新世界(2)
「とにかく、俺は西茂森の失踪とは関係ない」
「動機が一番ある」
にべもなく、黒岩はそう言った。
さすがに、いまのは少しカチンときた。
「……だとしたら、俺にはお前を殺す動機だってある」
ガタンと音がした。顔を上げると、西茂森のなけなしの教科書が床に落ちていた。黒岩が後ずさって、机を動かしてしまったようだ。表情はまったくの無だが、感情はあるようだった。
「ご、神人の理由なき暴力から、鶴ヶ坂を助けなかったからか?」
どんなハートしてんだよ。
机を傾けるほど怯えて後ずさったくせに、まだ食い下がってくる。
「理由はあったと思う。俺に理解できなかっただけだ」
もしくは、共感。それは、西茂森以外、誰にも不可能であったのかも知れない。
そう思いながら、俺は続ける。
「ともあれ、その通りだよ。止められるとしたら、恋人の黒岩だけだった」
べつに黒岩を殺すつもりなんてない。今更、責めるつもりもない。売り言葉に買い言葉みたいなものだ。でも実際、黒岩なら止められたはずだ。黒岩だけには、西茂森もあまり強く出られなかった。
「恋人じゃない。神人が勝手に近くにいただけ。ずっと皆にもそう言ってきた。信じてもらえなかったけど。
だから、私に止められたとは思えない」
うまく言葉が出なかった。
恋人じゃない? 神人が勝手に近くにいただけ?
それは、西茂森の片思いというやつか。そう考えて、吐き気をもよおした。いや、実際に吐いたかも知れない。
「……違ったのか。下の名前で呼んでるし、親しそうじゃねえか」
「呼べと言われた。呼ぶ必要はなかったけど、『ニシシゲモリ』より『ゴッド』のほうが短くて楽だった。言いやすい」
「ロボットかよ、お前」
「違う。ロボットは楽とか考えない。……いや、ハード面には確実に負担はかかるから――」
「もういいもういい。なんでもねえ」
黒岩は、眉間にしわを寄せて困惑しきった顔をしている。
「えぇっと。黒岩の目的は何だ?」
彼女の性格を考量して、俺は直接的な物言いをした。
「理由なき暴力から身を守りたい」
つまり、さっきの女子連中からの嫌がらせをどうにかしたい、ということか。
「あっ……!」
黒岩がちょっと大きい声を出した。目も見開かれている。
「理由はあった。理解できなかっただけ。……なるほど。そういう意味か」
黒岩は、何かをひとりで納得しているようだった。
「女たちにも、理由はある。原因のない結果はあり得ないから。私には理解できないだけ。そういうことだ。うん。
ただ、この現状は――この結果は、神人がいなくなったことが原因の一つになってる。間違いない」
「そうだな」
「天才か?」
「西茂森がいない今、同じ役割を果たせるのは、それこそ長峰だろ」
ただ、ここで長峰に黒岩からすり寄っていったら、改善どころか悪化するだろう。俺の知ったことではないが、地獄のような学校生活が待っているだろう。
「強かった神人を倒したのが、本当に長峰なら、そうなる」
「黒岩は、俺だと思ってる?」
「うん」
あり得ないぐらい素直な瞳で肯定された。真っ直ぐに殺人犯扱いされた。ただ、正解ではある。
「動機以外の根拠は?」
「ない」
「動機だけで、俺を犯罪者扱いすんの?」
「あっ……!」
黒岩は無表情で目を泳がせ、わずかに両手をバタつかせている。おそらく、狼狽えているのだと思う。
「ごめんなさい」
あり得ないぐらい素直に頭を下げられた。
見るからに顔色を悪くしている黒岩には申し訳ないが、俺は殺人を告白するつもりはない。
「神人を倒したのが本当は鶴ヶ坂だったら、鶴ヶ坂の近くにいれば私は助かると思った」
あり得ないぐらい素直に、『お前を利用したい』と言われた。
なんとなく、黒岩星々のことが分かってきた気がする。少なくとも、西茂森のように全く意思疎通できないわけじゃないらしい。あいつは、俺が口を開こうものなら拳を強く握った。俺にとって西茂森は、まさにコミュニケーション不全の化け物だった。
「そもそも、西茂森の威を借る状況自体、黒岩としては想定外だったんだろ?」
「うん」
「じゃあ、もういっそ一人でどうにかすればいいじゃねえか」
「鶴ヶ坂もそうした?」
意図的だとしたら恐ろしい。黒岩の不意打ちで少し目眩がした。
「……いや。俺は、ただ黙ってた。どうにもしようとしてなかった。
……すまん」
「え? なんで謝ったの?」
「自分に出来なかったことを、他人にやれと言った」
「それは謝ること? 鶴ヶ坂には無理だったことでも、私にはできるかも知れないのに。
もしかして、良い人か? じゃあ、本当に鶴ヶ坂じゃないかもな……」
また眉間にしわを寄せて、黒岩は考え込んでしまった。
西茂森が死んでも誰も気にしない――誰も犯人を真面目に探すことはない。そう思っていたが、黒岩星々だけは想定外の理由で犯人を捜しているようだった。
面倒なことにならなければいい。
俺たちは、故障したエンジンなんだ。ただウロウロして、行ったり来たりしていれば、それでいい。最初のスパークには、誰もなりたくはないんだ。
どうせ遠くない将来、みんな死ぬんだから。それまでは、ただ惰眠を貪るように生きていればいいんだ。