見て、ローガンは小さくため息をつくと、ユキの隣に腰を下ろした。


「ローガン様も、触りますか?」

「いや、俺は……」


 ローガンは動物にあまり懐かれた経験がない。そのため少し距離を置いていたが……。


「ほらほら、遠慮なさらず」


 アメリアの熱烈な要望に抗えず、ローガンはぎこちなくユキに手を伸ばした。

 ユキはローガンを拒否することなく、まるで挨拶をするようにその大きな舌で彼の手をぺろりと舐めた。


「くすぐったいな」


 思わず笑いを漏らしながら、ローガンはユキの大きな頭を優しく撫でた。


 ユキにとって、アメリアは命の恩人であり主でもある。


 そのため、アメリアと親しいローガンもまた大切な人だと認識したのだろう。

 忠誠と愛情を注ぐ対象としてローガンも刻み込まれたようだ。


「ふふっ……」


 ローガンとユキが仲良くしている姿を見て、アメリアは自然と微笑みが溢れる。


「どうした?」

「いえ……なんでもございませんよ……そうだ、こうすると気持ち良いんですよ」


 そう言って、ローガンの腕を引いてユキのお腹に二人でそっと頭を乗せた。


「ふわふわで気持ち良くありませんか?」

「……ああ、極楽だ……」 

 ローガンは気持ちよさそうに目を閉じ、穏やかな表情を浮かべた。

 その様子を見たアメリアは、またしてもくすくすと笑みを漏らした。


「さきほどから、どうした?」


 ローガンが目を細めて尋ねると、アメリアは優しいまなざしで返した。


「初めてお会いした時に比べると、格段に色々な表情を見せてくれるようになったなって」


 アメリアの言葉に、ローガンは僅かに目を見開く。

 それからローガンはアメリアの手を優しく握って、視線を静かに交わし合いながら口を開いた。


「アメリアのおかげだよ」


 その一言には、ローガンの心の奥深くに沈んでいた感情が隠されていた。


「元々俺は、感情表現が得意ではなかったのもあるが……両親からの教えもあって、感情を示すことは自らの弱みを他人にさらす行為に等しいと考えていた」


 かつて、感情を表に出すことはローガンとって刃物のようなもので、鋭く危険なものだった。


 貴族の世界では、人の心を分析し、周りを牽制することを求められてきた。


 「暴虐公爵」という不名誉な呼び名を得たのは自らそういった噂を流したのもあるが、自身の無情さにも起因していると考えている。


「周囲が恐れることで干渉も減って、意図的に流した噂も功を奏して、敬遠される存在へと変わっていったが……少々虚しさもあった、かもしれない」


 感情を表に出さないと、周囲は無意識的に避けるようになる。

 それが楽といえば楽な部分もあったが、どこか寂寥めいた心地もあった。


「……だが、アメリアと出会ってからは変わった」


 アメリアの瞳をまっすぐ見て、ローガンは言う。


「アメリアの笑顔や、誰にでも優しい心に触れていると……俺の心も少しずつ温かくなっていくのが分かったんだ」


 冷たい仮面の奥に封じていた感情が、ゆっくりと溶かされていく。

 その過程はローガンにとって新鮮であり、同時に喜びを伴うものだった。


「アメリアが笑えば、俺も自然と笑ってしまう。アメリアが悲しめば、怒りや悲しみが俺の中に湧き上がってくる。それが、こんなにも……心地よいものだとは、思ってもみなかった」


 まるで独白のように紡がれる言葉に、アメリアの胸がきゅっと締まる。


「アメリアのと出会ったおかげで、俺は良い方向に変わることができた。……だから、感謝している」


 心の底から嬉しさが込み上げてきて、胸がいっぱいになるのをアメリアは感じた。


「……大したことはしていませんよ」


 控えめな性分の彼女は、微笑みながらも首を振る。


「元々、ローガン様がそういう人だった、というだけだと思います。最初から、私はローガン様を優しい人だと思っていましたよ」


 初めてへルンベルクの屋敷に来た日、緊張から紅茶を溢してしまったアメリアに、ローガンがすかさずハンカチを差し出した事を思い出す。


 久しぶりのご馳走にお腹を痛めた自分を、心の底から気遣ってくれたローガンを思い出す。


 無情なんてとんでもない。


 ローガンは最初から、人を想う事の出来る優しい人だったとアメリアは考えていた。


「でも、引き出してくれたのはアメリアだ」


 真剣な面持ちで、ローガンは続ける。


「人の本来の性質を引き出すのは、やはり人なんだと想う。人は人と関わり合うことで、自分の中にある足りない部分を補い合うもの……俺は……確かに、アメリアと出会って変わったんだ」


 アメリアはしばらくローガンの言葉を噛み締めるように聞いていたが、やがてふっと微笑んだ。


「それで言うと、私も同じですね」


 お日様のような笑顔を浮かべて、アメリアは言う。


「ローガン様と出会って、私も……変わることができました」


 かつて実家では虐げられ、己の主張を持つなど許されなかった自分。

 それが今や、自分のしたい事、欲しいものを口に出せるようになった。


 旅先で懐いたホワイトタイガーを飼いたい、と主張できるくらいに。


「だから、とても感謝しています」

「お互い様か」

「ええ、お互い様、です」


 二人は静かに見つめ合ったあと、どこまでも広がる海原へと視線を移した。


 船はゆっくりと波を切りながら進み、包み込むように穏やかに揺れている。


 ユキの柔らかな毛並みに身を預け、優しい風に身を任せて、二人は静かな時間を分かち合っていた。



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