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第147話 のぼせたアメリア


「そろそろ戻るか」

「はい」


 庭園散策を切り上げる頃には、空はすっかり茜色から紺色へと染まり、辺りには静かな夕闇が広がっていた。

 昼間とは打って変わって涼しげな風が頬を撫でる中、アメリアとローガンは並んで屋敷へ戻ってきた。


 出迎えてくれたクリフが「汗をかいただろう」と気遣い、すぐさま大浴場に案内してくれた。

 大浴場は屋敷の裏手にあり、一見するとジャングルの中に佇むオアシスのようにも見える。


 広々とした湯船の周囲には、庭園で見られなかった色鮮やかな花々が咲き誇り、壁や柱には独特な形の葉を持つ植物が飾られていた。


 ほかほかそうな湯には白や桃色、黄色の花びらが散りばめられ、甘い香りが湯気とともに浴場全体に広がっている。


 淡い光がともされた石灯籠が影を落とし、湯面がわずかにきらめいていた。

 普段のアメリアであれば、植物ラブ歓喜のその光景にはしゃいでつるんと足を滑らせていたかもしれない。


 しかし、今日のアメリアの心は上の空だった。


「顔、熱い……」


 湯船に浸かりながらアメリアは膝を抱え、ぽつりと呟く。

 するとそばに控えていた屋敷の使用人が、身体くらいの大きさのある大きな葉っぱをふぁっさふぁっさと扇ぎ始めた。


「あ、ありがとう……」

「お気遣いなく」


 流石は南国仕様。

 涼しげな風に当たるとほんの少しだけ熱さが和らいだが、身体の芯から湧き立つ熱は止まることを知らない。


 湯に顎をつけ、口元まで浸してぶくぶくと泡を吐く。


 その赤らんだ頬と耳は、お湯の熱さだけのせいではないことは明白だった。


 ──どうやら、アメリアの美しさに引き寄せられたみたいだ。


 お庭散策中にローガンに囁かれた言葉が胸の中で何度もこだまする。

 ローガンにしてみれば何気ない言葉だったのだろうが、アメリアは未だにその言葉の余韻に浸っていた。


 心臓がじんわりとした熱を放ちながら、無意識のうちに鼓動を速めている。

 ローガンの低く穏やかな声、まっすぐな視線、優しげな表情。


 それら全てが、今もアメリアの胸を締め付ける。

 アメリアの肩に止まった蝶々ですら、あのワンシーンを引き立てる演出のように思えてしまった。


「あああ、だめだめ!」


 ばしゃんっ!!

 これ以上感情を乱すわけにはいかないと、アメリアは頭をぶんぶんと横に振る。


 濡れた髪が水しぶきをあげ、頬を温かい滴が伝った。


「い、いかがなさいましたか?」

 

 扇いでいた使用人がアメリアの急な動きに驚いたように尋ねる。


「な、なんでもないわ……!! 驚かせてしまってごめんなさい」

「は、はあ……それなら良いのですが……」


 困惑する使用人を前に気恥ずかしさが押し寄せてくる。


(落ち着いて……しっかりしないと……)


 再び湯に入り直して、必死に自分に言い聞かせる。


  いくらローガンの言葉が嬉しかったとはいえ、ここで浮かれてばかりではポンコツが過ぎる。

 

 褒められて嬉しいのはわかるが、いい加減慣れないといけない。

 ローガンの隣に立つ婚約者がいちいち心を乱され動揺の様相を呈していては、公爵家の風評に関わる。


 今一度深く息を吐き、頭を軽く叩いて、アメリアは正気を取り戻そうとした。


 それでもほんの少しでも油断をすると、また顔が熱ってくる。

 こうして、いつもの入浴よりずっと短い時間で湯から上がってしまうアメリアであった。


◇◇◇


「アメリア、大丈夫か? 顔が熟れたマンゴーみたいになっているぞ」


 広間に戻るなり、ローガンが驚いたように声をかけてきた。


「す、すみません……長湯してしまいました……」


 顔を真っ赤に染め、湯気を立てながらぽわぽわとアメリアが言う。

 ちなみにマンゴーとは南方地方に生息する果物のことで、甘くて美味しい。


 熟れると真っ赤になる。

 頭がぽーっとしていて、アメリアは視線を彷徨わせた。


 火照った顔は湯の熱だけではなく、今目の前にいるローガンに起因するものだ。

 それを知らないローガンは困惑と心配が混じった表情をアメリアに向けていた。


 クリフの別荘は大きく、複数の浴場を抱えている。

 ローガンは一足先に別の浴場で入浴を済ませたようだった。


 長めに整った髪がほのかに水気を帯び、しっとりとした艶を放っている。

 彼の髪からほんのり甘い香りが漂ってきて、アメリアの心臓がさらに跳ね上がった。


 頬の熱がさらに増し、耳の先まで真っ赤になるのを自分でも感じてしまう。


「少し待ってろ」


 ローガンは言うと、そばにいた使用人に何かを申し付けた。

 すると使用人は奥に引っ込んで行って、すぐさまお盆にタオルを乗せて戻ってきた。


「ロ、ローガン様……?」

「じっとして」


 ローガンはタオルを手に取って、そのままアメリアの顔にそっと当てた。


「ひゃっ……!」


 予想外の冷たさに、アメリアは思わず声を漏らす。

 しかしじきにひんやりとした感触がじんわり肌に広がり、火照った頬をゆっくりと冷ましてくれる。


 その心地よさと、何よりもローガンの手つきの優しさに、アメリアの心は少しだけほっとした。


「どうだ?」

「冷たくて……気持ちいいです……」


 ふにゃりと頬を緩ませて、とろんとした声を漏らすアメリア。


 まるで、小動物がようやく安寧の地を見つけたかのような姿だ。

 そんな姿を見て、ローガンの表情に僅かな動揺が走ったが、冷やしタオルの気持ちよさに浸っているアメリアは気づかない。


「ありがとう、ございます……」

「造作もない」


 タオル越しに小さく礼を言うアメリアに、ローガンは小さく笑う。


 さりげないローガンの優しさに触れるたび、彼と一緒にいることの心地よさを改めて感じるアメリア。


 ローガンと二人でいる時間が、何より心の安寧に繋がっていた。

 その時、不意に広間の奥からおほんっと咳払いの音が響いた。


「いちゃついているところを邪魔するのは大変心苦しいのですが、夕餉の支度が整ったようですよ」


 シルフィが意味深げな笑みを浮かべて言う。

 その言葉にアメリアはハッと我に返り、タオルを顔から急いで下ろした。


「わわわっ、ごめんなさい……!! ローガン様、夕食ですよ! 早く行きましょうっ」

「あ、ああ……」


 まるで先ほどまでのやり取りを無かったように言って、アメリアはローガンの手を取る。


 アメリアに手を引かれてローガンもついていった。

 そんな二人に、シルフィはどこか温かい眼差しを向けているのであった。



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