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3.奴隷確保

 私はもう、ダメかもしれない。


 昏い気持ちが胸を満たす。

 人間、お腹が減っているとネガティブになるという話がある。だから、そうなのかもしれない。もう何日もご飯を食べていなかった。お風呂にも入れていない。睡眠も満足に取れていない。体が弱っているから、心が弱っているのかもしれない。


 ただやっぱり、冷静に。

 何の曇りもなく己の現状を省みれば――――もうダメなのだろうと、どうしたって思ってしまうのだ。


 私は今、よく分からないところに転移されている。


 ほんの数日前までは、仲間たちと一緒にいたのだ。

 頼れるパーティーメンバーだった。私より力持ちな人や、頭の良い人、気が利く人。それなりに長い時を共に過ごした彼らとは掛け値なしに信頼関係を結べていたし、優しい心に幾度となく励まされたこともあった。だが、それは数日前までの話に過ぎない。


 あるダンジョンを攻略中に、私だけが穴に落ちた(・・・・・)


 この世界には極稀に穴があく。

 それはもう穴としか形容しようがないものだ。いきなり地面にぽっかりと、黒い何かに満たされた空洞が広がる。それは全世界のどの場所にでもあくものと言われているが、しかし極稀と言うのは本当の本当にレアなお話で、それを見たという人間は私の知る限りでは存在していない。


 穴に入った者は死ぬだとか、魔王城に飛ばされるだとか、体がぐちゃぐちゃになるだとか。

 そんな話は嫌というほど聞いた。酒場のほら吹きや、吟遊詩人の語り話によくある導入だ。

 穴について詳しい話がないのは、そこに入って出てきた者がいないからなのだという説もある。そんな感じで、誰も穴について知らないからこそ根も葉もない噂ばかりが飛び交って、言うなれば伝承や御伽噺にしか存在しない与太話だとタカを括っていた。


 まさか自分がその当事者になるとは思いもよらなかったのだ。


 そして穴の中は、彼らの話す通りだった。


 見たこともない敵がわんさかといる。

 しかも物凄く強いのだ。私たちが今まで相手をしてきた難敵と同等の存在が平然と群れをなして生息している。


 環境も劣悪の一言に過ぎる。

 およそ人間の生きていける場所ではない。普通に進むだけでも苦しいし、何より食べ物が一切存在しないのが痛かった。


 それに何より、ボスだ。

 一般的なダンジョンと似たような造りの穴だが、ボスの強さが桁違いである。

 長い長い道のりを超えて大きな扉を開けると、それこそ恐ろしいまでの強さの魔物が現れる。

 何度も何度も撤退を繰り返しつつ作戦を考えて攻略してきたが、どうしようもないぐらいに強かった。これまでの戦いで私の手札はもう枯渇してしまったと言っていいだろう。


 そして、どうやらこの穴には終わりがない。


 いや、もしかしたらあるのかもしれない。

 けれどもう限界だ。手札は全て切った。しかしゴールが見えてくる気配はないし、そもそも今いるこの階層の道中を攻略できない可能性だってある。


 飾らず言おう、無理だ。

 今の私では、この階層すら攻略できない。


「…………」


「く……ッ!」


 絶望に等しい感情を抱きながら、それでも剣を振る。

 物言わぬ鎧と数度打ち合い、その首を刎ねる。鎧は何も言わずに崩れ落ち、後にはその残骸だけが残る。


 この階層に生息する魔物は、不死鎧(リビングデット)もどきだ。

 西洋甲冑がそこかしこを歩いており、彼らは一様に剣と盾を装備している。

 こちらを見つけると音もなく近付いてきて、似たり寄ったりの凡庸な剣術で襲い掛かってくる。


 敵としては雑魚だ。

 少し硬いのが難点だが、首を刎ねれば倒せるという弱点もある。どの敵も同じ見た目で同じ行動しかとらない。今までの階層の敵に比べれば弱いと評する他ないだろう。


 だが、数が多かった。

 一部屋につきおよそ十体前後が湧いてくる。数体を倒すと魔法陣が現れ、次から次へと補充されてくるのだ。

 補充は一応限度があり、規定数を倒すと湧かなくなるため休むことはできる。しかし長時間同じ部屋にいるとまた魔法陣から鎧が湧いてきて、音もなくこちらの寝首をかいてくるため休むことができない。


 そしてもう私は二十部屋ほど、この階層に来てから通っている。

 しかし一向に前へ進んでいる感覚がない。部屋の形は違うし、一度来た部屋には目印を打ってある。だからこそ、違う部屋を二十も過ぎて未だに何の変化もないというのは……その、心にクる。


「挫けるな、挫けるな……」


 弱気な心を奮い立たせるべく声を出すが、限界だ。

 こんなことをもう幾度となく繰り返してきた。数えきれないほどの励ましの言葉は既に中身が空っぽで、形だけの紛い物になってしまっている。


 暗い部屋に、大層な装飾のなされたダンジョン。

 石造りの回廊と柱に、節々を彩るは黄金の縁取り。動物や魔物、人の頭部の骸骨が展示物のように飾られ、壁にかけられた松明の灯りがそれらの陰を映し出す。


 悪趣味極まりない、手の込んだ階層。

 きっと魔王城かどこかに一人で転移してしまったのだと、私はもう諦めていた。


 私はきっと死ぬ。

 ふらつく頭と、力の入らない足を引っ提げて、それでも戦い方を覚えている身体が前へと進む。




―――――――――――――――




「なんだアレ」


 『ヘルヘイム』の道中をのんびり歩いていると、何やら見慣れない光景が広がっていた。


 ちなみに、クロノスは超便利だった。

 こいつの使う認識阻害の魔術とやらは大層な代物で、ここまでずっとフリーパスである。護衛兵共は俺たちに気付いた様子もなく、目の前で大声出して話していようが一切気付く様子はない。透明人間にでもなったかのような気分である。


 そんな俺たちの目の前では、一つの生き物が剣を振っていた。


 なんて言うか……疲労困憊というのが正しい生き物だった。

 見た目はボロボロだ。髪はぼさぼさで纏まりがなく、目には色濃いクマが浮いている。そこそこ立派な装備はどれも傷だらけであり、見える肌には血の裂傷が薄く奔っていた。


 足裁きも剣術も精彩を欠いており、目の焦点すら定まらない。

 その瞳には昏い影が落ちていて、希望の色が失われていた。


 この世のどこかに生息するという『亡者』だ。

 俺はそいつを見た時真っ先にそう思ったのだが、しかし隣のクロノスが面白そうにその生き物を評した。


「驚いた。加護持ちの人間だね」


「人間……あれが人間か。なんだ、俺たち神とそう変わらない見た目をしているってのは本当なんだな」


「エレってば地上に行くつもりなのに人間も知らなかったの?」


「勘違いすんな。俺は地上に行きたいんじゃなくて地獄から出たいんだよ」


 そもそも地獄には人間なんていない。いるのは元人間達だった、魂だけである。

 書物などでは幾度となく人間については触れてきたし、俺も地獄王ハデスの一人息子としてそれなりの教育は受けてきた。だが実物を見るのはこれが初である。


 俺たちはその生き物――――もとい、人間をじろじろ眺めながら話し合う。

 距離的にはすぐ隣だ。フラフラの人間が戦っているのを、隣で何もせずに見学している。あ、断じて嫌がらせとかじゃないぞ。ただ単純に観察しているだけだ。


 瞳は紅、髪は金、肌は白。

 性別はおそらく女。どこぞの美の女神と奇しくも同じ配色をしていたが、魂は平凡だ。神でもないし、肉体があるということは罪人でもない。

 見た目は薄汚れている。洗えば整っていそうな気もするが、俺にはモノの美醜が分からなかった。


 宮殿にあるガイコツの骨董品を皆は褒めたたえるのだが、俺はどうにもゴテゴテしてキンキラしているあの内装を好きになれないのだ。

 代わりにと俺は自室に気に入ったものを色々置いているのだが、評判がすこぶる悪い。特に姉妹から嘲笑の的にされ続けてきた。

 故に、俺は俺のセンスに自信がないのである。いや俺は正しいはず。あいつらの目が腐ってるんだきっと。


 目で視て魂の色が善性であることも確認したので、おそらく人間なのだろうと納得をしつつ。


 そんなことをしていると、人間が限界を迎えて倒れ伏した。

 この部屋最後の護衛兵を倒して気が緩んだのだろう。

 人間はプツリと糸が切れたように動きを止め、大きな音を立てて地面に転がる。


「どうする?」


「どうするって……助けないの? エレは冷たいね」


 若干引いた目でクロノスがこちらを見てくるが、お前だって傍観決め込んでたからな。

 しかもコイツかなり面白がってた。笑顔で人間がフラフラになってるのを真横で見てたんだから、良い趣味してるぜ全く。


 正直なところ、俺にはこの人間を助ける理由がない。


 宮殿で地獄法に則った処理をしてもらうのが一番良さそうなのだが、それだと俺も宮殿に引き返すことになる。論外。

 じゃあ連れていくのかというとそれも論外。人間風情の魂が神の俺たちと足並みがそろう訳がない。足手まといだ。

 療養しようにも『ヘルヘイム』内に救護施設なんてものは存在しないし、俺は治癒の魔術の心得を持たないため治療も不可能。打つ手なしである。


 結論、


「殺した方がよくね?」


「ヤバいこと言うね」


「いや……ここで死ねば『魂門』行きだろ? そうすりゃ自動的に宮殿に辿り着ける。後はまぁ父上が裁くわけだけど、善性の魂なら受肉して地上送りか、死亡扱いでも天界送り、どんなに酷くても十級罰だ。それがベストだろ」


「わぁー……倫理観凄いねエレ。これが冥王の息子かぁ……」


「次俺をあのクソ野郎の息子扱いしたら引き摺り倒すぞ」


「こっわー。はいはい分かりました」


 ふざけた態度でイエスを返してくるクロノス。

 お前本当に次はないからな。


 殺すという提案をしたものの、俺はその手段を取る気はなかった。


 ほっとけば死ぬからだ。次に湧いてきた護衛兵が寝ているこの人間を処理してくれるだろう。

 俺が手を出すと、死因から宮殿側にバレる可能性があるのだ。『魂門』に送られた魂はその全ての過去を資料として残す。そこに「殺された理由:エレボスによる刺殺」とか書かれた日にはお手上げどころの騒ぎじゃなくなるからだ。


 まぁ苦しむことなく死ねるという点においては俺が今ここで手を下すべきなのだろうが、今の俺にその余裕はないわけだ。

 起きた後襲われて殺されたり、護衛兵の稚拙な剣技で手際悪く死ぬかもしれないが、不運だったと諦めてもらう他ない。


 俺は人間を見捨てて先に進むことにする。


「でも、勿体なくない? 連れて行こうよ」


「うちでは飼えねえんだわ」


 が、どうにもクロノスは気に入ったらしい。仲間に入れたいと言い出した。

 野良人間を連れていく余裕はないって分かってんだろうが。荷物持ちも奴隷もノーセンキューなのに、どこにそんなに連れていきたい理由があるんだ。


「人間だろ? どんだけ強いか知らんが、神の管理下の生き物が俺たちについてこれる訳がない。足手まといはいらねえし、興味で飼いたいなら今すぐ連れて一緒に深淵に戻れ」


「いやいや、エレってば人間扱い雑過ぎるでしょ。そうじゃなくて、この子戦力になるよ?」


「だから、人間と神じゃ魂の格が違うだろうが。お前そんなことも知らねえの?」


「加護持ちでも?」


 加護とは、主に上位存在が他者に与えることが出来る権能のことである。


 基本的に神が神に友好の証や贈り物として与えたり、親神が子神に与えたり、そもそも神であれば生まれた時から授かっていたりするものを加護と呼んだりもする。

 多くのものはプラスに働くのだが、中には悪神がばら撒くマイナスの加護である『呪い』も存在しているとの噂。ちなみに地獄神たちはこの呪いを与える者が多いため、俺はあんまり加護にいい思い出がなかった。


 というか、そもそもの話、加護はちゃっちいモノばかりだ。

 地獄にくる魂の中にも加護持ちはたまにいる。だがその全てがゴミのようなものである。天の主神ゼウスより加護を授かっている奴を見たことがあるが、それでも『運命の加護』という微妙なものだった。いや、結構大層な権能ではあったが、戦闘能力という意味ではクソの役にも立たない代物だった。


 率直に言えば、加護持ってても神より遥かに人間は弱い。

 戦闘という面で役に立たないのである。


 そもそも加護持った程度で神と同じ域に達せるのなら、神も加護なんて与えねえよ。家畜に玩具やってるようなもんだろ人間の加護なんて。

 珍しい加護を持ってるにしても、俺が欲しいのは脱獄のパーティーメンバーなのである。神と同じ性能の戦闘メンバーが欲しいのだ。珍しいだけの藁人形なんて必要ない。


「……なんか面白い加護でもあったのか?」


「面白いっていうかー……てか、エレは加護は視えないの?」


「視えねえな。まだそこまで見通したことねえし」


 あまり使っていない権能なのである。

 地獄のメンツは視飽きたし、罪人の魂を一々視るのは悪趣味というか無作法だ。

 新しいモノを沢山見ればこの権能も成長するはずだが、まぁどうでもいい話だ。


「で? 珍しい程度ならマジでいらんぞ。連れ帰るのは自由だが、俺に迷惑かけんなよ」


「いやいや、そうじゃなくて。この子珍しいだけじゃなくて、戦闘系の加護も沢山持ってるよ?」


「塵も積もれば山になるが、俺が欲しいのは大山だ。加護ごとき幾らあっても人間じゃ神には届かねえって」


「二百ぐらい加護あるけど?」


「……」


 二百ってなんだ?

 何かと間違えてないかと思ったが、こんだけ繰り返している話の内容をクロノスがわざと間違えるわけがない。顔で聞き返すが、マジのマジで冗談ではないようだ。


 ちなみに俺が記憶している中で一番加護を多く持っていた、生前高名な神職の魂が加護六である。


 二桁どころか三桁は流石に前代未聞……というより、俺の権能や加護すら圧倒的に上回っている。塵も積もればとは言ったものの、そこまで行くと俄然興味が湧いてくる。


「戦えるのか?」


「戦神アレスの加護が幾つかあるし、他の加護も戦闘系のものが多いね……うわっ、アルテミスの『弱点の加護』がある! これ神殺しにも悪用されたから人間には渡されないはずなのに……凄いね、上位加護のオンパレードだよこの子」


「ほう……」


 書物でしか知らないが、戦神アレスと弓神アルテミスの名は知っている。どちらも高名な天界神だ。

 加護周りについては詳しく知らないのだが、しかし天界神から加護を得るのは並大抵の所業ではない。地獄の魂を腐るほど見てきた俺だ。流石に目の前の人間が有象無象の罪人とは違うことを理解する。


「そもそも『ヘルヘイム』まで来れる人間って時点で有用じゃない? さっきまでの動きは確かに酷かったけど、それも疲労してたからだろうし」


「……そう言えばそうだな。この人間、地上からここまで抜けてきたのか? だとしたら門番達をどうやって切り抜けてきたんだ?」


「……どう? 気にならない? 何か有益な話も聞けるかもしれないし」


 地獄は双方向からの出入りを拒絶している。

 地獄から出ようとする者を拒むと同時に、地上から地獄へと迷い込む者も拒んでいるのだ。地獄法にも書いてある。


 つまりこの人間は異分子中の異分子。

 地獄最下層の『ヘルヘイム』にいる時点で、並々ならぬ力量の持ち主であるという見方もできる。


 そうと決まれば話は早い。

 俺は汚れた人間を背中に担いだ。汚いものを持ちたくはなかったが、クロノスはこういうのやらなさそうだから仕方なく俺がやってやる。それくらいの価値はあると判断した。


「クロノス、治癒魔術は使えるか?」


「特級まで収めてるよ。任せといて」


「よし、行くぞ」


 俺は『ニヴルヘイム』へと続く道を少し外れ、泉のある部屋へと進路を取ることにした。


 しかしお前、治癒魔術使えるのに放置してたのな。

 マジで良い性格してるよ。

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