プロローグ
いま、西茂森は俺の足元でのたうっていた。
やつが背中に背負った筒状の容器がひび割れ、激しい音を立ててエアーを噴いている。
「た、助けてくれ! 急に壊れて……!」
西茂森のヘルメットに付いたマイクが声を拾い、短距離通信で俺の耳に届いた。やつのヘルメットは遮蔽ガラスが割れているため、マイクを通してザラついた大気の質感まで感じられて心地が悪い。
「頼む! な、なんで急に……」
たぶん、西茂森はこの状況に理解が追い付いていないのだろう。理解できていたら、俺に助けなんて求めるはずがない。
キャニスタには、吸気装置や濾材が収まっている。この汚染されきった地上において、それらは命と同じ価値がある。砂や汚染物質だらけの大気を、少し臭う程度には改善してくれるのだから。
そんな命綱を叩き壊したのは、他ならぬ俺だった。防護ヘルメットの遮蔽ガラスを叩き割ったのも俺だ。でかいモンキーレンチで思い切りやってやった。
「石かなんかが当たったんだ! 頼む! このままじゃ!」
それなのに、西茂森は俺に助けを求めている。すでに喉をやられていて、かすれた声と共に血が滲みだしていた。
馬鹿な奴だ、とは思わない。気が動転しているんだろう。俺だって、急にキャニスタがぶっ壊れたら動転する。
「いるんだろ!? 助けてくれ!」
どうやら、西茂森の目は潰れたらしい。すぐ足元に転がっているのに、俺が見えないようだ。短距離通信での音声から、やつの焦燥感が伝わってくる。
西茂森が死ぬのは、俺のせいか?
俺がやつのキャニスタやヘルメットを殴ったから、こいつは死ぬのか?
地球の終わりは、俺にとって世界の終わりで相違ない。ただの仮定の話だが、もしも世界が終わらなかったら俺は西茂森を殺す選択はしていない。
まだ実感はないが、人はいつか死ぬものだ。殺さなくても死ぬ。世界の終わりともなれば、みんな死ぬ。俺も死ぬ。そして、実際に世界は終わろうとしている。
じゃあ、もう滅茶苦茶な論法でもいいじゃないか。どうせ、あとには何も残らない。悲しむ奴も、責める奴も、みんな死ぬ。
こんな奴の死に、俺が責任を持つ必要なんてない。世界が終るから、西茂森は死ぬんだ。俺のせいじゃない。
「なあ? 人、殴る以外で、こんな馬鹿みたいにデカいモンキーレンチ、何に使うんだろうな?」
この期に及んで、俺は何故そんなことを言ったのか分からない。他にもっとあるだろうと思ったが、知人の死に際で口をついて出たのは、そんなもんだった。
「そりゃ、必要があるから作られたんだろうけどさ。どんな必要があれば、こんなデカくなる?」
このデカいモンキーレンチは、ナットなんかを挟む部分が人の顔ぐらいある。重さも相当なものだ。
「な、なに言ってんだ、てめえ……」
こいつの言っていることは、もっともだ。なにせ、自分でも何が言いたいのかよく分からない。
「ホント、何なんだろうな、このモンキーレンチ」
「ふ、ふざけんなよ、てめえ!」
鉛を含んだ防護服は重く、動きづらい。すっぽ抜けないように、俺はモンキーレンチをギュッと握りしめた。