第150話 よっぱっぱアメリア
「寝室はこちらになります」
テラスから屋敷内に戻って長い廊下。
静かに先導する使用人の後ろを、ローガンはしっかりアメリアを抱えたまま歩いていた。
アメリアの体は完全に力が抜け、だらんとローガンの両腕に預けられている。
腕の中で感じる体温、柔らかい感触がローガンの理性を微かに揺らしていた。
「アメリア、大丈夫か?」
雑念を振り払うようにローガンは尋ねる。
「なん、とか……」
顔を赤らめたまま、アメリアはおぼつかない声で応えた。
いつもは白い頬は真っ赤っかで、ほのかに甘いアルコールの香りが漂ってくる。
「すみ、ません……ご迷惑をおかけして……」
力ない声で呟くと、申し訳なさそうに視線を下げる。
しかし、ローガンはゆっくりと首を振った。
「気にするな。俺の方こそすまない。配慮が足りなかった」
完全に自分の非にも関わらず、それでも悪くないと言ってくれている。
そんなローガンの優しさに、胸がきゅっと音を立てた。
思わずアメリアは手を伸ばし、ローガン身を寄せた。
柔らかな腕をローガンの首元に回す。
まるで溺れる人が唯一の浮き輪に縋りつくような力で彼を抱きしめた。
一瞬、ローガンが目を見開く。しかしやがて、何かを思い出したように懐かしげな表情をして、ぽつりと言葉を落とした。
「初めて、アメリアと会った時を思い出すな」
「ふぇ……?」
(初めて……?)
酔った頭でその言葉の意味を理解しようとする。
記憶の限りでは、ローガンとの初顔合わせはハグル家を出てへルンベルクの屋敷に来た日だ。
その日は酔い潰れて、ローガンに抱き抱えられる、なんて事はなかったはずだが……。
(もしかして、食べ過ぎで倒れた時のこと……?)
思い出す。
実家でロクに食事を摂っていない状態で、へルンベルク家の豪勢な食事を欲望のまま食べて腹痛で倒れたことを。
(あの時も、ローガン様に迷惑をかけてしまったわ……)
まだ数ヶ月くらいしか経っていないのに、随分と遠い昔のことのように思える。
当時の羞恥が湧き出てきて、アメリアは思わず視線を逸らした。ローガンの言う『アメリアと初めてあった日』を、この時のアメリアはそう処理した。
「こちらが寝室です」
使用人の声が静かに響く。ローガンは小さく息をつき、案内された寝室へと足を踏み入れた。
◇◇◇
「それでは、ごゆっくり」
ローガンたちを寝室に通すなり、使用人は頭を下げて退室した。
エドモンド家別邸の客用寝室は、ローガンの屋敷のものと負けず劣らず豪奢な装飾に包まれていた。
広々とした空間には、細かな刺繍が施された厚手のカーテンがかかり、床には柔らかな絨毯が敷き詰められている。
天井にはシャンデリアが煌めき、まるで宮殿の一室のような風格があった。
中央に鎮座するのは、キングサイズのベッド。
ベッドの縁には柔らかなレースがかかり、ふかふかとした掛け布団が見える。
枕が二つ並んで置かれているのが目に入り、明らかに二人で使う仕様になっていた。
(最近はアメリアと一緒に寝るようになったから、違和感はないはず……)
しかし改めてその事実を意識すると、ローガンの胸に微かに気恥ずかしさが広がった。
「降ろすぞ」
静かに息を吐き、ローガンはアメリアをそっとベッドに横たえる。
彼女の身体からすっかり力は抜けきっているが、その表情は安らかで赤らんだ表情がなんとも愛らしい。
「気分は大丈夫か?」
「はい、なんとか……ありがとうございます、ローガン様……」
寝ぼけたような声で感謝の言葉を口にするアメリアに、ローガンは静かに答える。
「気にしなくていい。しばらく休め」
アメリアの前髪をそっと撫で、僅かに汗ばんだ額に軽く口づけをする。
ローガンにしてみると、いつもしている軽いスキンシップのつもりだった。
「…………っ」
しかしアメリアの方は、なんとか保っていた理性がぷつりと切れたような反応を示した。
次の瞬間、アメリアが手を伸ばしローガンの服を掴んだかと思うと、そのまま彼をベッドに引き込んだのだ。
「うおっ……」
ローガンは不意を突かれ、バランスを崩してアメリアの上に倒れ込む形になる。
「アメリア、どうし……」
「ごめんなさい……ローガン様……」
頬を真っ赤に染めたまま、朦朧とした表情でローガンを見上げて呟く。
「私……なんだか……」
とろんと潤んだ目、上記した頬、微かに荒い息。
酔いが回りきっている……だけでは説明のつかない、何か別の欲求がアメリアを突き動かしているように見えた。
「アメリ、ア……?」
その名を口にする。愛する人の名前。
すると、どくんっとローガンの心臓が大きく跳ねた。
(まずい……)
理性を保とうとするも、感じる。
胸のざわめき、感情の揺らぎ。
自分の家ではない部屋、大きなベッドの上、目と鼻の先で愛する人が物欲しそうな表情でこちらを見つめている。
柔らかな手が自分の服を離さないまま、無防備な状態で縋っていることに気がづく。
思わず喉を鳴らし、抑え込んでいた感情がざわざわと揺れ動いた。
「それ以上は、まずい」
「ひゃっ……」
今度はローガンが動いた。
アメリアの手首を拘束するように抑えてから、余裕のない表情でローガンは漏らす。
「流石の俺も、我慢できなくなる」
いつもは冷静沈着なローガンの見せた動揺。
どくんどくんと、誰のものかわからない鼓動の音がやけに大きく聞こえる。
そんなローガンを見てアメリアは目をぱちくりさせたあと、口元をふにゃりとさせてから、ふわりと甘い寝息が漏らした。
「いいれすよぉ……」
にへらっと笑うアメリア。
普段の幼げな笑顔とは別の、どこか妖艶めいた笑み。
「私、ローガン様になら……」
ローガン様になら?
ローガン様になら?
なんだ?
ローガンの頭の中でぐるぐると言葉が回った途端……。
「すやぁ……」
「は?」
あっけなくアメリアは寝落ちしてしまった。
「……………………はあ……」
緊張の糸が切れて、ローガンは大きく息を吐いた。
ごろりとアメリアの隣に身を横たえてから、額に手を当てると、掌から確かな熱が伝わってくる。
理性が危うく飛びかけたのをなんとか踏みとどまった自分に大きく安堵した。
「全く……不意打ちにも程がある……」
やれやれとばかりに呟いてから、そっと布団を引き上げてアメリアにかける。
すやすやと寝息を立てるアメリアを前にして、ローガンは再び大きく息を吐いた。