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第149話 南の国の食事会

「このお魚料理、とても美味しいですね」


 一口目に、アメリアが感動を抑えきれない様子で言う。

 するとすかさず、そばに控えていたシェフが心なしか満足げな笑みを浮かべて答える。


「こちらは『トロピカルフィッシュのマリネ』でございます。エルバドル湾で獲れた新鮮なサンシャインフィッシュを、ライムと香り豊かなスパイスでマリネし、一晩じっくり寝かせることで旨味を引き出しております」

「なるほど……上に添えてあるのはマンゴーとパイナップル?」

「仰る通りでございます。このフルーツの甘みが酸味を和らげます。仕上げにオレンジのドレッシングをひと振りし、爽やかさを加えておりますので、さっぱりとした後味をお楽しみいただけます」

「複雑な味わいでとても面白いわ」


 シェフの丁寧な説明を聞きながら、アメリアは大きく頷く。

 食材一つひとつに込められた想いと技術がこの一皿に凝縮されているのだと感じ、さらに食事が楽しみになった。


 再び目の前の料理に視線を落とし、食事を再開するアメリア。

 食器が音を立てないように心がけながら、一口ずつ丁寧に食べ進めていく。


 その姿はまさに淑女そのもの。へルンベルク家に初めてきて、口からセロリを生やしながら話していた時とは比べ物にならないほどの変化だったが……。


(お、美味しい~~~!! このマリネも、ローストも、どれも絶品! あああ、もう最高すぎるわ!)


 心の中ではいつものアメリアであった。

 豪勢な料理の数々を前にはしゃぎたい衝動に駆られながらも、彼女は貴婦人らしく振る舞おうと必死だった。


 隣で洗練された手つきで食事をするローガンの婚約者として、誇りを持った振る舞いを心がけていた。

 彼の隣に立つ者として、どんな場でも恥ずかしくないように――そんな思いがアメリアの胸に強くあった。


 エドモンド公爵家のお茶会に向け、家庭教師のコリンヌにみっちり叩き込まれた作法が、ここで生きている。

 心の中はお祭り騒ぎながらも、背筋を伸ばしひとつひとつの所作に気を配りながら食事を楽しんでいた。


 そんなアメリアの所作に、クリフは満足そうに頷きながらローガンを見やった。


「ローガンも、良い婚約者を見つけたようだな」


 クリフの言葉に、ミレーユが深く頷く。


(やった……好印象みたい……!)


 喜びが顔に出ないよう、アメリアは丁寧な所作でホクホクに蒸し焼かれたエビを口に運ぶ。

 ローガンは穏やかに笑みを浮かべて返した。


「素晴らしい縁に恵まれました。俺には勿体ないくらいですよ」

「むぐっ」


 エビが喉に詰まりかけた。

 ローガンの率直な言葉が、アメリアの心を思いがけず強く揺さぶったのだ。


 胸の奥がじんわりと熱を帯び、心臓が急に鼓動を早める。


「アメリアさん、大丈夫?」

 ミレーユが心配そうに、優しい声でアメリアの様子を伺う。

 アメリアは一瞬だけ息を呑み、慌てずゆっくりとナプキンを手に取った。


 そしてそれをゆっくりと口元へ運ぶ。


「だ、大丈夫です。少し……喉に詰まりそうになっただけで」


 かすかな声ながらも、アメリアは落ち着いて返答した。


「そう? ならいいんだけど……」


 ミレーユの心配げな声を尻目に、アメリアは努めて平静に戻そうとする。

 ナプキンで口元を隠したまま瞳を伏せ、深く呼吸を整える。

 しかし、頬に上った熱だけはどうにも隠しきれない。


 淡い紅が白い肌に滲み、アメリアの内心の動揺を物語っていた。


(落ち着いて……冷静……冷静を心がけるのよ……)


 そう言い聞かせていると。


「お嬢様、喉を潤すためにもこちらをどうぞ」


 すかさず使用人がトレイに乗せた一杯のドリンクを差し出してきた。

 ガラスの器に注がれたそれは、明るいオレンジ色の液体に色鮮やかな花びらとフルーツが浮かんでいた。


 グラスの縁にはライムが飾られ、小さな傘が添えられている。

 涼しげな氷がカラカラと音を立て、夏の夜のような爽やかさを感じさせる見た目だった。


「見たことのない飲み物ね」

「こちらは『パラディーゾ』でございます。フルーツの果汁をたっぷり使い、特製シロップを加えた一杯です」

「へええっ……美味しそう……」


 アメリアは無邪気に目を輝かせ、興味津々な様子でグラスを手に取った。

 そして、なんの躊躇いもなくグラスを傾け、鮮やかなドリンクを口に含んだ。


 一口含むと、甘くて爽やかなフルーツの味わいが広がり、ほのかな酸味と奥深い甘さが舌を楽しませる。


 冷たい感触が喉を通り抜け、全身がカッと熱くなるようなインパクトを覚えた。


「美味しいわ!」

「何よりでございます」


 一礼して、使用人は去っていった。

 すっかり喉の調子を取り戻したところで、アメリアはローストチキンを口に運ぶ。


 そんなアメリアをちらりと見たクリフが、続けてにこやかな笑顔でローガンに問うた。


「それはそうと、二人の挙式はいつになるのかな?」

「むぐぐっ……!?」


 チキンがアメリアの喉が詰まった。

 今度は詰まりそうになったではなく、詰まった。


「アメリアさん!?」


 ミレーユが驚いて立ち上がろうとする前に、ローガンが素早く動いた。


「アメリア、大丈夫か?」


 すぐさまアメリアのそばに寄り添い、落ち着いた手つきで彼女の背中を優しくさすり始める。

 その動きには安心を引き出すかのような静かな力がこもっていた。


「だ、だいじょうぶですっ……」


 狭くなった喉を必死に広げ、なんとかチキンを押し込んだアメリアは、顔を真っ赤にして咳払いをする。


(はしたないところを見せてしまったわ……!! 恥ずかしい……!!)


 内心で猛省しつつ、アメリアはナプキンでそっと口元を拭った。

 ローガンの前での不格好な姿に、いたたまれない気持ちが押し寄せてくる。


 しかし同時に、クリフが口にした『挙式』という単語がぐるぐると思考を埋め尽くした。

 アメリアが平静に戻ったことを確認したローガンは、クリフに視線を向けて言う。

「今は何かと多忙でして……落ち着いたら必ず挙式をしようと思っています」


 その言葉を聞いた瞬間、アメリアは心がふわりと浮くような感覚に包まれた。


 挙式──いわゆる結婚式。


 大きな教会の中、陽光が射し込むステンドグラスに包まれた神聖な空間。


 真っ白なドレスを身にまとい、花の香りに満ちたバージンロードを歩く自分。


 周囲にはたくさんの人々がローガンとの永遠の誓いを祝福してくれている。


 そんな結婚式に憧れがないと言えば、嘘になる。


(でも、そうよね……公爵様と結婚するんだから、式は挙げるのよね……)


 考えてみれば当たり前の事実に思わず、アメリアは頬を指でなぞった。


 指先から熱が伝わってきて、アメリアは自身の高揚を感じ取る。


 貴族社会において結婚相手は幼少期から決まっているもの。


 通常、貴族の子息たちは幼い頃から許嫁が決められ、貴族学校を卒業すると同時に結婚するのが一般的だ。

 それは血筋と家の名誉を守るための、ある種の義務であり儀式でもある。


 だが、アメリアにはそれが無縁だった。

 実家ではずっと虐げられ、学校にも通わせてもらえなかった。


 婚姻の話が持ち上がるどころか、自分が誰かの妻となる未来など想像すらできなかった。

 故に結婚式は遠い世界の出来事であり、自分とは縁のない幻想のように感じていたのだ。


「挙式の際にはぜひ招待してくれ。心から祝福したい」


 クリフは朗らかな笑顔を浮かべながら言う。


「私もぜひお願いするわ」 

 隣でミレーユも優しく微笑み、同意を示す。二人の声は温かく、心からの祝福が感じられた。


 瞬間、ローガンが静かにアメリアの手の甲に手を重ねてきた。


 どきりと胸が音を立て、顔だけでなく身体の芯から熱くなる。

 驚きで一瞬動きを止めたアメリアの指先に、彼の手の温もりがじんわりと伝わってくる。


「ええ、もちろん。まだ少し先になるかもしれんが、必ず」


 ローガンの低く落ち着いた声が、アメリアの鼓膜を震わせる。

 そのままローガンは、アメリアの手の甲を包み込むように握った。


 まるで、彼の中で既に確固たる決意のようだった。

 その感触は、ただの言葉以上の意味を持ち、アメリアの心にそっと灯火を灯す。


(ローガン様と、結婚式……)


 ほわほわとした気持ちが胸に到来する。

 ローガンと式を挙げられるという事実。


 そして目の前には、祝福を惜しまない人がいる。

 その事がどれほど嬉しいことなのか、アメリアは言葉にすることができなかった。


 自分が愛され、支えられているという事実が、じわりと心を満たしていく。

 先ほどから赤い頬が、氷を溶かすような熱を帯びていて……。


(あれ……?)


 ふと、気がづく。

 ローガンの言葉や行動で身体の体温を上昇させることは多々あったが、大抵はすぐに引っ込んでいった。


 しかし先ほどから、ずっと熱い。顔や耳はもちろん、頭や胸やお腹も。


 まるで胃の中で暴れる熱の塊が全身に広がっているような感覚で……。


「お、おい、アメリア、大丈夫か?」

「……ふぇ?」


 一瞬、何に対して「大丈夫か」と尋ねられたのかわからなかった。


 しかしすぐにアメリアは自分の異変に気がづく。


「あ、れ……?」


 頭の中がふわふわと揺れるような感覚に襲われ、まるで風に流される雲のように視界がぼやけていく。


 胸の奥で暴れるような熱がどくどくと鼓動を速くしている。

 顔が火照っているのはもちろん耳まで赤い。足元が不安定になり、視界がかすかに揺れた。


 まるで体が空中に浮かんでいるような感覚。頭がぐるぐると回り、物事を正確に捉えるのが難しくなっていた。


(……わたし……なんだか……)


 体がぐらりと前後に揺れ、思わずテーブルに手をつく。

 指先に力が入らず、ふにゃりと崩れるように座り直してしまった。


「シャンパン一杯でも回る弱さだったか……」


 ローガンが困ったように頭を掻くも、ハッとする。


「いや、もしかして……」 

 テーブルに目を向ける。視線の先には、先ほど使用人がアメリアに差し出した『パラディーゾ』の空きグラスあった。


「そういえば、パラディーゾは味の割にアルコールが強いお酒だったな」

 どこかとぼけたようにクリフが言うと、ちらりとミレーユの方を見遣った。

 ミレーユは彼の視線を受け、微笑みながらこくりと頷いてから口を開いた。


「足元もおぼつかなさそうですし、ベッドに連れていった方が良いのではないでしょうか?」

 その提案に、ローガンは「ええ……そうした方が良さそうですね」と短く頷く。


(だめ……ローガン様に迷惑をかけちゃう……)


 最後に残った理性がなんとか喝を入れようとする。


「ぃえ……じぶん……で……」


 アメリアはふにゃふにゃとした状態で何かを言おうとしたが、言葉にならない。


 使用人たちが慌てた様子でアメリアを介助しようとするのを、ローガンが手で制した。

 全身の力が抜け、頭を支えるのも億劫に感じたその瞬間、ふわりと体が浮いた。


「……!」 

 びっくりして目を瞬かせた時にはもう、ローガンに抱き上げられていた。


 力強い腕が熱を帯びた背と膝の下を支え、包み込むようにしっかりと抱きかかえている。


 ローガンの体温がダイレクトに伝わってきて、アメリアの胸がさらに熱くなった。


「……ローガン、様……?」 

 か細い声で呼びかけるも、彼は落ち着いた表情のまま言った。


「大丈夫だ。少し休めばすぐに元気になる」


 ローガンはアメリアを軽々と抱き上げたまま、そのまま彼女をベッドへと運ぶために歩き出した。


 アメリアは腕の中でぼんやりとしながら、その大きな肩に頭を預けるのだった。


 ──そんな二人の様子を見送った後、クリフとミレーユが互いに顔を見合わせてからちんっとグラスを鳴らしあっていた。


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