第141話 井の中の少女、大海を知る
大変長らくお待たせいたしました、第五章開始です!
一隻の帆船が、大海原を優雅に航行している。
頑丈に組まれた船体はゆうに百人は乗れるほど大きさで、波を掻き分けて進む姿がなんとも力強い。
巨大な帆には精巧にデザインされた家紋──王都の名門公爵家、へルンベルク家の紋章が描かれていた。
そんな船の甲板から縁から身を乗り出して、目を輝かせる少女が一人。
「わああ〜〜〜!!」
人形のように整った顔立ち、雲のように白い肌。
背中まで下ろしたワインレッドの髪が印象的な少女──アメリアは、陽光が海面に反射し無数の宝石が波間に踊っているような光景に思わず声を漏らした。
「凄い凄い凄い! 海って、こんなに広かったのね!」
興奮も最高潮とばかりにアメリアがぴょんぴょんと跳ねる。
ピクニックに来た子供のようなアメリアに、不意に声がかかった。
「あんまりはしゃいでいると、後が大変ですよ」
振り向くと、メイド服を纏ったアメリアと同い年くらいの少女──侍女のシルフィが立っていた。
「大丈夫! 落ちないようには気をつけるわ!」
「アメリア様の場合はその心配もしなければいけないですね」
控えめに息をつくシルフィに、アメリアがきょとんと尋ねる。
「他にも心配することがあるの?」
「……本当に、船は初めてなのですね」
シルフィは先生のように人差し指を立ててから言葉を続ける。
「いいですか、アメリア様。今は大丈夫かもしれませんが、長い間船に揺られていると、だんだんと気持ち悪くなってくる場合もあります。いわゆる船酔いですね」
「なるほど……馬車に長い時間揺られて気持ち悪くなってくるのと同じかしら?」
「その通りです。初めての海に興奮するのは仕方がないですが、最悪、口から海にお魚の餌を撒き散らす事になってしまうので、適度に休憩をしてくださいね」
「わ、わかった……気をつけるわ……」
シルフィの忠告に、アメリアはごくりと喉を鳴らした。
そんなアメリアに大きな影が差し、低く、落ち着いた声が響く。
「楽しんでいるようだな」
美という文字を象徴するかのような整った立ちに、刃物のような鋭利さを感じさせるブルーの瞳。
陽の光を受けきらきらと光るシルバーカラーの髪は触るとするりと指の間を抜けていきそうだ。
アメリアとは対照的に体格は大きく、服の下からも筋肉の張りが強調されている。
王都の中でもトップクラスの美貌を持つ公爵貴族にしてアメリアの婚約者、ローガン・へルンベルクだった。
「はい! もう、ずっと心が躍りっぱなしです!」
ぱあっと表情を明るくするアメリア。
言葉の通り、人生で初めて見る海の光景にアメリアは興奮しぱなしだった。
実家であるハグル伯爵家にいた頃は離れに監禁されていたのもあり、海という存在は知識でしか把握していなかった。
へルンベルク家に嫁いでからも、どちらかというと屋内思考のアメリアはほとんどの時間を屋敷で過ごしていた。
時々ローガンが街に連れて行ってくれたり外出する機会もあったが、船を使っての遠出は初めてであった。
「改めて、エドモンド夫妻には感謝しないといけないですね」
「ああ、そうだな……とはいえ、元を辿ればアメリアの活躍のお陰でこの旅行は実現しているから、俺が感謝するべきはアメリアかもしれないな」
手すりに肘を立て、ローガンが悪戯っぽく笑う。
広大な海をバックになんとも絵になる光景だった。
「い、いえいえそんな……」
相も変わらずのローガンの美丈夫っぷりに、アメリアは思わず視線を外してしまうのだった。
◇◇◇
二人が大海に繰り出しているのにはちょっとした理由がある。
遡ること一週間前。
エドモンド公爵家のお茶会に、アメリアはローガンと共に出席した。
そのお茶会でアメリアは、かつて自分を虐げていた妹と再会し、茶葉の読み解きと呼ばれる催しで勝利を収めた。
直後、主催であるクリフ公爵の妻ミレーユが突然倒れてしまう。
人並外れた医学、薬学知識を持つアメリアは、ミレーユが倒れた原因をすぐさま特定し治療薬を飲ませた。
結果的にミレーユは回復し、なんの後遺症もなく元気な姿を取り戻す。
その恩返しとして、エドモンド夫妻が海を挟んだ大陸にある別荘地にアメリアとローガンを招待したのだ。
(自前の船で行くと聞いた時にはびっくりしたわね……)
教会ほどの大きさを誇る船を見上げてアメリアは思う。
当初夫妻は送迎用の船を用意すると提案していた。
しかし、流石にそこまで手をかけさせるわけにはいかないと、ローガンが船を用意したのだ。
先代が使っていた少々年季の入った船とのことだが、寝室はもちろん、食堂や湯浴みをする部屋など、生活に必要な施設が一通り揃っている。
個人所有のものとは思えない大きさの船に、改めてローガンがスケールの違う貴族であることを実感するアメリアであった。
その時、大きめの波にでも遭遇したのだろうか、船体がぐらりと揺れた。
「わわっ……」
「おっと」
思わずバランスを崩しそうになったアメリアをローガンが咄嗟に支える。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます、ローガン様……うぷ……」
持ち直したものの、不意に喉の奥から迫り上がってくる感覚がして、アメリアが口を抑える。
「どうした?」
「いえ……なんだか、目がぐるぐるしてきたような……」
アメリアが言うと、シルフィが「やはり来ましたか」と呟く。
「船酔いだな。流石のアメリアも、酔いを止める薬は持っていなかったか」
「船に乗る機会には恵まれなかったもので……あぅ……結構きますね、これ」
視界がゆったりと周り、頭の奥に痛みが走る。
自分の意思とは関係のない浮遊感がなんとも気持ち悪い。
「大丈夫か? シルフィ、あれを持ってきてくれ」
「はい、ただいま」
ローガンの指示でシルフィが船室に戻る。
程なくして、シルフィは一口サイズに切り分けられた赤い野菜を持ってきた。
「これは、トマト……?」
「塩をふりかけたトマトだ。これを食べると、酔いが多少マシになる」
「そ、そうなのですね」
というわけで、アメリアはシルフィから塩トマトを受け取り、一つ、二つと口の中に入れた。
「しょっぱいと甘いがダンスしています……」
「独特な表現だな。気分はどうだ?」
「……なんとなく、頭がスーッとしてきた気がします!」
額に手をやりアメリアが言う。
気持ちの悪さが完全に消えたわけではないが、先ほどまでのぐるぐるとした感覚や、こめかみを締めつけるような鈍い痛みは和らぎつつあった。
酔いの症状が軽くなったアメリアを見て、シルフィは口を開く。
「それにしても不思議ですよね、塩とトマトで船酔いが治るだなんて」
シルフィの言葉に、ローガンが肩をすくめて答える。
「とある船乗りが酔った時にたまたま食べて、酔いの軽減に効果がある事を発見したそうだ。原理はあまりよくわかっていない」
ローガンの言葉に、アメリアは顎に手を添えて考え込む。
海の風が帆を揺らす音とともに、彼女の目が遠くを見つめる。
やがて何か思いついたのか、「なんとなくですけど……」と言葉を口にした。
「トマトにかける塩は、体の水分を引き締めてくれるんじゃないでしょうか。例えば、汗をかいたときに塩を取ると元気が出るように、体の中で水分が上手く巡るようになるのかと。それに、トマトは酸っぱくて、胃の働きを助ける効果があります。塩とトマトの酸味、どちらも船酔いで乱れた体の調子を整えてくれるんじゃないかなと……」
スラスラと考えを口にするアメリアに、ローガンとシルフィは目を見合わせた。
「なるほど……そう説明されると、理にかなっている気がするな」
驚きを隠せない表情を浮かべるローガン。
「さすがですね、アメリア様」
シルフィも感心した様子だった。
「相変わらず、凄まじい知識と頭の回転の速さだな」
「いえいえ、大したことは……あるんですよね、はい」
「自覚は出て来たようだな」
アメリアの言葉に、ローガンは小さく笑って頷いた。
アメリアの持つ植物、薬学、そして医療の知識は凄まじい。
それはライラの母親が患った紅死病の特効薬を自力で開発したことや、カイド大学の教授ウィリアムから『天才』のお墨付きを貰ったことなどから十分伺える。
しかし実家で長い間虐げられ、自己肯定感が地に落ちていたアメリアは、それらの能力を盛大に過小評価していた。
とはいえ、へルンベルク家に来てから、ローガンやウィリアムから高い評価を受けるようになって、アメリアは少しずつ自分の能力に対し自信を持てるようになっていた。
(ちょっとずつ、変わっていけてるのは良いこと、よね……)
ローガンと過ごす中で、自分の心持ちが少しずつ良い方向に変化していっていると改めて実感するアメリアであった。
【コミカライズ連載開始!】
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どん!!!!
空木おむ先生が神のような画力でアメリアを可愛らしく、ローガンはカッコ良く描いてくださってます!
アレンジも効いており原作からよりパワーアップした内容になってますので、小説版との違いをご堪能ください!
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