希望(2)
それにしても、俺が利用しているゲートが一番ゲートで、黒岩が二番ゲートだったというのは冷や汗ものだ。もし同じゲートだったら、西茂森と一緒だったことなんて、とっくにバレていただろう。
「センター北から、よくここまで無線が届いたな」
俺は話題を変えてやり過ごそうと思った。それに、気になったのは本当だ。
スタンドアローンの自動走査ならまだしも、リアルタイムでの送受信となると距離があり過ぎるように思う。
「中継器とかシェルター街を複数またいでる。いまは旧関内駅の大型中継器で信号を増幅して、小型を二つまたいでこの病院に繋いでる。
病院の中継器は生きていることが多い。良い場所を選んだね」
「なるほど。そういう風にやるのか」
黒岩は事も無げに言ったが、たぶん言うほど簡単な作業ではないように思う。それに、土地勘がある様子からも、本当に日常的にドローンを飛ばしているようだ。あと、すごく饒舌だ。好きなんだろう。趣味だ、という言葉に嘘はないように思えた。
「それで、鶴ヶ坂はここで何してるの?」
「……趣味だ」
「地上のビルに上るのは、一般人向きの趣味じゃない」
「そんな趣味ねえよ」
「……」
黒岩の困ったような無音が、短距離通信にのって届いた。
「バイクで走るのが好きなんだ」
「そっちか。それで、ここには何しに来たの? 凶器を隠しに来たとか?」
「違う。……横浜マリンタワーがさ、圧し折れたんだよ」
俺は高速道路の向こう――輝く海を指さした。
ここから海に向かって走り続けると、かつては人であふれかえっていたであろう観光地がある。そこに、灯台の役割も果たしていたという横浜マリンタワーがそびえ立っているはずだった。
崩れてしまったビルが多い中、あのタワーは辛抱強く立ち続けていた。遠くから見ていただけとはいえ、見覚えのある風景が変わってしまったのは寂しい。
そもそも、海にかけてほとんど更地のようになっていなければ、この位置からですらタワーは見えなかっただろう。俺にとって見覚えのある風景でも、かつての人々にとっては異様な光景であるはずだ。
俺ですら物悲しさを感じるのに、もしもまだ外で暮らせていた世代が蘇って、この風景を見たとしたらどんな気持ちになるのだろうか。崩れ去ったビルや、砂に埋もれかかった観光地。圧し折れたタワー。それらに、かつての面影を見つけられるのだろうか。
「あの時の虹、凄かったね。慌ててカメラのフィルターを弄ったよ。肉眼だと、どうだった?」
「え? 虹の噴水みたいだったけど……。黒岩も見てたのか?」
「うん」
そういえば、あの時、数機のドローンが墜落現場に向かって飛んで行った。その中で、何故だか俺の頭上で停止したドローンが一機だけいた。
「俺の頭の上で……。あれ、黒岩だったのか」
「誤解がある。私はドローンじゃない。
でも、うん。まあ、私だった。せっかくだから、一緒に見てた。……え? 何、せっかくって?」
「いや、知らねえけど……」
呆れた俺に、短距離通信が無音だけを届けてくる。黒岩が、また眉間にしわを寄せて困っているに違いない。
「私は混乱している」
「ぉ、おう……。そうみたいだな」
「申し訳ないんだけど、今のはなかったことにして欲しい」
「墜落と爆発。そして、虹の噴水。俺はそれを見て、たぶん腹が立った。イラついた。それが、何でなのか分からん」
「話を戻したな。偉いな。
それで、横浜マリンタワーを見れば、それが分かると思った?」
「そういう気がした」
「なんで?」
「知らねえよ」
「それに、いまここに来ても、もうあの虹は見れないよ?」
「分かってる……」
人の住めなくなる地球を捨てて、どこか別の場所へ旅立つ船。俺はその箱舟には乗れない。それなのに、箱舟建造の資材を運ぶロケットの墜落が、どうして腹立たしいのか。憎み、嘲笑いこそすれ、失敗に苛立つ意味が分からない。
「あの光景、私にはこの世のものとは思えなかった。夢みたいだった」
「え? なんだか意外な発言だな」
「そう? でも、本当に夢を見てるみたいだった。夢って、なんかいつも滅茶苦茶だし」
「夢か……」
そもそも、箱舟に乗って助かるのかも分からない。人間が住める惑星に到達できる保証はない。でも、想像してしまう。箱舟に乗って新天地へと往く旅路。
そうか。そうだ。俺は、あの風景を新しい人類の住処だと夢想したんだ。
「私は、この身をさらして歩きたい。ドローンとか防護服越しじゃない風、匂い、温度を感じてみたい。あの虹も肉眼で見てみたかった」
俺たちシェルター生まれのシェルター育ちは、地球の環境を肌で感じたことはない。そんなことをしたら死ぬ。そもそも、いまこうして風景を見られているだけでも異例だ。幸か不幸か、俺や黒岩には地上を見る機会があった。
そんな俺たちが、外に出たいと願うことに不思議はないはずだ。地下に籠って緩やかな絶滅を待つだけの人生を、否定したくもなる。
「私、生きたい」
大手を振って生きていきたいと願うのも、当たり前じゃないのか。
「黒岩、俺さ。あの虹の噴水を見て、思ったんだ。まるで別の惑星みたいだなって。箱舟で行く場所は、ああいう所なんじゃねえかなって。
そこじゃ、人間は汚染とかに怯えることなんかなくてさ。合成とか人工じゃない、天然の美味い食い物も沢山あってさ。すげえ綺麗な場所なんじゃねえかなって」
俺は、箱舟で旅立つ人類に夢を抱いていた。期待していた。それに乗っている自分を思い描き、逃避していたんだ。不安も大きいだろうが、きっと楽しいに違いない。羨ましい限りだ。
「でも、俺は絶対に行くことができない。煙が上がるほど焦がれたって、願いは届かない」
地下に押し込められて生涯を終えるであろう俺が、勝手ながら夢とか理想を預けていた。
「だったらせめて、“希望”であって欲しかったんだと思う」
惰眠を貪る終末は、あまりにも希望のない世界だから。
地下のシリンダで圧縮されていくだけの夢や希望や想いを、せめて一緒にのせて旅立って欲しいと思っていたんだ。
「ずいぶん身勝手な希望だね」
そう言った黒岩の声は、気のせいか楽しそうに聞こえた。
「でも、私は共感できる。いいね。一緒に飛んでいけたら楽しそう」
「キラリ、またドローンで遊んでんのか?」
突然、防護ヘルメット内のスピーカーから黒岩以外の声が聞こえてきた。
「うん。そろそろバッテリーが危ないから戻る」
「そうか。楽しいか?」
「うん。楽しい」
「そうか。除染室に整備工具、運んどく」
と、男の優しい声は遠ざかっていった。
さっき言っていた、親代わりみたいな人たち――その一人なのかも知れない。ありがとう、と返した黒岩の反応は、どこか俺たちに対するよりも柔らかかった。
「鶴ヶ坂。そろそろバッテリー残量が少ないから、ドローンを帰投させる」
「分かった」
「まだ諦めてないから」
「なかなかしぶといな、黒岩も」
「まあね」
そう言い残して、ドローンは羽音をたなびかせて遠ざかって行った。
この場所に来て、俺は貨物ロケットの墜落を見た時の気持ちに気付いた。俺の希望をのせた船。その建造が失敗することなど、考えてもいなかった。失敗なんて許せなかった。
黒岩は、そんな俺の気持ちに共感すると言った。
しかし、長峰に抱いた感情については、また話が変わってくる。共感してもらえないかも知れない。
西茂森を排除し、ようやく落ち着けると思った新世界。それをまた別の形で揺さぶってきた、長峰に対する苛立ちと怒り。それは、貨物ロケットの墜落に対して抱いた感情と同じだ。身勝手な希望ではあるが、それを引っくり返されたことへの怒りだ。殺意だ。
あの勇者気取りの色男に対する、弾けるような感情を理解してもらえるだろうか。黒岩は、また共感してくれるだろうか。
何故か、そんなことを考えた。