希望(4)
モンキーレンチを貸してくれと言った俺を、店長は指をさして大笑いした。
「最高だよ、義兼」
「そ、そうですか?」
マジで最高だ、と店長は嬉しそうだった。最後まで、よく分からない人だ。でも、嫌いじゃなかった。
馬鹿みたいにデカいモンキーレンチは、やっぱり重かった。多少は鍛えたといっても、急造の体じゃこんなもんだろう。
存在を確かめるように、何度かレンチを握り直した。
「店長、一個聞いていいですか?」
「んー、なによ?」
「俺たちって、このモンキーレンチ以下の存在ですよね」
「は? 何言ってんの?」
そりゃ、そうでしょう。
俺は何を言っているんだ。
「あー、つまり。必要があって作られたわけじゃない、というか……なんというか」
うまく伝えられない。
西茂森を殴り殺した時の疑問。うまく言葉に出来ていない気がする。
それに、店長に話したところで困らせてしまうだけだ。
「お前、めちゃくちゃ若者じゃねえか!」
またしても、店長は大笑いした。
ちょっとムカついた。
「そうですよ。いちおう若者ですよ」
「そうだな。すまんすまん。そんなふくれるな。
たしかに、必要があって作られたと言う意味じゃ、俺たちは工具以下だ」
そりゃ、そうだよな。
こんな時代に生まれてきた意味なんてない。
「でも、元から、そういうもんだよ。生まれたことに意味はねえ。なんて言うんだっけ、原因と結果があるだけだ」
「因果?」
「それそれ。昔の宗教的な意味合いじゃなく、ただ因果っつー事実関係があるだけ。それだけ。人生に意味なんてねえよ」
「ないんだ……」
「ねえよ」
店長は断言した。
それは、俺にとっては新鮮だった。
終わりゆく世界だから。そういうことも関係ない。元から、人生に意味はない。
「意味を持つのは死んだ後だ。死ぬ直前に、こういう人生だったと自ら意味を見出せりゃ、幸運。
たいてい、他人が死体を前にして、こいつの人生は悲惨だったなとか、幸せだったと思うよとか、勝手なことをぬかす」
言いながら、店長は黒い作業着を投げて寄こす。『STONE COLD SOBER』という店名の入った作業着。店長も着ているやつだ。
「死ぬ直前や死んじまった後に生じる意味なんて、いま生きてる俺たちにゃ関係がねえ。意味がねえ。違う立場と環境の奴が、客観的に語る人生なんてクソ以下だ。
こういう人生にしようと思って、その通りに生きられるやつなんて、どれだけいるよ。いるとしたら、人生何周かしてるだろ、そいつ。
だから、人生一週目の俺たちは、ただ生きて死ぬ。最後の地球人として、ただただ精一杯、面白味を見つけて生きるだけよ」
「話、長くないっすか?」
「うるせえな!」
店長は顔を真っ赤にしていた。
ただ、店長の話は、どこか気持ちが良かった。
「あ? 義兼、お前笑ったな?」
「え。そうですか?」
「笑ったぞ、いま!」
自分では分からなかったが、店長は興奮気味に指摘している。
「最高だ、義兼」
「は、はあ」
「それ、着てみろよ」
「はい」
俺は、店長が寄こした作業着に袖を通す。厚めの生地で丈夫そうだが、動き難くもない。着心地は良さそうだった。
「人生の意味なんて考えて生きてる奴なんか、酔っぱらってる連中くれえさ」
そういう意味では、俺も酔っぱらっていたのかも知れない。
世界の終わりという悲劇に。西茂森という理不尽な暴力に見まわれた惨劇に、俺は酔っぱらっていた。
「ピッタリじゃねえか」
「はい。格好良いかも……」
作業着は、ビックリするぐらいサイズが合っていた。
「お前には、良く似合う」
「店長」
「なんだ?」
「ありがとうございます」
へへっと、店長は照れくさそうに笑った。
「言ったろ、面白味を見つけて生きてるってよ。俺は俺のためにやってんだ。お前にゃ関係ねえ。たまたま、人生の一瞬、お前と息が合っただけだ」
「わかりました。息が合ったついでに、あとでバイクもください」
俺はもう酔っぱらってなんかいない。おそらく、長峰に対する殺意を自覚した時点で、酔いは醒めていた。
「もちろんだ。実はタンクやエンジン、色々と乗せ換えた」
「え?」
「これで、前より速度も出るし、そこそこの長距離もいける。言うなれば、GANGAN400だ」
店長の言葉で、完全に酔いが醒めた。
迷いや不安、怖れといったものも、すべて吹き飛んでいった。
「最高です!」
俺はいま、完全に素面だ。
◆
急ピッチで鍛えた体と、馬鹿みたいにデカいモンキーレンチを携えて、俺は学校に向かった。
モンキーレンチは、テーピングなんかで右手にガチガチに固定した。血なんかで滑って、途中ですっぽ抜けないようにした。
「おい、ゴミ野郎くん。星々、見なかったか?」
都合良く、長峰が俺の前に立ちふさがった。タイミングを計ったのか、周りには誰もいない。周到な奴だ。
「来ないんじゃねえかな」
「あ? どういう意味だ、それ」
「今日は休むように言った」
「お前……。星々に近づいたらどうなるか、分かってんのか? ……つーか、何だそれ?」
長峰は、俺が肩に担ぎあげたモンキーレンチを見て怪訝な顔をした。そりゃ、そうだろう。デカすぎるし、普通の学校には不似合いだ。
「長峰光輝。お前に良いことを教えてやるよ」
「なんだか知らねえが、調子に乗るなよ」
「西茂森を殺したのは、俺だよ」
「は?」
キョトンとした長峰。
俺の背後で、羽虫のようなドローンの飛行音が聞こえた気がした。
でも、すでにセルスターターの赤いスイッチに指はかかっている。何があろうと止まらない。
気持ちはニュートラルだ。エンストは起こさない。押し込めば、プラグに通電してスパークを起こす。一瞬メーター類が振り切って、エンジンに火が入る。
始めはパワー重視で、一速のまま教室に乗り入れよう。それがいい。
「なに言ってんだよ。西茂森は俺が――」
長峰が言い終わらぬうちに、その端正な面を目がけ、俺は馬鹿デカいモンキーレンチを振り切った。