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第146話 南のお庭散策

 トルーア王国の最南端、エルバドル地方。

 そこは南国特有の温暖な気候が特徴で、年中太陽の光が降り注ぎ、湿気を帯びた心地よい風が吹いている。


 季節の変わり目がほとんど感じられないため、植物たちは一年を通じて青々と茂り鮮やかな花々が絶えることなく咲き誇っていた。

 エドモンド公爵家の別邸の庭園も例に漏れず、ヘルンベルクの邸宅の整然とした庭とは異なり南国然とした自然のエネルギーが満ち溢れていた。


 背の高いヤッシーの木が空へ向かって悠々とそびえ立ち、鋭利な葉が風に揺れて音を立てている。

 木の下には色とりどりの珍しい花々が生い茂り、庭園全体がまるで絵画のように鮮やかな色彩で満たされていた。


 時折ひらひらと舞う大きな蝶々が花々の彩りをひときわ際立たせている。


「わあ! これはトロピカーナバレル! 幹に水分を少しだけ蓄えて、湿気の多い時期に花を咲かせるのよね!」


 庭園散策が始まるや否や、アメリアは興奮を露わにした。

 目をきらっきらに輝かせ、全身で喜びを体現している。


「このオレンジ色のお花は水気を吸収して大きく開くんです! ああ……確かに大きい……」


 ようやく見つけた宝石を前にしたようにうっとりした後、アメリアはピンッと何かに気づいたように別の植物の前に移動する。


「こ、これはセレナイトバロム!! 紫色の実をつけるんですけど、果実が星形をしていて……とっても希少な植物なんです!」


 そう言ってアメリアはセレナイトバロムの身にそっと指を触れさせ、「はぅ……」と声を漏らした。


「ああっ……図鑑でしか見たことがなかった植物ちゃんたちが目の前に……」


 まるで、夜闇に広がる満天の星空を見つめているような瞳であった。

 土地の気候によって生息する植物は全く違う。


 今、アメリアの目の前に広がるのはへルンベルクの邸宅では目にすることのないものばかり。

 重度の植物フェチのアメリアが興奮ぱなっしになるのも無理はなかった。


「気に入ったようだな」


 きゃっきゃとはしゃぐアメリアを微笑ましそうに眺めながらローガンが言う。


「楽園はここにあったのかと思うばかりです! あっ、もちろんローガン様のお屋敷の庭園も楽園なのですが、ここは南国の楽園で、どちらも素晴らしい場所です!」


 心の底から飛び出したアメリアの言葉に、ローガンは満足そうに頷く。

 一方のアメリアはハッとして、一転し申し訳なさそうに言う。


「す、すみません……私ばかり楽しんでばかりで……」

「いいや、気にするな。アメリアが楽しんでくれているなら、それ以上に嬉しいことはない」

「うう……ありがとうございます……」


 胸の中にくすぐったさを感じながら、アメリアは口元を緩ませた。

 アメリアが何をするにしても、ローガンは全てを肯定してくれる。


 実家にいる時は毎日否定されて、自分のやること為す事に負い目を感じていた時とは雲泥の差だ。

 今の方が良いのは言うまでもないが、肯定されっぱなしと言うのもそれはそれで(良いのかな……?)という気持ちを抱いてしまう。


(だめだめ……せっかくローガン様がそう言ってくれてるんだし、素直に受け止めないと……)


 時たま現れる後ろ向きな気持ちをぶんぶんと頭を振ってアメリアが追い出していると。


「これは、バロリアンフロウか?」 

 ふと、ローガンがある植物を指差してアメリアに尋ねる。

 彼の指先には、巨大な赤い花が咲いていた


 花弁は肉厚で濡れたように光り、中心には奇妙な模様が広がっている。

 まるで異界の生き物のように地面に横たわり、周囲の植物とは一線を画す存在感を放っていた。


「あ、そうです! バロリアンフロウですね。この花、成長するのに数年かかるんですが、一度咲くとわずか数日しか咲き続けないんです」

「その希少さから、七日花とも呼ばれているとか。」

「です! 見れたのはなかなかのラッキーですね」

「確かに、受粉の際に強い匂いを放つのもこの花だよな?」

「はい! 花弁が大きい分、受粉の助けになってるんですよね。南方地方では珍しいけれど、見つけたら目を引きますよね……って、よくご存じですね?」

「緑の辞典でちらっと読んでな」

「緑の辞典!」


 アメリアは目を輝かせ、弾んだ声でその単語を反芻した。


「読まれたのですか? あの分厚い本を……」


 緑の辞典とは、へルンベルク家の書庫に搬入された、植物に関する辞典だ。

 数々ある植物の書物の中でも記載量が多く、アメリアのお気に入りの一冊となっている。


「隙間時間に少しずつな。確かバロリアンフロウは、南方地方に生息する植物の章の8番目に記載されていた」

「わあ、細かいところまでよく……あ、そういえば、ローガン様は一度見たものを忘れないんでしたよね?」

「……まあ、そんなところだ」


 ローガンは軽く肩をすくめながら、淡々と答えた。


「改めて凄い能力ですよね、本当に……」


 尊敬の念で胸がいっぱいになったアメリアは気づかなかった。一度見たものを忘れない。

 自身のその能力を口にしたローガンが一瞬だけ、僅かに苦虫を噛み潰したような顔をしたのを。


 一方のアメリアの表情にはほんのりと喜びが浮かんだ。


「どうした?」

「いえ……ローガン様が植物にご興味を持っていただけて、嬉しいなって」


 以前、ライラの花屋からの帰り道にローガンは言った。


 ──前まで植物にも花にも無関心だった。だが、アメリアと一緒に過ごすうちに変わっていった。様々な花や植物と接し、その知識を得る中で……奥が深いと感じるようになった。


 この言葉を信用していなかったわけではない。

 ただ実際に、ローガンは緑の辞典で知識を得て、その辞典に乗っていた花についての知識を口にした。


 その事実は、ローガンが植物についての関心を抱いているリアルな実感をアメリアに抱かせた。


「お屋敷に戻ったら、美術館にも行きましょうね」


 アメリアが言うと、ローガンは驚いたように目を丸くした。

 ローガンはこれといって趣味はないと言っていたが、強いて言えばと挙げてくれたのが美術館巡りであった。


「歴史を感じられることが、美術館の面白いところ……なんですよね?」

「……覚えていてくれたのか」

「ええ、もちろん」


 アメリアが頷く。

 それからローガンの目をまっすぐ見て、微笑みながらアメリアは言った。


「ローガン様が、好きなものなので」


 どこか愛おしそうに言うアメリアの表情はまるで春の日差しのように穏やかなもの。


 口元がふんわりと緩み、ほんの少し頬が赤みを帯びているその笑顔は、見ている者を包み込むような優しさが感じられた。

 ほんの数瞬の間、ローガンはその笑顔から視線を離せずにいた。


 感情の起伏の少ないローガンを、今まで何度も動揺させてきた表情だった。


「少し、動かないでくれ」


 突然、ローガンが言った。

 瞬間、空気がぴりっと張り詰める。


 アメリアは一瞬、その言葉の意図が理解できずに固まった。

 すると、ローガンが覆いかぶさるようにアメリアに顔を近づけた。


 ローガンの体温が微かに感じられるほどの距離で、アメリアの胸がドキッと跳ね上がる。

 整った顔立ちが目の前に迫り、鋭利で強い眼差しがさらにアメリアの心を乱した。


「……ロ、ローガン、様……?」 

 思わず声を漏らすも、ローガンの表情は真剣そのもの。

 彼の呼吸の音すら鮮明に聞こえる。


 そしてローガンがゆっくりと手を伸ばしてきた。

 思わず、アメリアはぎゅっと目を閉じた。


 全身が張り詰め、心臓が胸を激しく打ち続ける。

 自分よりも大きな体躯がさらに近づいてくる気配を感じた。


 ……すると、ローガンの手がそっとアメリアの肩に触れた。


 指先は優しく、まるで羽のように軽い。


 それ以上のことは何も起こらなかった。

 恐る恐る目を開けると……。


「わあ……」


 思わずアメリアは声を漏らした。


 ローガンの指先に一匹の蝶が静かに止まっていたのだ。


 へルンベルクの領地で見ることのない大きな蝶の羽は黄色く、繊細な模様で彩られている。


 大きな羽をゆっくりと広げ風を受けるその姿は、その一瞬をまるで魔法のように幻想的に彩っていた。


「どうやら、アメリアの美しさに引き寄せられたみたいだ」


 ローガンはふっと柔らかく笑みを浮かべ、蝶を優しく空へと放った。

 彼の指先から軽やかに飛び立った蝶は、風に乗ってふわりと舞い空高くへと昇っていった。


 光を反射してキラキラと輝く姿には目を見張るものがあったが、アメリアはそれどころではなかった。

 ローガンの言葉が、ただでさえ乱れていたアメリアの胸を一層揺さぶった。


 頬に熱が広がる。

 全身がぽかぽかと暖かくなる。


 嬉しさと恥ずかしさがこみ上げ、思わず顔を下に向けたものの、耳まですでに赤く染まってしまっていた。


「……あ、ありがとう、ございます……」


 掠れた声で応え、恥ずかしさを隠すように肩を縮める。

 そんな反応を示すアメリアに、ローガンは息を呑む。それからローガンは、再びアメリアに手を伸ばした。


 今度は肩に止まった蝶を取るためではない、別の意図を持っているように見えた。


 しかし僅かに葛藤する素振りを見せて、その手を引っ込めてしまうのだった。



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