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空、地上、地下(3)

「オラァ!」


 西茂森の大声と共に、頭に硬いものがぶつかった。今度は何を投げたのか。分からなかったが、とにかく痛い。


 嫌がらせは終わりそうにない。今日は特にしつこかった。だから、俺は改めて机に突っ伏し、目をつむった。目をつむり、地上に思いを馳せる。

 汚れ切った、誰もいない世界。上空の思惑も、地下の惰眠のような生活もない。皮肉なことに、生物にとって敵対的で過酷な世界は、同じく生物である俺にとっては唯一の拠り所だった。


 地上に出ると、視界が薄っすらと黄色くかすむ。砂漠化した大陸から押し寄せる、汚染された黄色い砂の風だ。もし砂嵐が来たら、三十分も走っていられない。バイクや防護服のフィルターが詰まってしまう。どこか物陰を見つけて隠れよう。


 地上ゲートからしばらく走ると、大穴がある。文字通り巨大な穴だ。掘ったものなのか、開いてしまったものなのかは不明だ。旧センター南駅付近だと聞いた。その穴は、シェルター街の中で処理しきれないゴミを投げ入れる場所になっている。死ぬほど臭くて、フィルターでも濾しきれない匂いで吐きそうになる。防護ヘルメット内でゲロを吐きたくないので、なるべく避けて通ろう。


 空を見上げれば、ロケットが飛んでいく。行き先不明の箱舟。その建造資材を乗せた貨物ロケット。

 そして、不透明な未来を約束された人間。彼らを乗せた有人ロケット。それぞれが黄色い空に昇っていく。午前中は合計五つ飛んだ。多い方だった。


 他には、砂でざらついた危険な舗装路に、使う者が消えて久しい廃墟群。なかでも、砂丘から突き出る横浜マリンタワーや、横浜ランドマークタワーは見ものだ。デカい。更地同様になった場所も多いから、ある程度近付けば薄っすらと見える。


 あとは、謎の泡だらけの川や海。光る山。なんで山が光るのかは知らないが、そのおかげで視認性の悪い地上でも山が見える。その山から大量にのびる電線も良い。あの電線が切れたら、このシェルター街が停電になったりするのだろうか。


 光るといえば、 “輝く海”だ。横浜ベイブリッジより内側の海は、“輝く海”と呼ばれているらしい。昼間は分かりにくいが、夜になると確かにぼんやりと光っている。例によって、なんで光るのかは知らない。防護服でも許容できないほど汚染されているらしく、往復切符を持っている奴は絶対に行くなと言われている。


 そして、夜になれば暗闇の中で浮かび上がる関東中央宇宙港。いまや、あそこだけが日本だ。夜の闇の中で、山と海と宇宙港だけが光っている。それを闇の只中に立ち、遠く眺めている時の気持ちは、言い表しようがない。


 どれもこれも、地下シェルター街に籠っていたら見られないものばかりだ。


「うるせえな……。いいかげんにしろ、クソガキ!」


 突然の怒号に、教室が静まり返った。俺の脳内逃避旅行も、中断を余儀なくされる。

 西茂森を中心にして、俺に暴力をふるっていた生徒たちがキョトンとした顔で前を向く。つられて、俺も前を向いた。

 どうやら、数学教師がキレたらしい。


「こんな時に生まれてきてんじゃねえよ! ガキこさえてんじゃねえよ、馬鹿どもが!

 そうだ。どうせ死ぬんだ。さっさと死んじまえよ、お前らみてえなゴミは! 今すぐ死ね!」

「あぁ!? 生徒に死ねとか言っていいのかよ、ハゲ野郎!」


 西茂森が立ち上がり、教師に向かって行った。机や椅子が、割れるように道を開ける。


「おい、鶴ヶ坂(つるがさか)!」


 驚きで、体が跳ねた。

 なんのつもりか、数学教師は俺の名前を呼んだ。

 西茂森が振り返り、俺を見る。それどころか、教室中が俺を見る。ゴミ捨て場の生きたゴミを、男も女も全員が見る。大量の視線に、俺の体は硬直した。


「どうせ俺たちは死ぬんだよ。ここにいるやつ全員、宇宙船には乗れない。

 だから、いっそやっちまえよ。このデカいだけの馬鹿、殺しちまえよ! なあ、鶴ヶ坂! むかつくだろ、お前!?」


 ほっといてくれ。構わないでくれ。

 何もしてくれないのなら、せめて放って置いてくれ。結局、憂さ晴らしかなんかで、西茂森の矛先は俺に向くんだから。


「先生、馬鹿なこと言ってないで授業続けてよ」


 そう言ったのは、長峰 光輝(ながみね しゃいん)だった。端正な顔立ちで、女子からの人気が高い。西茂森とは仲が悪いが、運動神経も良いので二人の間では暴力沙汰は起こらない。


「黙れよ、光輝。いまからこのふざけた教師、ぶっ殺すからよ」

「やめとけって。どうして神人はそう暴力的なんだよ」

「うるせえぞ」


 べつに長峰は授業を真面目に受けたいわけじゃないだろう。たんに西茂森が気に食わないから止めようとしているのか、あるいは女子――黒岩が呆れていたからそっちに同調しとけと思ったのか。そのどちらかだろう。

 女子の間で合成牛乳が流行ったら、いくら不味くても俺は合成牛乳を飲みまくる。長峰はそう言っていた。だから、たぶん後者だ。


 俺は現状を少し分析して、一気に白けた。

 どうでもいい。西茂森も長峰も、黒岩も教師も他の同級生も、みんなどうでもいい。

 そう思うと、体の硬直もとけていった。


 誰も彼も、エンジンのピストンみたいに行ったり来たりしている。行き止まった地球の地下で、行き場のない可燃性の想いを圧縮させて、プラグのスパークを待ち望んでいるんだ。数学教師は、俺をプラグに見立てて放電させようとした。だが、それは不発に終わった。俺にそんな気はない。度胸もない。エンジンに火は灯らない。


 可燃性ガスは地下シェルター街に充満しているのに、待ち望んでいるはずの火を誰も点けようとはしない。きっと、誰も点火プラグにはなりたくないのだ。爆発してしまいたいが、その最初の一手を誰もがためらっている。この期に及んで、己の手だけは汚したくないと思っている。あいつが火を点けた、と指をさされたくないと思っている。だからだろうか、どうしようもない閉塞感と憤懣の中で、惰性にまみれた規律が保たれている。

 そう俺は感じる。

 違うかも知れないが、少なくとも俺はそうだ。セルスターターのスイッチは反応しない。キックスターターのペダルを蹴り込んでも、エンジンに火は灯らない。ただ惰性で踏んでいるだけだからだ。火を灯す気などない。ただただ、のろく空振るだけ。

 早くしろ。早く点け。誰か点けてくれ。ただ願っているだけ。


「鶴ヶ坂! やっちまえ!」


 数学教師は、声を裏返して叫んだ。


「おいおい。おいおいおい! まじかよ。やってみろよ、鶴ヶ坂!」


 最悪だよ、先生。

 教壇の方に向かっていた西茂森が、俺の方に戻ってくる。やはり西茂森の怒りの矛先は、俺に向いた。

 いや、怒りなのか?

 怒りではないように思える。少なくとも、現状で俺に対して怒る要素は見当たらない。

 だとすれば、何なんだ。やつの俺に対する執着は何なんだ。


 西茂森は俺の襟首を捻り上げる。教室の安っぽい照明を背後に、やつの巨躯が影になって俺を覆った。

 合成牛乳が臭いとか汚いとか、そういうのはもう気にならなくなったらしい。


「ぶっ殺してみせろよ、鶴ヶ坂。お前に俺が殺せんのか?」


 そうして、鼻が折れるまで俺は殴られた。

 数学教師も長峰も、黒岩もどこかへ行ってしまった。怯えるクラスメイトが息をのむ中、西茂森の罵倒と、俺の肉や骨が痛めつけられる音だけが教室に響いた。

 俺は、ただ洞窟に籠って嵐が去るのを待っていた。

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