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墜落(1)

 入院生活は、二か月弱で終わった。


 休日の昼過ぎ。俺は、いつもお世話になっているガレージにいた。ガソリン車自体も珍しいが、それを扱える店も珍しい。俺にとっては天国のような場所だった。


義兼(よしかね)。退院、おめでとさん」

「あ、どうも……」


 そこの店長が、俺に煙草を投げてよこした。三十代半ばのモヒカン頭の男が、悪戯っぽっく微笑んでいる。怪我で入院していたやつに渡すプレゼントとしては、最悪の部類だろう。


「駄目でしょ。俺はまだ未成年ですよ」

「すげえ貴重品」

「でしょうね。どこで手に入れたんですか?」

「内緒」


 その貴重品を吸い込んで、俺は咳き込みまくった。二度と吸わないと心に決める。店長はそんな俺を指をさしてゲラゲラと笑った。


「なんなんですか、もう……。返しますよ」

「貴重品って言ったろ。持っとけよ。何かと交換できるかも知れねえぞ」


 店長は俺の怪我に関して何も聞かなかった。俺も、店長の左脚が義足であることに触れたことはない。

 俺みたいなガキに無償でバイクを貸してくれるのは、何故だろう。整備や保管、地上に出る手筈まで整えてくれるのは、何故だろう。自分がもうバイクに乗れないことの代償行為、みたいなものだろうか。分からない。だけど、それを訊ねるのは、ためらわれた。


「どうする? 今日も行くか?」


 ひとしきり笑ったあと、店長はガレージに保管してあるGANGAN200を指した。


「いや、今日はやめときます。いちおう病み上がりなんで」

「そっか」


 俺の返事を聞き、店長は持っていた工具を作業台に置いた。

 もしかしたら、俺の退院に合わせてバイクを調整してくれていたのかも知れない。そう思ったら、急に乗りたくなってきた。


「店長」

「ん?」


 咥え煙草の店長が振り向いた時だった。俺の背後に、誰かの気配を感じた。


「おい、鶴ヶ坂。てめえ、こんなとこで何してんだよ」


 最悪だった。俺の唯一の楽園に、西茂森が踏み込んできた。

 まだ夕方でもないのに照明の調整が入ったのかと思うほど、目の前が暗くなっていく。

 きょろきょろとガレージを眺め、ニヤつきながら俺に近づいてくる西茂森。退院早々、また入院ということにならなければいいが。


「いらっしゃい」


 店長の声に、西茂森は足を止めた。

 さしものガキ大将も、義足のモヒカン男には少し怯むらしい。いつの間にか、馬鹿みたいにデカいモンキーレンチを担いでいる店長。黒い作業着には、店名――『STONE COLD SOBER』の文字。たしかに、知り合いでもなければ近付きたくはない風貌だった。厳つすぎる。


「い、いや。俺はただ……友達が見えたから、つい……」

「そうか、義兼の友達か。……え。友達いたのかよ」

「ひでえ言い草じゃないですか、店長」


 ちょっと落ち込んだ。

 たしかに西茂森は友達ではないし、俺に友達と呼べるような奴はいない。


「悪かったよ。俺がいるだろ、義兼。

 ……あぁ、そうだ。せっかくだから、二人で走ってこいよ」

「え?」


 俺は耳を疑った。

 店長の言葉で、全身の血の気が引いていく。

 俺の唯一の救い。拠り所。地上の楽園。聖域。言い方は何でもいい。俺にとっての安息の地に、放射性のヘドロすら清廉に感じるほどの汚染物質を持ち込めというのか。あの汚染された地上を、西茂森なんかで汚したくはない。


「走るって? 何それ。面白そうじゃん、鶴ヶ坂()()


 汚らしい笑みを向けられ、俺は絶望した。西茂森の言葉は、まるで口から垂れ流れる汚染物質だ。

 これで、本当の意味で地球上に俺の居場所はなくなった。


「ゲートの連中には、俺が話つけとくから。おい、義兼の友達。お前、そっちでこれに着替えろ」


 言いながら、店長は西茂森にツナギを投げてやる。


「あざっす!」


 ムカつくほど陽気な西茂森が奥に消えるのを確認して、店長は俺を見た。


「義兼、これも一緒に持ってけ」


 いまにも膝が折れそうな俺に、店長はそう言ってデカいモンキーレンチを見せた。そして、GANGAN200のサイドに括り付け始める。


「な、何に使うんですか、それ?」

「そりゃ、お前……クソでかいナット回すんだよ。あとは、そうだな。人、殴るくれえか。こんなもんの使いどころなんて」

「え……」


 ぞわりと、得体の知れない何かが、俺の背筋を上ってきた。


「いやまあ、べつに意味はねえよ。こんなもん、バイクに括り付ける意味はねえ」

「は、はあ」

「重量とバランスが変わるから気を付けろよ。地上には滅多に人がいねえからな。事故ったら終わりだぞ。

 シェルター街の貧民が一人二人死んだところで、誰も気にしねえ。大穴に捨てられるゴミと一緒だな。もう、誰も何も考えちゃいねえ」


 何を今更、と言いかけて気付いた。

 シェルター街の人間が地上で死んだとして、本気でその原因を究明しようとする者はいない。たとえそれが、()()であったとしてもだ。そして、そもそも地上に出たことを知る人間は限られる。

 往路は二人、復路は一人。それでも気にしない。いや、気にするな。ゲートの連中に話をつけるとは、そういう意味だ。


「だいたい、()()()に行方不明者が出るんだ。気にしない、気にしない」


 引いた血の気が戻り、顔が熱くなっていくのが分かった。


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