表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

158/188

第157話 これから起こること

「このタイミングで言うのは違うと思うんだが……」


 言いづらそうに、ローガンは言った。


「鳥たちが、クッキーを狙っている」

「へっ!?」


 アメリアが驚いて振り向くと、いつの間にか彼女の背後には大群の水鳥たちが静かに集まっていた。


 白や灰色の水鳥たちがアメリアの脇の小袋をじーっと見つめている。

 袋の中のクッキーに集中するその姿は、まるで狩りの獲物を捉えた猛禽のように真剣だった。


 水鳥たちは小さく鳴き声を上げながら、じりじりとクッキーに身を寄せていた。


「ひゃあああっ!?」


 突然の事でびっくりしたアメリアは思わず飛び上がった。

 アメリアが急に動きを見せたためか、驚きで水鳥たちも一斉に羽ばたく。


 狭い小舟の上で、アメリアと水鳥たちが同時にパニックに陥る。

 羽ばたきの風がアメリアの髪を乱す。


 中には互いにぶつかりながらもクッキーの小袋に向かって猛然と突進してくる鳥もいた。


「きゃああああああっ!!」

「アメリア!!」


 ローガンの声も届かないほど、ボートの上は混乱に包まれた。

 興奮した水鳥たちにもみくちゃにされ、アメリアはバランスを崩した。


「こっちへ!」


 ローガンはアメリアを守るべく腕を掴み、なんとか彼女を鳥たちの群れから引き離そうとする。

 しかし次の瞬間、ぐらりと視界が揺れた。


「っ!?」


 水鳥たちの動きと二人の足のもつれが重なり、ボートが大きく傾いたのだ。


 どぼんっ!!


 ボートがひっくり返り、アメリアとローガンは湖へと放り出された。

 冷たい水が身体を包んだ瞬間、アメリアは息が詰まるような感覚に襲われた。


「っ……!!」


 ドレスは瞬時に水を吸い込み、重さが倍増する。


 何重もの布地がアメリアの手足に絡みつき、まるで水の底へ引きずり込もうとするかのようだった。


 水面へ浮かび上がろうと必死で手足を動かすが、ドレスの重みが彼女の動きを奪う。


「わっ……ぷ……!!」


 生まれてこの方泳ぎの練習などしたことのないアメリアはただもがくことしかできなかった。


 必死に水中で手を伸ばすが、まるで空を掴むように何もない。

 身体がずぶずぶと沈んでいき、冷たい水が喉元まで迫る。


 肺が酸素を求め、パニックが胸の奥から込み上げてきた。


(だめ……このままじゃ……!!)


 意識が薄れかけるその瞬間、強い力がアメリアの腰を掴んだ。


「アメリア!!」


 聞き覚えのある低い声が水中を震わせ、身体が一気に引き上げられる感覚がした。


「ローガン様!」


 自分を呼ぶ声に応えると同時に、大きな腕が水面へと引き戻す命綱のように腰と背をしっかりと抱く。


「しっかり掴まれ!」


 アメリアを抱き抱えながら、ローガンは湖面をかき分けて泳いだ。

 冷たい水が容赦なく全身にまとわりつくが、ローガンの手足が乱れることがなかった。


「は……ぁっ……」


 アメリアは水面に顔を出して、酸素を一気に吸い込む。

 なるべくパニックにならないよう、落ち着かせるために何度も何度も息を吸い込んだ。


「もう少しだ……頑張れ!」


 ローガンは必死に彼女の身体を支えながら、浅瀬を目指して泳ぎ続けた。

 水を掻くたびに波が立ち、太陽の光がその波紋に反射してキラキラと輝く。


 しばらくすると足が湖底に届く感覚があった。

 ローガンは立ち上がり、膝まで浸かった水の中を歩いて進む。


 アメリアを胸に抱いたままローガンが歩いた。

 冷たい湖水が足元でざぶんざぶんと音を立て、二人はようやく岸にたどり着いた。


「はぁ……っ、はぁ……」


 ローガンはアメリアを地面にそっと下ろし、彼女の背中を軽く叩いた。


「ごほっ、けほっ……!」


 アメリアは咳き込みながら肺の中の水を吐き出し、必死に呼吸を整えようとする。


「大丈夫か、アメリア!?」


 ローガンの声には焦りが滲んでいた。

 彼の濡れた髪から水滴が垂れ、小さな虹色に輝く。


「けほっ……だ、大丈夫です……」


 アメリアは震える声で答えながら笑顔を見せる。

 冷たい水の中から救い出された安心感が胸に広がり、身体の芯が徐々に温かくなっていった。


「良かった……」


 その声には、いつもの冷静な調子とは違う、どこか震えるような感情が滲んでいた。


「アメリアが無事で、本当によかった……」


 普段は見せない表情──不安と安堵、そして強い想いが重なったその眼差しに、アメリアの心は一瞬にして乱される。


(こんなにも、心配してくれるなんて……)


 ローガンが自分を心から大切に思っている実感を抱いて、アメリアは息を飲んだ。


 胸が高鳴るのを抑えきれず、ローガンの服をきゅ……と掴む。


 濡れた布越しにじんわりとローガンの体温が伝わってきた。

 けれどその一方で、罪悪感も押し寄せてきた。


「ごめんなさい、ローガン様……」

 俯きながら、アメリアは消えいるような声で言った。


「私がクッキーを作らなければ……ボートを転覆させてしまったのも、私のせいで……」


 元を辿れば自分が起こした失態でローガンに迷惑をかけ、こんなにも心配をさせてしまったことが胸に重くのしかかる。


 ローガンはその言葉を遮るように、優しく彼女の肩を撫でた。


「そんなこと、気にするな」


 彼の声は落ち着いていて、それだけでアメリアの心をほぐすような力を持っていた。


「こんなことになるとは、誰も予想出来なかっただろう。だから、アメリアが気負う必要はない」

「でも……」

「言っただろう、なんでも自分が悪いと思わないでくれと」


 ローガンの言葉にハッとする。

 以前、彼に言われた言葉。


 何か問題が生じた時、深く考えずにすぐに自分の責任だと思う癖。

 ぶんぶんと頭を振って、アメリアは胸に残っていた罪悪感を追い出した。


「すごい経験をしてラッキーだった、くらいに思いましょう」

「ああ、それでいい」


 ぽんぽんと、ローガンがアメリアを頭を撫でる。

 いつの間にか震えが治まっていた体には温かさが戻っていた。


 ローガンが身体を離す。

 その時ふと、ローガンの視線がアメリアの胸元に移り……次の瞬間、顔を逸らした。


(……あれ?)


 急に目を逸らされたアメリアは、首を傾げた。

 ローガンが何を気にしているのかわからないまま、表情を覗き込む。


「いかがなさいました?」

「いや……」


 ローガンは言葉を詰まらせたまま、微かに息を呑んだ。

 だが、その仕草からアメリアは察する。


「あっ!!!!」


 瞬間、アメリアは自分の状態に気づいて頬がカッと熱くなった。

 濡れたドレスが肌に密着し、下着のラインが透けて見えているのだ。


「も、申し訳ございません!」


 顔を真っ赤にし、アメリアは慌てて胸元を両腕で覆った。


「お見苦しいものを……! 本当に申し訳……」


 アメリアの言葉が言い終わることはなかった。

 ローガンがアメリアの肩を掴み、真剣な眼差しで言葉を紡ぐ。


「見苦しくなんかない」


 その言葉に、アメリアは目を見開く。

 吸い込まれそうなほど美しい、蒼い瞳を見つめる。


 冷たい湖の水を受けても、その瞳は温かさを失わず、ただ真っ直ぐに彼女を見ていた。


「ローガン……様……」


 二人の距離が自然と縮まり、互いの呼吸が重なり合う。

 鼓動の高鳴る音が、静かな湖畔に響き渡るような感覚。


「アメリア……」


 言葉はもはや必要なかった。

 二人の瞳は互いを映し合い、そのままゆっくりと唇が近づいていく。


 二人の唇が、そっと触れ合う。

 さざなみの音も、風にそよぐ木々の葉音も遠ざかり、ただ互いの存在だけが鮮明に感じられる。


 ローガンの唇はほのかな冷たさを纏っていたが、その内側には確かに温もりがあった。

 アメリアはまばたきも忘れ、目を閉じてその感触に身を委ねた。


 静かな接吻。

 どこか儀式めいた慎ましさがあるが、心臓の鼓動は聞こえるくらい高鳴っている。


 二人の間に流れる感情が情熱的な炎を帯びていくのが分かった。

 唇がゆっくりと離れると、蕩けるような余韻が身体の奥底まで染み渡る。


 だが、ローガンの表情は変わっていた。


 いつもは静かに世界を見つめている瞳からは理性が薄れ、燃えるような感情がその奥底から溢れ出そうとしていた。


「アメリア……」


 短く名を呼ばれた次の瞬間、アメリアは草地の上に押し倒されていた。。


「ロ、ローガン、様……?」


 戸惑いの声が漏れる。ローガンに強く抱かれて、背中が湿った地面に沈む。

 ローガンの胸が上下するたびに、その熱が伝わってきた。


「昨晩は、我慢できたが……」


 荒れた息遣いの合間に、ローガンが堪えきれないように言葉を漏らす。


「もう、限界かもしれない」


 その声に込められた真剣さと抑えきれない感情が、アメリアの心臓を一際大きく高鳴らせた。

 今度のキスは、先ほどとは全く違うもの。 


 深く、激しく、唇が互いを貪るように求め合う。

 ローガンの唇が彼女の下唇を甘く噛み、息もつけないほどに熱を注ぎ込んでいく。


 アメリアの頭はぼんやりとして、まるで夢の中にいるような感覚が広がっていった。


(ああ……)


 なんとなく、アメリアはこれから起きることの意味を悟った。

 拒否感は無い。されるがまま、というわけではない。


 むしろ、この時を待ち侘びていたかのような高揚感が理性を支配していた。


 溺れかけた一瞬の恐怖と、その後の安堵が引き金となり、二人の感情が理性を越えて本能へと突き動かされていたのだろう。


 この瞬間、ただ互いを求めることしか考えられなくなっていた。


 ローガンの手が彼女の頬を撫で、触れたか触れないかの距離で停まる。


 熱い吐息がアメリアの肌をかすめ、鼓動が二人の間で重なり合う。


「アメリア……」


 ローガンの手が、再び彼女の頬に触れようとし──。


「ローガン様ー! アメリア様ー! 大丈夫ですかー!?」


 元気いっぱいな声が、不意に二人の空気を引き裂いた。


「……っ!?」


 アメリアとローガンは、バッと弾かれたように身体を離す。


「突然ボートがひっくり返ったので、びっくりしましたよ! さあさあ、タオルをお持ちしました!」


 何事もなかったかのようにリオが差し出したタオルに、二人はしばし呆然とするしかなかった。


 先ほどまでの熱っぽい空気が、まるで風に吹き飛ばされたように消え去り、残されたのはタオルを握るリオの屈託のない笑顔。


「……ありがとう、リオ」


 ローガンは深いため息をつきながら、冷静を装ってタオルを受け取る。


(わ、私ったら……何を……!?)


 先ほどの出来事を思い返して、真っ赤にした顔を押さえるアメリアであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
↓タイトルをクリックすると新作漫画のページに飛べます。

【漫画原作】花紡ぎの聖女は初恋の皇太子に溺愛される【1話無料】



― 新着の感想 ―
 な、ナイスタイミング??
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ