希望(3)
それから俺は三か月間、体を鍛え続けた。学校をほとんど休み、筋トレと走り込みをした。親は何も聞かなかったし、何も言わなかった。諦めてしまっているんだろう。俺だってそうだ。親には何も期待していない。諦めた。何かを期待するだけ酷だろう。だから、何も言わなかった。
黒岩は、最近は長峰と一緒にいることが多くなった。長峰を犯人と確信したのか、犯人じゃなくても利用価値はあると判断したのか。いずれにしろ、利用しているようだった。
だが――、
「どんどん酷くなる」
――上手くは、いっていないようだった。
「今日なんて、ずぶ濡れだったもんな」
「神人の時は、向こうから勝手に近付いてきた。今回は違う。私から近付いた。やり方を間違えてるんだ。
もしくは、やっぱり長峰では無理だった。犯人じゃないから」
並走しているドローンからの黒岩の通信には、どこか非難の色を感じた。
お前が犯人なんだろ。利用させてくれ、と。
「黒岩。本当にお前は碌でもないな」
「なんでだ」
「西茂森殺しの犯人を利用しようとしてる」
「どうして、それが碌でもないの?」
まったく、どいつもこいつも、俺も含めて碌な奴がいない。
俺は黒岩の疑問には答えず、トランスミッションを五速に蹴り上げた。答えられなかったから。よく分からなかったから。誤魔化すように速度を上げた。
他人を利用することは、碌でもないことなのか。異常なことなのか。
『私、生きたい』
黒岩はそう言った。
生存のために、他方を利用するなんてことは、この世には溢れている。俺のような高校生ですら、そう感じる。そして、たまに利害関係が一致したりもする。そうなれば、対等な取引と言っていいのではないか。
『彼女は俺が守るからさ』
俺を人目のつかない場所へ押し込んで、長峰は確かにそう言った。
利害は一致している。しかし、思うようには事が運ばないんだろう。そういうことも、ある。地下シェルター街という狭い世界。その世界の、更に狭いコミュニティでも、そういうことで溢れている。
ならば、碌でもないなんてことは、ないのかも知れない。“普通”ってやつなのかも知れない。
少なくとも、西茂森のような奴や、人を殺す俺のような奴よりは正常だろう。
「どうして、それが碌でもないの?」
聞こえていないと思ったのか、追い付いてきたドローンが同じ言葉を届けてきた。
「すまん。聞こえてなかったわけじゃない。考えてた」
「なるほど。それで?」
「面倒くせぇや」
「なにそれ。もしかして、隠された意味がある?」
「ねえよ。明日は学校に来るな」
「ん? なんで? 話が逸れてる」
黒岩の声は無視して、俺はエンジンが悲鳴を上げそうなほど速度を上げる。
吹っ飛ぶか、道が途切れるか。防毒フィルターや、エンジンの吸気フィルターが限界を迎えるか。それとも、俺の生還か。チキンレースの始まりだ。
『私は、この身をさらして歩きたい』
黒岩の夢は叶わない。
自身の頑張りとは関係がないところで、もう潰えている。
そして、それは俺も同じだった。
西茂森を殺してまで手に入れた新世界も、長峰に取って代わられた。
箱舟に載せた俺の夢は、貨物ロケットの墜落と共に虹になった。
まともに生きようと、人を殺して生きようと、現実はさほど変わらなかった。
俺たちは、もうどうにもならないところまで追い詰められている。死んでいないだけ。ただ生きているだけ。何も感じず、何も考えず、まるでエンジンのピストンのように行ったり来たり。
ピストンに圧縮された可燃性の想いの熱効率は、もはや最大級だ。
早く。
早くしろ。
放電を望んでいる。プラグが火を灯すのを待っている。
エンジンに火が入るのを待っている。
早く。早く。早く。
プラグのスパークを待っている。シリンダ内の可燃性ガスに火を点けろ!
その結果がどうなろうとも、たとえ断罪されて死ぬことになろうとも、俺はそれを――。