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第155話 ボート

 朝食後、ローガンは何時間か仮眠をとっていた。

 その間、アメリアは屋敷の中をぶらぶらしたりして時間を過ごした。


 「アメリアを連れていきたい場所がある」


 ローガンは仮眠から目覚めるなりそう言って、二人は出かけることになった。

 ローガンの先導で馬車に乗り込むと、窓の外の景色は豪勢な邸宅を抜けて自然の緑が広がり始める。


 しばらくトコトコと揺れながら進むと、小さな木の看板のある地点で止まった。


「足元、気をつけろ」

「ありがとうございます」


 ローガンはアメリアの手を取って馬車を降り、人が通れるほどの細い森の小道へと歩みを進めた。

 周囲には背の高い木々が生い茂り、太陽の光が木漏れ日となって地面に落ちている。


 葉の擦れる音や、遠くで鳥のさえずりが響く静かな空間が広がっていた。


「ん~、とっても気持ちいいわ……」


 アメリアは両腕を思い切り空に伸ばし、満足げに深呼吸をした。

 新鮮な空気が体の中を満たしていくような爽快感が胸に広がっていく。


「リオも、ついてきてくれてありがとうね」


 アメリアが振り返り、少し後ろを歩く青年──リオに微笑みかける。


「お二人を守ることが僕の使命なので」


 リオは軽く会釈をして答えた。リオはへルンベルク家の使用人で、ローガンの護衛でもある。

 今回の外遊も男手として参加していた。


「リオには念のため、護衛として来てもらった。何も起こらないのが最善だがな」


 ローガンの言葉には一瞬だけ鋭さが宿り、瞳が険しくなる。

 その表情に、アメリアは小さな疑問を抱いた。


(何の念のためなんだろう……?)


 心に浮かんだ疑問を飲み込む。聞くほどのことではない、とアメリアは思った。


「二日酔いはすっかり治ったようですね」


 リオがどこか含みのある表情で言う。


「う、うん……なんとかね。森の中を歩いていたら気持ちよくって、もう全快したわ」


 アメリアは爽やかに笑い、周囲の木々を見上げながら言った。


「そういえば、緑がたくさんあるところって、心なしか空気が澄んでいる気がしますよね」

「それは気のせいじゃないわ」


 アメリアはそう言って、自然の中の空気がなぜ澄んでいるのかを解説し始めた。


「木や葉っぱたちは、日差しを浴びながら空気を澄ませてくれるの。葉っぱが重たい空気を吸い込み、澄んだ息を吐き出してくれるのよ。それに、葉っぱには小さな塵や汚れを捕まえる力もあって、都会の空気よりもずっと清らかになるわ」

「なるほど……さすがはアメリア様、物知りですね」


 リオはふむふむと、顎に手を添えて頷いている。

 ローガンもふと気づいたように尋ねた。


「ということは、部屋に観葉植物を置くのも意味があるのか?」

「はい、もちろんです。植物が部屋にあれば、空気の淀みを消して、呼吸が楽になります。それに、湿り気を与えてくれるので、空気が乾かず、喉や肌も潤いやすくなりますね」


 すらすらと解説するアメリアに、ローガンは驚いたように目を見開く。


「なんとなく置いていただけだったが、そんな効果があるとはな……」


 深く頷きながら、アメリアの知識に感心した表情を見せた。

 そうこうして話しながら森の小道を進んでいくと、突然、目の前に視界が開けた。


「わあっ……!!」


 思わずアメリアは声を上げた。

 森を抜けた先に広がっていたのは、大きな湖だった。


 湖面は鏡のように滑らかで、青空をそのまま映し出している。


 澄み切った水に木々の緑が写り込み、水面はまるでもう一つの森のようだ。


 周囲に漂う静けさが、まるで時間が止まっているかのような感覚を与えていた。


「凄い……綺麗……」


 自然に言葉が溢れる。

 湖畔には小さな野草が風に揺れ、鳥たちのさえずりが心地よく響いている。


 空気はひんやりと澄み渡り、肺の奥まで新鮮な息吹が届いた。


「こっちだ」


 ぽーっと湖の美しさに心を奪われていたアメリアは、ぱしっとローガンに手をつかまれた。

 温かく包み込むような優しさと、決して離さないとばかりの力強さに、アメリアの心臓がひやりと跳ね上がる。


 それからローガンはアメリアの手を引いて歩き始めた。


(うう……やっぱりまだ、全然慣れない……)


 手を重ね合わせることなど何度もしてきたと言うのに、大きな彼の指先が自分の手の上に触れるだけで未だに胸がざわつく。

 ローガンの大きな背中を目で追いながら、その温もりを逃したくない気持ちも心のどこかにあった。


 ローガンに手を引かれて少し歩くと、湖畔に設置された小さな桟橋で立ち止まった。


「ここだ」


 アメリアが目を向けると、木製の板が湖面に向かって真っ直ぐに伸びており、その先には小さな手漕ぎのボートが一艘、静かに浮かんでいた。

 板は多少の経年を感じさせるが、丁寧に手入れがされていて、穏やかな湖面に寄せては引く波のリズムに合わせて微かに揺れている。


「もしかして、ボートですか?」

「せっかくだから、ここでしかできないことをしようと思ってな」


 ローガンの言葉に、アメリアは不安と期待が入り混じる。

 大きな船に乗った経験はあるが、このような小さなボートに乗るのは初めてだ。


「僕はここで待機しておりますので、ごゆっくりどうぞ」

 リオが微笑みながら言う。


 まるで、我が子を遠足に送り出すような表情だ。

 まずはローガンが桟橋から器用にボートへと飛び乗った。その動作は慣れていて、一瞬の躊躇いもない。


 それからローガンはアメリアに手を差し伸べた。


「揺れるから気をつけろ」

「は、はいっ……」


 アメリアは頷き、そっとローガンの手を掴んだ。

 しかし次の瞬間、ぐらりと視界が揺れた。


「きゃっ!」

 

 足元がふらつき、バランスを崩したアメリアはそのまま湖に落ちそうになる――が、間一髪、ローガンが素早く彼女を抱き締めた。


「……っ!」


 強く引き寄せられた拍子に、アメリアの身体はしっかりとローガンの胸に収まる。

 逞しい腕と胸板に支えられ、その力強さが肌越しに伝わってきた。


「す、すまないっ」

「いえ……」


 いつもならパッと身体を離すが、今は小舟の上という事もあって下手に動けない。

 お互いの顔が至近距離になり、瞳が交わった。


「……」

「……」


 心臓が、激しく鼓動を刻むのを感じる。

 ローガンの瞳が湖面の青と重なり、アメリアはその色に吸い込まれそうになった。


 しばらくの間言葉はなく、微妙な空気が漂った。


「おほん!」


 不意にリオが咳払いをして、アメリアとローガンはビクッと肩を震わせる。


「二人とも、出港する前に日が暮れてしまいますよ」


 にこやかに微笑むリオの声に、アメリアとローガンは一瞬気まずそうに視線を逸らした。

 それからお互いに深く息を吸い込み、落ち着きを取り戻す。


「……行くか」

「……はい」


 アメリアは少しだけローガンから距離を取り、ボートの座席に腰を下ろした。


 脈がまだ落ち着かず、胸がざわつくのを感じる。

 ローガンも何事もなかったかのように座って、オールを手に取る。


「出港する」


 ローガンの声が空気を震わせると、アメリアは小さく頷く。

 小舟は静かに湖面を滑り出した。


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