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星光記 ~スターライトメモリー~  作者: 松浦図書助
前編
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第16章 終わり無き終結 01節

 「諸君、ご苦労。」

 旭川の焼け焦げた大地で、そう告げるのは伊達幕府軍副司令のカナンティナント・クラウン中佐である。大和民族との混血となって久しいが、元々は英国貴族の祖を持つ白人種であった名残で、地毛は艶やかなブラウンであり、彫りが深めで目鼻立ちの整った美丈夫である。元々、シルバー大佐が軍才さえ見せなければ幕府の総司令候補であっただけに軍事的手腕はなかなかのものであるが、得意分野が兵站や後詰であり、政治や権謀術数といった華のない分野で力を示してきた事や、その自己主張の少なめな性格から、一般国民の人気は今一つである。だが、軍においては彼の将校からの信頼は抜群であり、今此処に居並ぶ士官達は彼の指示を待っているのであった。

 「既に敵主力は撃退した。これより掃討戦を実施する。陸軍はバーン少佐が率いて北海道の残存敵兵力を殲滅し、または捕虜として捕らえよ。ニッコロ大尉については別途用件を伝える。」

 つまり掃討戦である。基地を攻略し安全に機甲部隊、歩兵部隊を揚陸した幕府軍はハーディサイトのフィリピン軍の掃討を始めている。いかにサイクロプス隊がいたところで、最終的には戦車や歩兵で虱潰しに潜伏している敵兵を駆逐しなければ戦は終わらないものだ。

 「了解したぜ!」

 当然、陸軍軍団長としてそれを理解しているバーン・フルーレ少佐は、その任を快諾する。普段であればニッコロ大尉を補佐官に置くパターンが多いが、掃討戦程度では彼の知才は必要はない。

 「続いて、防衛軍はバイブル少佐が率い、石狩および苫小牧、函館の防衛に回れ。陸軍の集めた捕虜についても防衛軍が預かり、苫小牧に収容施設を用意してそこに監収せよ。」

 「承知しました。」

 ヘルメス・バイブル少佐に与えられる任務は、基本的に従来からの防衛軍の任務である。

 「女神隊と遊撃隊はヒビキ中尉とマール中尉が率いて釧路に向かえ。釧路到着後は現地のスターライト少佐に従い、釧路軍港の復旧ならびに兵舎等の用意を帯広一帯に行うように。いずれは東南アジア戦線に向かう事を考えれば、同地での準備が好ましい。直ちに作業を開始せよ。」

 「承知。」

 「りょーかい!」

 女神隊は釧路防衛用ではあるが、遊撃隊は多く工兵としても機能している。機体自体への改修及び、教練ついてもそれら一通りの教習が行われている。決定打としての戦力にはなり難いが、汎用的に遊撃部隊を運用するための軍であるからだ。

 「さて本題である。イシガヤ少佐に命じる。直ちに伊吹級戦闘航空空母三隻を率いて成田空港を占拠し、新江戸城の今上陛下に圧力をかけよ。陛下の玉体に傷をつけること能わず、新江戸城を陥落させても良い。ともかくケネス・ハーディサイトの蝦夷鎮守将軍職を解任させれば良い。裁量は任せる。配下にはオニワ大尉、ニッコロ大尉、クスノキ中尉をつけ、サイクロプスは女神隊以外の各軍から引き抜き、150機を編成せよ。その他戦闘機隊は60機とする。本件は最重要事項であるから、必要に応じて援軍は呼ぶように。」

 この作戦は特に重要な作戦である。幕府軍の行動を正当化させるためには、ケネス・ハーディサイトの蝦夷鎮守将軍職が邪魔となる。北海道をその領土として確保するためには重要な要件であった。

 「了解した。陛下に弓を引くような事であるから、確かに最重要過ぎる。」

 その任務がイシガヤに与えられるのも理由はある。彼は朝廷の官位としては太政大臣として幕府最高位であったからだ。

 「遅くとも二時間以内、できれば一時間で出陣せよ。」

 つまりは、タキ中将が手元の軍を再編成する前に成田を抑えろ、とのことである。



 「凪仁陛下!伊達幕府軍の航空戦闘空母氷月、飛世、飛鳥、この江戸城に向かってくる様子です!」

 伊達幕府軍の旭川奪還の報からまだ一刻と経っていない。その中で受けた報告は、幕府軍の戦勝祝いなどの報告ではなく、伊吹級空母がこちらにに向かってくるという報告である。この伊吹級は全長500メートルを超えながらも飛翔能力を持ち、その積載量は単艦で1個師団クラスの50機程のサイクロプス隊を運用可能であり、その他戦闘機隊と重装甲並びに対空迎撃兵器、そして艦首大型メガビーム砲を備えた護衛艦無しでも戦闘可能な強力な空母であった。

 「慌てるな。まだいくらか時間はあるのだ、至急皇軍を展開せよ。」

 サイクロプスが合計で150機程居るとすれば、伊吹級でそのまま新江戸城に接近された場合失陥の恐れがある。強力な防御力を有する新江戸城ではあるが、準備が整わなければタダの箱である。

 「陛下の仰せのままに!」

 凪仁天皇の率いる皇軍は練度も高く即応能力がある。一度も実戦を経験はしていないが、指揮官としての才能にも恵まれた彼の直属の軍であった。



 凪仁天皇が兵を兵を集める中、イシガヤは伊吹級氷月の艦橋で緑茶を飲んでいた。

 「…………イシガヤ少佐、ティータイムを邪魔して申し訳ありませんが、皇軍が新江戸城に展開中の様子です。如何なさいますか?」

 旭川攻略直後ながら、悠長にティータイムを始めたイシガヤを冷たい目で見ながら、そう述べるのはニッコロ・クルス大尉である。今回の作戦においては遊撃隊の他に陸軍のサイクロプス隊も投入されており、その指揮官としてニッコロ大尉が寄力として同行していた。

 「さもありなん。通達を出していないからな。」

 それに対して平然とそう答えるイシガヤ少佐に呆れながら、ニッコロ大尉続けて質問をする。

 「今からでも通信を?」

 「いや、このまま行こう。今上陛下であればわかるはずだ。ペルセウスを用意せよ。15分後に各サイクロプス隊、戦闘機隊発進準備。」

 イシガヤがそう部隊に指示を下す。総数でサイクロプス150機、旋風級小型戦闘機60機、つまり3個師団クラスの戦力であった。旭川攻略後の損傷した兵力ではあるが、それでも十分な戦力である。

 「目標は?」

 「成田空港だ。タキ中将には悪いが抑えさせてもらう。」

 新江戸城に攻め入ることを考えれば、成田はいささか遠い。だが、北海道から太平洋上を経由し攻め入ることを考えれば、その立地が適当であった。

 「侵攻直後はサイクロプス隊は3つに分ける。第一隊が俺、第二隊はオニワ大尉、第三隊はクスノキ中尉が指揮し、伊吹艦隊はニッコロ大尉がまとめ、サイクロプス隊と戦闘機隊の間接指揮を採れ。恐らく重大な戦闘にはならないだろうが、なった場合にはニッコロ大尉の腕の見せ所だ。頼むぞ。」

 「了解です。」

 総軍指揮を考えればイシガヤが残っても良いのだが、ペルセウスが戦陣に居るという事が大きい。彼を敵に回すという事は、幕府軍の少佐を敵に回す、というだけの自体よりも事は重大であるためである。



 「こちら東国鎮守府、成田防衛部隊のサトミ少佐だ。貴殿らの進駐は情報にない。いくら友邦の伊達幕府といえどもこれは侵犯行為である!」

 「その通りだ!」

 イシガヤ率いる軍勢が強硬に成田に接近する中、タキ中将配下の将から緊急連絡が入る。だが、イシガヤはそうあっさりと答える。

 「…………!?では撤退せよ。これは侵犯行為だぞ!」

 「……その通りだ!」

 「……!?」

 侵犯行為を咎められてそれをあっさり肯定するイシガヤに対し、サトミ少佐は困惑を隠せない。当たり前の話だが、同じく日本協和国に所属する伊達幕府と東国鎮守府が戦闘になることは想定されていないのだ。

 「こちらは伊達幕府執権、石谷太政大臣藤原隆信である。幕府軍はこれよりこの成田空港を占拠する。東国鎮守府の者と戦う気はないが、攻撃を受ければ応戦はする。直ちに退去するかそこで見ていろ。」

 イシガヤにそう言われたサトミ少佐は抵抗するか撤退するかを思案するが、現状維持が一番無難であると結論に至る。つまり軍を維持して幕府軍とのにらみ合いである。多喜将軍は現在北海道奪還作戦に合わせて青森に布陣しており、直ちに転進してくるとしても半日程度は掛かるだろう。忠義を示して戦うという選択肢もあるが、この駐屯地周辺のサイクロプス数は40機ほどに過ぎず、150機を展開している幕府軍に勝てる見込みもない。また、基本的には友邦であることから、これと不用意に開戦することは国益にかなわない可能性もあり、併せて幕府軍のこの150機を倒せたとしても、北海道、或いは木星にはまだ多数の兵力を抱え込み、総数を考えるととても勝てる戦力ではない。

 「東国鎮守府の軍は成田空港後方の2㎞に後退。伊達幕府との交戦では犬死する恐れがある、抵抗はほどほどに将軍の指示を待つぞ!」

 サトミ少佐が兵をまとめて後退を始める。もっとも、後退とはいっても成田空港の目と鼻の先だ。軍人たるもの、勝手に持ち場を離れるわけには行かないが、かといってここで抗戦するわけにもいかない。つまりギリギリの位置で待機するというのは、サトミ少佐もそれなりの人物であるという事である。

 「いきなり戦争になることは無さそうだな。戦闘機隊は一時帰還し、伊吹は港に降りよ。伊吹より砲兵装備を降ろし、各隊成田に陣地を構築せよ。目標は江戸城手前だ。」

 距離は概ね60㎞程度。現在幕府軍の所持する火砲の類は射程約50㎞程度。江戸城の主要火砲もまた同様程度の射程であり、ギリギリ互いに到達しない程度の距離である。

 「旗を掲げよ。」

 イシガヤが指示する旗は、雪仁親王から賜った錦旗である。成田空港の各所に、錦の御旗がはためきはじまる。それが何を意味するかと言えば、彼らは彼等こそが天皇家に認められた正規の軍である、という主張である。



 「陛下、石谷太政大臣の軍勢が錦の御旗を掲げたとの事。由々しき事態でございます。」

 幕府軍の動向は、当然ながら即座に凪仁天皇の下へもたらされる。

 「左様。しばらくすれば石谷太政大臣より通信が来よう。繋いで話だけ聞いておけ。回答はせずに良い。」

 「承りました。」

 およそ一刻。成田の布陣を整えたイシガヤより、新江戸城に直接通信が届く。

 「当方の要求を告げる。ケネス・ハーディサイトの蝦夷鎮守府将軍職解任である。手土産は用意した故、疾く我が前に道を開けよ。陛下の御前に参る所存。」

 「……陛下、如何なさいますか?」

 「先も申した通り、しばらく放っておけ。」

 「宜しいのですか?」

 「石谷太政大臣はミスをしたのだ。バカではあるまいし、理解し対応するまで放置しておけばよい。それ以外に朕が対応することは出来ぬ。」

 凪仁天皇はそう言い捨て、その愛機である「名無し」から離れる。純白のその機体はイシガヤの乗るペルセウスと同等クラスの性能を有し、「勾玉」と呼ばれる思念操作式のオールレンジ攻撃兵器、「鏡」と呼ばれる高性能な盾、「剣」と呼ばれる強力な実体剣を所持する美しい機体である。イシガヤが攻めてこようものなら、この機体で出迎える気であったのである。



 「御屋形様、動きがありませんね。」

 通告から既に3時間は経過するが、何の動きも無いままに成田に佇む状態に対して、オニワ大尉がイシガヤ少佐にそう言葉をかける。攻め込むにしても、既に皇軍は布陣されており、順次各地域にも兵が集まり始めているのだ。成田布陣直後ならともかく、このまま進めるような状況ではない。

 「失敗したかな。だがまぁ想定内だ。このまま待機する。ニッコロ中尉はいるな?」

 「居ますよ。どうかされましたか?」

 「クラウン中佐には援軍をよこすように伝えろ。サイクロプス1000機程は必要だとな。とりあえず頭数だけは揃えて欲しい。作戦は失敗で、第二作戦に切り替えだともな。」

 「了解。」

 「それで御屋形様、失敗とは?」

 オニワ大尉がそうイシガヤに尋ねる。この状態で作戦失敗というのも解せない話である。先の要求を伝える上で、他にいい方法でもあったとでも言うものか。

 「成田制圧直後と、現在の布陣を見て見ろ。今上陛下の方の布陣だ。」

 「……?つまりこれは…………」

 オニワ大尉の見る布陣図は、成田制圧直後から今までの凪仁天皇が動かした軍勢の履歴である。イシガヤ家の諜報力を以ってすれば、日本国内の情勢を把握するのは容易いことだ。木星と同様に多くのインフラにCPG社が絡んでおり、黒脛巾も多く浸透しているため情報はほぼ筒抜けである。

 「なるほど。」

 オニワ大尉がそして続ける。

 「新江戸城ですが、しばらくは僅か50機程度の直轄軍で守っていて、部隊の集結は静岡や新潟でしてから関東平野に引き入れていたわけですね。つまり、新江戸城はあえて防御を弱めにしていた、と。」

 「そのようだな。」

 「これは即時新江戸城に押し寄せるべきでしたね……。」

 凪仁天皇としては、押し寄せてくる無法者の伊達幕府を無条件で受け入れるわけにもいかないであろうし、ケネス・ハーディサイトに任命した蝦夷鎮守府将軍の職を安易に解くことはできない。場を整えるべく行動をする必要があるのは幕府であったのだが、天皇が兵を集めたという情報に怯んだことが失態であった。

 「陛下の軍才に怯えたわけだな、俺が。まぁ致し方あるまい。遅れても数日のことだ。」

 イシガヤ少佐はそう言いながら、野営の準備を指示する。そろそろ夕刻となり日は沈んでいく。明確に敵対しているわけではないからさほど心配はいらないだろうが、それでも戦陣であるから十分な準備は必要だ。夜は更けて空に星が煌めこうとも、魑魅魍魎は何処からか現れぬとは限らないものだからだ。



 朝夕の 凪間に吹ける 雪風は 野辺の景色を 変えるものかは



 「と、言うわけで。わたくしが援軍に駆り出されたわけですが。何か言う事はありますでしょうか?イシガヤ少佐?」

 「……ごめんなさい?」

 通信機越しに、聊か怒気を表情に表しながらイシガヤにそう伝えるセレーナ少佐に対して、イシガヤ少佐はとぼけた表情でそういう。

 「釧路軍港再建で忙しいわたくしが援軍に駆り出されるために、急いで終わらせた縄張り図面指示の多忙さときたら……。本当に心からの謝罪とお礼をして頂きたいものですわね。」

 「……アリガトウゴザイマス。」

 「やれやれ……」

 イシガヤの援軍要請から2日、鹿島の沖合に浮かぶのは伊達幕府軍空母機動艦隊である。動員サイクロプスは1000機を超えるほどであり、その総指揮官はセレーナ・スターライト少佐である。クラウン中佐自ら率いてくる案もあったが、北海道残存部隊の総指揮を執る必要もあったことから、比較的動きやすそうであったセレーナ少佐がこの任を受けたのであった。

 「双海級以下空母艦隊はこの鹿島で待機し、サイクロプス隊は順次揚陸して成田周辺まで向かわせます。タキ中将は抗議されていますが、まぁその演技がいささか下手でおいでですね。わたくし達は此方で警戒と休息をしますので、イシガヤさんは早めに用事を終わらせてくださいな。」

 「承知した。だが悪いがしばらくはそこで待機を頼むぞ。」



 「石谷太政大臣にお伝えいたす。太政大臣の要望を陛下が自らお聞きくださるとの事。供廻りのみにて新江戸城に馳せ参れ。」

 成田空港占拠から5日、ようやく今上陛下よりイシガヤに対して連絡が入る。連絡というよりも命令、と言ったようなものだが。

 「承ったと陛下にお伝え頂きたい。」

 イシガヤはそう朝廷の家臣に伝える。流石に凪仁天皇と直接通信を繋げることなどまずある話ではなく、廷臣を介してのやり取りである。彼としてはまどろっこしいと思わなくはないが、そう思っているのは彼だけではなく天皇その人をしても同じであるから致し方のないことだ。立場というものがあり、その重みを演出することは時に何よりも大事であるからだ。

 「オニワ、クスノキ、その方ら余に従い新江戸城に参るぞ。ニッコロ中尉はいるな!?成田の軍勢は任せる。もし何か重要な問題が起きれば、セレーナに指示を請え。」

 「承知しました!」

 後ろに備えるのはいずれも慎重なセレーナ少佐とニッコロ大尉であり、両者とも軍事的才能は十分な人物である。しかしこの両名は朝廷の官位を得ておらず、供廻りにするにはやはり朝臣として官位を受けているオニワ大尉とクスノキ中尉が適任であった。

 「よし、では旗を掲げよ。」

 イシガヤのその指示の下、空高く掲げられるのは、雪仁親王より賜った2基の錦の御旗である。地球帰還作戦に伴い押し戴いたその旗は、幕府軍の正統を示す重要なものであった。



 寒き空に旗ははためき

 その紅き御旗が光と照らす

 十六枚の菊花の紋様は

 陽となりて雪解の野辺を指し示す



 「陛下、石谷太政大臣藤原朝臣隆信、参り越しました。供廻りは鬼庭右馬頭藤原良信朝臣、楠刑部少輔橘正信朝臣。」

 錦旗をはためかせながら新江戸城前に鎮座するのは伊達幕府執権のイシガヤと、その供であるオニワ大尉、クスノキ中尉である。いずれも朝廷の臣下でもあることから、それぞれの機体は片膝を着き、攻撃の意思はない旨を示している。最も、これはあくまでもパフォーマンスの一つだ。そして、その機体を出迎えるのは、「名無し」と称される純白のサイクロプスである。もちろんパイロットは凪仁天皇その人であり、彼ほどの立場の者がわざわざ出迎えるという事が異例中の異例であった。

 「石谷太政大臣、疾く降りて謁見の間に参れ。廷臣ども、朕の旗を下げ、雪仁の旗を広場に掲げよ。」

 「…………はっ!」

 賢き所の意を受けて、廷臣達が慌ただしく作業に取り掛かる。旗を取り換えるという事は、あまりにも重い意味がある事であるから、彼らは慎重にも慎重に作業を進めるのである。



 「石谷太政大臣、その方らの申すようにケネス・ハーディサイトの蝦夷鎮守将軍の職を解こうぞ。これほどの軍勢を持ってこられれば、流石に朕をしても幕府軍に譲らざるを得んからな。」

 廷臣達を総て退け、現在この帝座の間には帝たる凪仁天皇とイシガヤのみが着座する。その上でそう述べる天皇の顔には不敵な笑みが浮かぶ。つまり、凪仁天皇はサイクロプスの数を以って幕府に脅された、という名目で彼を此処に引き入れたのである。彼が当初イシガヤの要求を無視したのは、数を集めさせるためであった。

 「それはまことに申し訳なく。さりながら陛下の御采配を以ってすれば、我々の兵1000機では江戸城を落とすことはかないませぬ。」

 それに対してイシガヤは伏してそう述べる。

 「……左様の。」

 「水戸、結城には東国・西国の遠距離砲撃部隊計100機、これは成田に届く砲装備でおよそ各50門。正面の関東平野には約400機の皇軍と東国・西国の軍勢。数こそ我々が倍となるといえども、新江戸城は非常に強力で、また陛下の御采配は私よりも上。開戦すればたちまちに成田駐屯軍が壊滅しましょう。後方にはセレーナ少佐が控えておりますが、流石に厳しいでしょうな。」

 イシガヤがそう続ける。実際に戦場での戦術運用だけを見れば、イシガヤの言う事はもっともであって、幕府軍に勝ち筋はない。損耗しながら江戸城近くまで押し寄せても、陥落には至らないほど消耗してしまうことは必定であった。

 「そうだな。この戦局に限れは、朕が太政大臣に負けることはあるまいな。しかし、戦いとは戦術が総てではあるまい?太政大臣に物資を止められれば、我々はそう長くはもつまいよ。」

 凪仁天皇が指摘するのは、つまり幕府の経済力である。木星圏にその根拠地を持ち、穀物以外にも多くの資源や素材、電子部品などを製造して地球圏に輸出している。これらの物資を使って精密機器などを製造しているのが日本協和国の東国、西国であるから、幕府無くしてはその経済が回らない。

 「伊達幕府が本気を出せば、朕と雖も勝つことは能わず。さりながら兵糧攻めというものは目に見えぬもので、世間の民草は理解しえない事も多かろう。されば朕と雖も不用意に幕府の言う事を聞くわけにはいかぬ中で、その方らに目に見える兵を集めさせるというのは道理であろうよ。だが、朕にこれだけのことが平気で出来るのは、太政大臣のみであろうな。蝦夷鎮守府将軍解任の件はよかろう。」

 対外的には、雪仁親王の錦旗を掲げた伊達幕府軍が大軍をもって朝廷を脅し、これに屈した凪仁天皇がその要求を受け入れる、という形である。これが普通であれば朝敵とレッテルを貼られても致し方のない事態ではあったが、流石にイシガヤも無能ではない。先の錦旗によってあくまでも天皇家の軍勢であることを示し、つまりは天皇家の内輪揉め、という体裁を整えているのであった。

 「だが、石谷太政大臣、これだけは申し伝えるが、朕は戦は望まない。良いな?」

 その言葉は自ら純白のサイクロプスを駆り、そして軍を整える凪仁天皇その人から紡がれる。

 「……御意。」

 だがイシガヤはそう平伏する。天皇という存在は、本来は民の安寧を祈り、そして主要氏族の長としてその繁栄を願う存在である。

 「『なかなかに 世をも人をも 恨むまじ 時にあはぬを 身の科にして』、そう今川氏真公も詠っておるが、朕もその方も時代と場所に合わぬ。その方の考えは大それたことだ。長生きは出来ぬであろう?励めよ。」

 「…………御意。」

 「朕はこのあと北陸と九州に兵を回すよう、左大臣と右大臣に伝える。だがくれぐれも伝えるが、朕は戦を望まぬ。それが朕の役割だ。良くわきまえて行動せよ。」

 「兵の展開、誠に助かります。また、その旨承知致しました。」

 幕府の広報活動で注意せよ、そういうお達しであった。



 「御屋形、首尾は?」

 内裏から離れたイシガヤを迎えるのは、家臣筆頭でもあるオニワである。

 「問題は解決したが、陛下もご不満だな。」

 「もどかしいところでしょうね。」

 オニワ大尉がそういうのも無理はない。仮に凪仁天皇が幕府軍を率いているのならば、即時東南アジアへ侵攻するだろう。彼にはそれだけの軍才もあれば政略を考える知略もある。その一方で、幕府軍においてはそう簡単にはいかない。シルバー大佐は確かに優秀な指揮官ではあるが、政治には疎く果敢に敵地に攻め込むタイプでもない。

 「陛下も御本心とは違う事を言わねばならないというのは、なかなか負担であろうな。だが、陛下にしても我々にしてもそうせねばならぬ。」



 うち返し 乱るうら波 うきながら 凪間に鎮む よこそ恋しき



 それはイシガヤが地球圏帰還直後に詠んだ歌とされる。

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