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第153話 あの日、私は

 ぼんやりとした視界が晴れて、煌びやかな光景が見えてくる。

 天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、宝石のような光を四方に放ち、絹のカーテンが風に揺れるたび、柔らかな光が波紋のように会場を彩る。


 床には磨き抜かれた大理石が輝き、ホールの隅々まで美しい装飾が施されていた。

 その光景には見覚えがあった。トルーア王国の首都カイドの中心にそびえる王城。


 夜の帳が下りたホールの隅っこに、アメリアはぽつんと一人立っていた。

 思い出す。

 この夜は、アメリア・ハグルにとって十五歳のデビュタント――成人と社交界への正式なデビューを迎える日だった。


 彼女にとってこの華麗な舞台は祝福の場などではなかった。


「……はあ」


 ため息も、もう何度目になるかわからない。

 周りには同じ年頃の令嬢たちが贅を尽くしたドレスを身にまとい、婚約者たちと楽しげに談笑している。


 ワルツの音楽が流れ、舞踏会の空気は生涯の幸せを祝福するかのように満ちていた。

 だが、そんな華やかな空間の中で、アメリアはまるで異物のように浮いていた。


 彼女のドレスはあまりに古び、色褪せたもので、他の令嬢たちと比べると貧相そのもの。


 それもそのはず、アメリアは父親セドリックとその本妻の間に生まれた子ではなく、亡き侍女ソフィとの間に生まれた庶子だった。

 このデビュタントに参加することも、彼女自身の意志ではなかった。

 

 セドリックからの『目立つな』『余計なことをするな』という指示は、「華やかな妹エリンを引き立たせるために、地味で目立たず無価値な存在として振る舞うこと」に準じている。


(早く帰りたい……)


 頭の中は、一刻も早くこの場から立ち去りたいという気持ちでいっぱいだった。

 彼女に話しかけてくる者などおらず、会場の誰もがまるでそこにアメリアが存在しないかのように振る舞っている。


帰ったら帰ったで冷たい離れでの孤独な生活が待っているだけだが、たくさんの人にくすくすと嘲笑を向けられるよりはマシに思えた。

そんな時だった。


「一人なのか、君は?」


 突然、低く澄んだ声がアメリアの耳に届いた。

 最初、その声が自分に向けられたものだと、アメリアは思わなかった。

 こんな自分に声をかけてくる人がいるとは想像すらしていなかったから。


「そこの君だ」


 もう一度声がかかり、ようやくその言葉が自分に向けられたものだと気がづく。

 恐る恐る振り向くと、そこにはひとりの男性が立っていた。


 黒を基調とした貴族服に包まれた体躯はスラッとしている。

 恐ろしいほどに整った顔立ちはどこか冷ややかで、澄んだブルーの瞳はナイフのように鋭い。


 長めに切り揃えられた銀色の髪はシャンデリアの光に反射して煌びやかで、華やかなこの場所においても一際目立っていた。

 社交界の中でもトップクラスの美丈夫であることは間違い。


 そのような男性がなぜ自分なんかに声をかけてきたのか、アメリアは戸惑いのあまり言葉を失った。


「……私、ですか?」


掠れるような声でようやく言葉を返す。


「他に誰がいる?」


 男は淡々とした声で答えた。

 言葉は強いが、決して棘があるという雰囲気はない。

 しかし、このデビュタントの場で人と話すことを想定していなかったアメリアは、次の言葉に窮してしまう。


 そんなアメリアに、男が問いを重ねた。


「君も一人か?」

「はい……」


 アメリアが小さく頷くと、男の表情がわずかに柔らぐのが見えた。


「俺も同じだな」


 その言葉にはどこか親しみが感じられ、漂っていた緊張感が僅かに緩む。


「同じ、ですね……」


 自然と、アメリアは返していた。

 しかし同時に不思議に思った。


 これほどまでの美丈夫なら、令嬢たちの心を鷲掴みにするはずだ。

 このような社交の場では休む暇もなく、たくさんの人に囲まれるだろう。


 間違っても、地味で野暮ったい自分なんかに声をかけるわけがない。


「どうして、私に声を?」


 思い切って、アメリアは尋ねてみた。


 なるべく目立つな、会話は極力控えろと言い付けられてはいるものの、長い間ひとりだった孤独が、目の前の男と話すという選択をした。


 アメリアの質問に明確な答えを持ち合わせていなかったのか、男は少し考える素振りを見せた後、短く答えた。


「なんだか君が……辛そうに見えたから」


 その言葉に、胸がじんわりと熱を帯びる。

 家では離れでずっと一人、誰も味方もいないアメリアにとって、誰かに気遣われるという経験は新鮮で、嬉しいものだった。


 おそらく、彼はとても優しい人なんだろうと、アメリアは確信を抱いた。

 しかし同時に、自分のせいで心配をさせてしまったという罪悪感が湧き出てくる。


「ご心配をおかけしてしまい、申し訳ございません」

「そんなこと、気にするな」


 男は首を振ってから、アメリアに尋ねた。


「君の名前は?」

「……アメリア、ハグルと申します」


 一瞬答えるべきか逡巡したが、気がづくと口を開いていた。


「アメリア……」


 その四文字を反芻して、男は少しだけ口角を持ち上げていった。


「いい名前だ」

「……!!」


 男が見せた一瞬の笑顔。

 柔らかな陽だまりのような、穏やかで優しいもの。


 それは、敵意や悪意といった負の感情一色の顔しか向けられなかったアメリアに、大きな衝撃をもたらした。


 心臓がどくどくと脈打ち、ぶわりと身体中に熱が灯る。


(だめ……落ち着いて……)


 胸の中がざわざわと波打つ。


 父から言い聞かされた「目立つな」という命令が、頭の片隅で何度も警告のように響いていたが、一方でそれを無視しようとしている自分に気づき、焦りが込み上げる。


 同時に、目の前の男性との会話を無理やり終わらせるのはあまりに失礼だ、いや、終わらせたくない――そんな葛藤が、心の中でぐるぐると巡り続けた。


 思考がフリーズして目をぱちぱちさせているアメリアに、男は何かに気づいたように言った。


「失礼。名乗りが遅れた。俺は……」


 男が名を口にしようとした瞬間、ウェイターがお盆にグラスを載せて現れた。


 アメリアが視界にその姿を捉えると、衝動的にそのグラスを手に取っていた。


「え……?」


 男の呆気に取られた声を置き去りにしたまま、アメリアはそのグラスを一気にあおった。

 思考が真っ白になって、焦りと緊張で耐えきれなくなったが故の行動であった。


「……っ!?」


 お酒を口にするのは、これが人生で初めてだった。

 口の中に広がる液体は、甘くて芳醇な香りを纏っている。


 思ったよりも美味しい、という第一印象に騙されたのも束の間、喉を通るやいなや強烈な熱が一気に体内を駆け巡った。


 瞬間、頭をとんかちでぶん殴られたような感覚を覚える。


「お、おいっ……!」


 男が慌てたような声を出すが、もう遅かった。

 体がぐらりと傾く。


 視界が急に揺れ、まるで周囲の光景が遠ざかっていくような感覚に襲われた。


(……あ、れ……?)


 脚に力が入らず、そのまま崩れ落ちそうになる――その刹那、男の力強い腕が彼女の体をしっかりと支えた。


「お……い……大丈……夫……か?」


 その声は遠くなっていくが、不思議と安心感を与えるものだった。ふわりと体が宙に浮く。


 男の腕が背中と膝の下を支え、まるで羽のように軽々と彼女を抱き上げる感触があった。


 心地よい浮遊感の中で、アメリアは意識を手放していった。


 妙に甘い香りと体温がぼんやりと彼女の意識に残り、夢の中でも優しく包まれているかのようだった。


 彼の腕に抱かれたまま、アメリアは深い眠りの闇へと落ちていった。


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