婚約破棄されたのですが殿下とヒロインの様子がおかしい
名前変更しております
グラウディア→グラウス
「もう、耐えられないんだっ」
泣きそうな顔で殿下が零した言葉を誰も止められない。
真っ黒な髪に真っ黒な瞳のグラウス第二皇子。アリシアは自分の婚約者である彼がその腕に抱く者をじっと見つめた。
「アリシア…僕は君との婚約を破棄して愛しいルニアと婚約を結ぶっ!」
そう言われて思わずアリシアは自分の耳を疑った。婚約破棄されたことも衝撃だがそれ以前にグラウスの抱きしめている桃色の髪にオレンジの瞳の美しいルニアをまじまじと見る。
(どうみても、あれよね)
アリシアは前世でこの世界を見たことがある。とあるゲームの世界だった。何のゲームだったか忘れたし、そもそもやり込んでいないのでぼやっと私が悪役令嬢であるアリシア・アーズという役柄だったのと、ヒロインの名前がルニアという娘で、攻略対象である婚約者がこの婚約破棄をしたグラウスだということしか覚えていない。
選択肢とか、好感度とか、一回やって覚えられる人いるの?がアリシアの言葉であり、開き直ってもいた。
どうせこの世界で生きるのならゲームだなんだと気にするだけ無駄な気がしたし、特に思入れの無いキャラばかりだった。
だけど流石にこれは予想してなかったというか、どうしてこうなってしまったのだろうとアリシアは目の前の光景を信じられない気持ちで見る。
周りを見回しても当然と言った顔でアリシアを見下しているがそれよりももっとツッコむべき場所があるし、本気で誰一人気付いてないのだろうかと周りの正気を疑った。
「なんとか言ったらどうだ、アリシア」
「…言ってもよろしいんですの?」
「ふん、どうせ今更謝罪しても許されないが、発言を許す」
アリシアは思わず半目になる。
この期に及んで謝罪をすると思っているこの王子本当に第二王子でいいのだろうかと気にしても仕方ないところが気になった。
「では、言わせてもらいますが…」
言いづらそうにアリシアが口を開く。そもそもアリシアは別にヒロインをいじめたこともなければ謝罪する理由も無い。
泣きそうに言い放ったグラウスは絵になっていたし、その腕に抱かれるルニアともお似合いだ。
ゲームの時では散々アリシアの悪行を語り、陛下直々のサインのされた婚約破棄の書類を叩き付ける場面だが、そんな行いなどしてないのでただの好みの問題となったのか書類はないし、先程のグラウスの発言にアリシアの悪行を説明する言葉は無く、ただ耐えられないと言うのみだった。
「本当にルニアさんとご婚約なさるのですか?」
「勿論だ、今更なんと言おうと──」
「そもそもルニアさんのご許可は得ているので?」
物言わぬ静かにアリシアを見つめるルニアからそろっと目を逸らし言い放った言葉にグラウスが唖然とした。
「…ルニアと私は愛し合っている、何を言うかと思えばそんなことか」
「では、ルニアさんにお答え頂いても? 婚約というのであれば婚約式が必要でしょうからこの場でしては如何でしょうか? 丁度この場に司祭様もいらっしゃることですし」
端っこの方でビクついていたやたらと見目の良い司祭に目を向けたアリシアは気付いた。司祭もどうやら気づいてしまった側だと。
「…いいだろう、ルニア…この性悪女に見せてやろう、真実の愛をっ!」
誇らしげに胸を張るグラウスにアリシアは「誰が性悪女だ、誰が」と怒鳴り散らしかけて飲み込んだ。
良く考えれば確かにグラウスが好みじゃなかった事もあり優しく接したことは無かった。というか辺境伯であるアリシアの父親と深く縁を繋ぎたいという国王たっての願いでこの縁談は組まれたはずなのに、なぜ私が文句言われたのだろうと少しやるせなくもなる。
自分だって好みの男と恋愛をして結婚をしたかった。それをこんな男に振り回されて、なぜこんな面倒事に巻き込まれているのだろうか。
「…」
物言わぬルニアにグラウスは頬を赤らめ愛を囁いているのをじぃっと見つめる。司祭が関わりたくなさそうに頬を引き攣らせアリシアに視線を必死に送っているが、本人は気にしないことにしたらしい。司祭の方を見ずにどうしてもツッコミどころ満載な光景をぼんやりとした思考のまま見つめていた。
「さぁ、司祭!」
「…世界神マロイス様に華々しい門出を約束する若き恋人達よ、神の前にその誓いを捧げますか? 」
「捧げる!」
「…」
諦め死んだ目で司祭が問いかければグラウスは目を輝かせ、ルニアは無言で真っ直ぐと未だにアリシアを見ている。
「…」
「…」
しばしの無言の後グラウスが何も言わないルニアに視線をやる。他の野次馬もそれに倣ってルニアを見る。
司祭とアリシアの心の中は一つになる。
(やっと気づいたのか?)
(やっと気づけたの?)
「流石、ルニア…紡ぐ言葉まで愛らしい…」
それもすぐ裏切られる羽目となってしまったが。
再び死んだ目をする司祭とアリシア。ここまで来ると恐怖だし、何が聞こえているのか周りの野次馬達も歓声を上げ拍手をしている。
「アリシア、見たか! これが真実の愛だ!」
「…真実の愛とやらは言葉にせずとも言葉が聞こえるのですか?」
「何を言っているんだ?」
((お前が何言ってんだよ))
きょとんと純真無垢な顔でグラウスが首を傾げ、司祭とアリシアは再び同じ感情に襲われる。
言ってしまおうか、でも口に出すのも怖い。というかこの集団が怖い。
アリシアが司祭に目を向ける。言ってくれないか?つっこんでくれないか?という祈りに近い視線に司祭は流石に若い女性に指摘させるのもと嫌な気持ちを抑えて口を開いた。
「…その、グラウス殿下」
「なんだ?」
「ルニア様…は、その」
「…やらんぞ?」
「心底要らないっ…じゃなくて、あー」
神に祈りを思わず捧げながら冷や汗たっぷりで司祭はとうとう確信的な一言を吐き出した。
「…ルニア様は、亡くなっていませんか?」
「は?」
食い気味のグラウスの声に司祭とアリシアは思わず後退り悲鳴をあげる。見てはならないものを見た気がする。
「司祭、何を言っているんだ」
「ななな、なんでも、なんでもありません」
「ぐ、グラウス様、司祭は悪くありませんわ、どう見てもルニア様は亡くなって居るようにしか見えないもの!」
逃げ腰の司祭に我先に距離をとったアリシアが援護の言葉を送る。
グラウスの視線がアリシアに向けられる。虚ろにも見えるグラウスと完全に視線が定まらず、真っ直ぐ瞬き無く前を見るルニアになんのホラー映画だとアリシアは心の中で叫んだ。
「ルニアはここにいる」
「だから、そのルニアさんは死んで…──」
「死んでなどいない!!!」
叫んだその声を聞いて、その顔を見て、彼女は気付いてしまった。グラウスがルニアが死んだことを知っていてなお、愛を囁き、恰も生きている様に振舞ったのだと。
改めて野次馬達に視線を向けてみて彼らの目の焦点が合っていないことにも気付いた。睨んでいるからとあまり見ないようにしていたのが気付くのが遅れた原因だった。
「…司祭様」
「…すごく聞きたくないのですが」
「そうも言ってられなそうです」
「ですよね」
肩を震わせ強くルニアを抱きしめるグラウスにアリシアは何度言えない気持ちになる。真実の愛とやらなのはわかったのでその抱きしめる力をどうにかして欲しいし、遺体は速やかに家族に返すべきだと思う。
「…そもそも、なんで彼女は亡くなっているんでしょうか?」
「見た限りお亡くなりになってからそんなに時間は経っていないようですが」
「…じゃあ今日? 外傷もない様ですけれど…」
「痴情の縺れじゃないですか?」
「今縺れてるのは私とグラウス様で、グラウス様とルニアさんではありませんよ?」
こそこそと司祭と話すアリシアを見てグラウスは叫んだ。
「お前はいつもそうだ…!僕の事をいつも馬鹿にしてっ」
「馬鹿にしてたんですか?」
「…否定はしませんが、実際ちょっとアレな人でしょう?幼い時はまだ可愛げがありましたけれど、成長してもこのままな事に陛下もご苦労なさっているようですし」
見る度に白髪の増える義理の父予定の陛下を思い浮かべると可哀想だなと他人事のように今でも思う。実際こんな事態になったのだから他人事ではあるが、一応目の前で発狂している人物は皇太子の次に王位継承権があるため、一概に他人だからと切り捨てる訳にもいかなかった。
それは王都の神殿の司祭も同じこと。
二人揃って頭を抱え込む。
「ルニアと僕は結ばれるんだ…っ!」
「物言わぬ死体といつまで一緒にいれると思ってるんです、今は人の形を保ってますが時が経つにつれ腐って…」
「ルニアは腐らない!」
「…そんな無茶な」
頑張って現実を見させようとしたが、恋は盲目と言うからか一切現実を見る気は無いようだ。思わず素が出るほどアリシアは呆れていたし心底恐怖した。
「司祭様、司祭様、あれって悪魔付きとかそういうのでは無いのよね?」
「…そんな様子はないね、周りの人もどうやら精神汚染を受けているようだ、あ、勿論発生源は殿下だよ」
「嬉しくない情報をありがとう」
アリシアは魔法が得意で魔力も多いのは自負している。だが、元々の性格が大雑把なので精神系の類には手を出すなと辺境伯である父親からよくよく言い聞かされていた。
「下手に精神系統に手を出すと相手の脳みそが焼けるからな」とご丁寧にもししてしまったらどうなるかまで言い聞かされていた。
「司祭様は何か出来たりしませんか、ほら神の祝福とか祈りとかで浄化とか…」
「人の業にマイロス様が関与するはずないでしょう、想像するだけでも──」
「長くなりそうなのでもういいです、とりあえず何も出来ないということですね」
「…むっ 」
不貞腐れる司祭に大袈裟に溜息を吐いてみせて、アリシアはどうしたものかと眉間に皺を寄せる。
「…な、なんだ、何か言いたいことでも…」
「…眉間に皺を寄せるだけで過剰反応されてますが今まで何をしたんです?」
「グラウス様がやらかす度に呼ばれますので、その度説教と少しばかりの罰を」
まさかの王族に罰を与えたというアリシアに司祭は後退る。
「私だって好きでした訳ではありませんっ!王妃様が命をかけて産んだ末っ子で上の兄弟から歳離れて生まれたからと猫可愛がりしてろくに叱りもしなかった陛下が悪いのです!」
「アリシア様、とりあえず声を抑えて、精神汚染受けているとはいえ人の目が…っ」
司祭に宥められるもアリシアは止まらない。なんだかイライラしてきたようだ。
「幼い頃からろくに勉強もせず、好き勝手にイタズラするし、おやつの時間も守れず間食ばかりして!」
「うっ」
「私に怒られるからと止めるのではなく逃げてばかり! 今回だってそうです! 私と結婚したくないからと真の愛だ何だと宣って、何故か亡くなってるルニアさんを抱きしめて狂言吐いて…!」
「ルニアは亡くなってなど…っ」
「亡くなってないと言い張るんなら一回脈でも測ってみろやぁぁぁぁぁぁああああ!!!」
怒りのままに叫ぶアリシア。変なもんつついてしまったと絶句する司祭。完全に怯えきったグラウス。物言わぬルニアと周りの野次馬。
混沌とした空間に、次聞こえてきたのは泣きじゃくる声だった。
「し、死んで…ない、ルニアは僕を見捨てたり…ひっく…しな…」
「うわぁ、泣き出したよこの王子」
司祭が小さくぶっちゃける横でフーフーと荒い息を吐き出すアリシア。
怒りとともに放出された魔力がアリシアの美しい琥珀色の長い髪をゆらゆらと踊らせる。
「泣いてどうなるのですっ!」
「…っ」
「死んだ者は生き返りません、例え生きているように装い、周りにそれをしいたとしても変わりません」
「ぅ」
「真実の愛だとおっしゃるのであれば亡くなった愛した人を静かに眠らせてあげなさい」
言って聞かせるアリシアにびくびくと泣きながらルニアを見るグラウス。それを遠目から見ながら司祭はぼんやりとその光景を見つつその関係に名前が浮かぶ。
(婚約者というより母では)
母を生まれた時に無くしたグラウスはアリシアに甘えていたのだろう。婚約者としてでは無く母として。
よくよく考えればグラウスもまだ17歳である。反抗期が来たのかもしれないなと思いつつアリシアを見て、いや、彼女も同い年だったなと司祭はどこか遠くを見つめた。
「分かったら脈を測り、現実と向き合いなさい」
「…はい」
「脈はっ」
「…ありません、呼吸も…な…うぅ」
「はぁ、で、どうして彼女は亡くなったの?」
グジグジと涙を拭いながらグラウスはぽつぽつと話し出した。既に先程のような鬼気迫る狂気はなくなっている。
「……今朝迎えに行ったらドレスを着たまま亡くなってたんだ」
「ドレスは一人で着れないでしょう、メイド達がいたのではなくて?」
「居なかった、ただソファーで目を開けたままで…」
グラウスが殺した訳では無い様だとほっと息をつき直ぐにアリシアは考えを巡らせる。
ドレスを着たままで亡くなっているルニア、着せたメイド達はおらず、一人でソファーに座る。
その光景を頭に浮かべながら、とある考えが浮かんだ。
「ねぇ、机の上に紅茶とかはなかったの?」
「…なかったが」
「メイドはどこのメイド?王宮?」
「ルニアの実家の男爵家から来たメイドだ、古くから仕える者だと紹介を受けた」
ルニアの実家は、陛下にちゃんと忠誠を捧げる良識ある家で、当主も頭が良く周りを気にかけるのに長けた人物だとアリシアはルニアについて調べた際に知っていた。
ドレスでソファーに腰掛ける事は出来るだけ避けるはずだ。せっかく着せたドレスにシワができてしまう可能性もある。ドレスにシワを寄せないタイプのイスでもなく、ソファー。
聞いた限りだと机も備え付けてあるものだ。お茶会等ではドレスでも座ることはあるがパーティに適したドレスとお茶会に適したドレスは別である。
ならばとアリシアが口にするのはなんともやるせない答えだった。
「グラウス様」
「…なんだ」
「グラウス様の行動で彼女は亡くなった様です…いえ、彼女と貴方の行動の結果でしょう」
司祭とグラウスが首を傾げるのをアリシアはなんとも言えない顔で見て、ゆっくりと噛み締めるように想像を語った。
「私とグラウス様の縁談は陛下自身が望まれたものです、他国から攻められた時に真っ先に対応する辺境伯との縁繋ぎ…政略的意味合いが強い婚約です」
「…だからなんだと」
「ルニアさんのお父様であるハーロック男爵は陛下への忠誠心がとても高い方です。周りを見ることに長け、爵位が低いながらも陛下に懸命に仕えています」
気付いてくれと思うのにアリシアの気持ちも男爵の気持ちも知らずにいるグラウスにほとほと呆れてしまった。
「ハーロック男爵が娘に毒を飲ませたのでしょう」
「…っは?」
「あっ」
司祭は分かってしまったのだろう。そんなまさかと顔色を悪くしていた。
「ハーロック男爵はこの婚約の重要性を理解していた。なのに婚約破棄をさせる原因を娘が作ってしまった。幸せそうに殿下と婚約するとルニアは男爵に手紙を出したのでしょう、メイドの手を借りるために」
「…嘘だ」
「婚約破棄が行われては陛下の望みが叶わない、しかも自分の娘が殿下と愛し合ってしまったがために…苦渋の決断だったのでしょう。公になる前に、婚約破棄が起こる前にとメイドに毒を持たせた。…きっと優しく微笑んでいることから苦しまず逝ける様に高い毒を用意して。ルニアさんの好きな紅茶に混ぜて、怖がらない様に顔なじみのメイドにその役をやらせたのでしょうね…証拠など何も無いけれど」
「そんな、馬鹿なことが…馬鹿なことがあるわけないだろ…」
顔を真っ青にさせるグラウスにアリシアは少しゲームの中の婚約破棄のシーンを思い出す。二人は心底幸せそうに笑い、悪役のアリシアは悔しそうな顔をする。
ゲームの中のアリシアは殿下を支える点において行動が良くなかった。だから、ゲームでは陛下が作った書類を持って婚約破棄がされた。
男爵にとって陛下の邪魔が許せなかったのだろう。彼は確かに忠臣といえる。父親としてでは無く忠臣として自らの娘を切り捨てたのだ。
「ルニア…」
「…結局貴方は周りが反対する理由にも目を向けず逃げた、今までと同じように逃げて、逃げて…そのせいで彼女は亡くなったのだと思うわ」
「愛してると…愛してると言ってくれたんだ、彼女はっ」
ただ幸せになろうとしただけなのにとグラウスはルニアの亡骸を抱きしめて泣きじゃくる。その光景はまるで映画のエンディングの様で美しく、残酷だった。
「ルニア…ルニアっ」
真実、グラウスはルニアのことを愛していたのだろう。ルニアと共に生きることを糧としていたのだろう。
泣きじゃくるグラウスはまるで生きるのを拒むように正気をとうとう手放した。
「…結局最後の最後まで逃げたのね」
壊れたようにひたすらルニアの名を口にし涙を流すグラウスにアリシアは悲しそうに目を伏せる。
全てを見て聞いていた司祭はなんと声をかけていいのか分からず、おろおろとその場で手を上げたり下げたり繰り返していた。
─────────結局、グラウスが病にかかったとして正式に婚約破棄という流れになった。
「無事でよかった…」
アリシアは父に抱きしめられた腕の中で少しだけ後悔した。
もし、グラウスにもう少しでも気を使っていればこんな悲劇は起こらなかったのではないかと。
そして、結局娘を失い、婚約破棄をさせる原因となってしまった男爵が遺書を手に亡くなっていたのを男爵家に仕えるメイドが発見したのだと父から聞いてなおアリシアは深く深く後悔をした。
「…お前のせいではない、思い詰めるなよアリシア」
「えぇ、お父様」
頷きながらも前の明るさを無くしてしまったアリシアを心配する父の元に一人の人物が訪ねてきた。
「アリシア様」
「…あら、司祭様じゃないの」
「何やら気落ちしていると聞きまして、遥々やってきました」
「御苦労な事ね」
「アリシア様はもうご結婚はなさらないのですか?」
「さぁ…お父様次第ね」
力なく笑うアリシアに司祭は言いづらそうに、けれどグッと腹に力を入れて声をだす。
「婚約の申し入れを致しました!」
「…え?」
唖然としたアリシアに司祭は困ったように笑った。
「殿下の件で穏便に済ませなかったことで責任を取らされまして」
「…でも今司祭服を来てるじゃないの」
「これは私服です」
「私服…」
涼やかな藍色の髪に瞳を持つ司祭はゆっくりと跪いてソファーに座るアリシアの手を取って笑う。
「無職ですので婿入りも可能です」
「…」
「あの日の貴女が素でしょう?その素の性格も好ましいですがなんだかんだ言いつつお人好しな所につけこもうと思いまして…辺境伯はアリシア様が受け入れるならばとお答えくださいました」
アリシアは少し戸惑い視線を泳がせ軈て息を吐き出した。深く長い溜息の後、仕方ないなと微笑む。
「つけ込むなんて、最低ね?」
「そうでもしないと受け入れてくれなそうですし、ハッキリと申し上げた方が受けも良いかなと…」
「ふふ…良いわ婚約してあげる、でも…」
「でも?」
「貴方は逃げてはダメよ」
「…申し込んだの早まったかなぁ」
真っ赤な瞳を細め悪どい笑みを浮かべるアリシアに司祭は顔色を悪くして、ぽつりとそう零した。
アリシアとクレスはその後一年の婚約を経て無事に結婚式をあげ、貴族界でも有名なおしどり夫婦として広く名を知られることになる。
グラウスは塔へ幽閉となり、ハーロック男爵とルニアが眠る墓地にはアリシアとクレスが足繁く通い、花の種を撒き、二人が結婚式を挙げた頃には美しく咲き誇る花畑が生まれたのだった。