第02章 石狩会戦 03節
戦慄に青く
流血に朱く
我らの揺り籠はかくも染まる
見るがよい湾を覆うべき敵の舟
聞くが良い耳をつんざく号砲の音
我らの海に水平線無く
それを遮る敵の多き
もはや赤子のように無力
ただ、力の限り泣き叫ぶのみ
この声世界に聞かさん
我らの悲しみとともに
この命の声を
あぁ揺り籠はかくも無慈悲
ただ我ら将士に安息の眠りを与えよ
「将士に告げる。旗艦長門は帝國の楯とする!総舵手、90度回頭!舷側を敵艦に向けるがよい!燃料は廃棄。環境汚染を防ぐため、タンクを切り離し沈めよ。総員退艦用意!」
そうセレーナ少佐が命じる。伊達幕府軍旗艦超弩級戦艦長門には既に5発の魚雷が直撃し、主砲や敵機動兵器の攻撃の雨にさらされて、航海能力の欠片も残っていない。これは最後の足掻きである。
「カリスト、あなたは船外退去の指揮をお執りなさい。」
「セレーナ少佐はどうするの?」
「わたくしはしばらく第1艦橋で応戦指揮を執ります。急ぎなさい。」
「了解!」
艦橋に立ち、迫り来る敵艦隊の動きを優雅に見つめるセレーナ少佐の命令を受け、カリスト大尉は急いで退去命令の実行に移る。非戦闘要員や負傷者を優先して降ろし、続いて戦闘要員も順次降ろす等、かなり慎重な采配が求められる作業である。このような時は一刻も早く逃げ出したいのが人の性であるのだから。
「うぅっ!」
激震にカリスト大尉が悲鳴を漏らす。またどこかに直撃を食らったのであろう。
「セレーナねぇさんは大丈夫かな。いつ轟沈するかわからないし……。」
そうは言っても、セレーナとて20以上の戦場を潜り抜けてた将軍である。大丈夫でなかったとしても、大丈夫でないわけでないのだ。ただ、親しい人の事を心配に思うだけである。
「工兵隊、撤退準備できた?」
いったん第2艦橋に立ち寄ったカリスト大尉が工兵部隊の指揮官に問う。
「カリスト大尉、工兵部隊の退去準備は完了しました。負傷者も後2分で準備完了します。」
「1分でやって!完了した隊は随時、装甲脱出艇で脱出。ここの通信機は繋がる?」
「はい。」
「じゃあ貸して!」
カリスト大尉はそう言って通信機を繋げる。
「オバタ少尉は無事?生きてる?」
「はっ!生きてます!」
「指揮下の兵を率いて脱出艇の管理を命じます。現在工兵部隊の脱出と負傷者の脱出を命じました。彼らの誘導お願い。」
「衛生班や砲手の退去はまだ命じていないから、そのつもりで。良い?」
「わかりました。兵の脱出管理を行います。ところで、第1艦橋と連絡がつかないのですが、第2艦橋にお移りになったのですか?」
「!?……そうです。指揮系統は第2艦橋に移りました。以後、指令はこちらから出します。」
「了解。」
カリスト大尉はとっさに嘘をつく。撤退時は混乱を起こしやすい為、兵を不安にさせるわけにはいかない。それにしても通信障害……いや、幕府の旗艦がそう簡単に通信障害など起こすことはない。カリスト大尉の脳裏に嫌な予感がよぎる。
「ナイトウ中尉、私は戻って第1艦橋の様子を見てきます。工兵部隊の脱出後は、諜報部隊と衛生班の医務を担当しない者の脱出準備にかかってください。その後、衛生班の全員を降ろし、さらにその後艦橋の指揮官や砲手をどうするか検討します。ここは任せるから、よろしく頼みます。」
カリスト大尉が急ぎ駆け上がった階段の、その先にある第1艦橋の扉は開け放たれ、周囲には風が吹き抜ける。
「あっ!」
カリスト大尉が突風を腕で防ぎながら見た光景は……散乱したガラス片と、倒れた人々。そう、強化ガラスが割られでもしなければ、決して艦内に風が吹くことはないのだ。
「うっ!」
飛び散った肉片が目に映る。吐き気はするが、そんな暇はない。
「ねぇさん!ねぇさん!」
彼女は、艦長席から吹き飛ばされたセレーナを抱き起こす。肩にガラス片が刺さっているが息はしているようだ。
「カリスト…大尉……?」
「ランファ軍曹ね。無事!?」
「……何とか。少佐は?」
「息はしてる。」
「良かった……」
どうやら索敵手を務めていたランファ軍曹がセレーナ少佐を庇ってくれたようだ。しかし、カリスト大尉は少し冷静になってあたりを見渡すが、他に動くモノはない。あるのは血溜まりと肉塊。目を逸らしたくなる、直視できない、ソレを。記憶の隅に、追いやる。
「少佐を庇ってくれてありがとう!軍曹歩ける!?」
「……何とか。」
息絶え絶えのランファ軍曹ではあるが、外傷は見当たらないため打撲であろうか。ただ外傷が無いからといって安心は出来ないので本来は救護班を呼びたい所だが、既に撤退命令を出しているため現時点では自分で歩いて貰うしかない。第2艦橋に救援を呼びに戻るより、一刻も早く離脱した方が得策であろう。
「ここは危険だから下の第2艦橋に移ります。苦しいでしょうがそこまで歩いてください。その後すぐ退艦しましょう。」
「……少佐は?」
「私が担ぎます。貴女は自分の事だけ考えて。」
カリスト大尉も力があるわけではないが、どうにかセレーナを担いで階下を降る。閉じ込められる可能性が高過ぎてエレベーターなど使えない所が苦労する所だ。そして、意識の無い人間は思ったよりも重い。ランファ軍曹にしても苦しいであろう。体を壁に擦り付け体重を壁に掛けて支えながら、ズリズリと引き摺るように階段を降る。見るからに痛ましいが相してもらう他無い。
「少佐!」
そしてカリスト大尉が第2艦橋に到達した直後、そこに残っていた者達が一斉に声を上げる。この危機に艦隊司令のセレーナ少佐が倒れたのである。
「今から副司令の私が指揮を受け継ぎます。」
順当にカリスト大尉が申し伝える。
「石狩本陣のクラウン中佐へ状況を連絡つけて!また、少佐と軍曹を退艦させます。そこの衛生班は退艦に合わせて2人の援助を。諜報部の退艦は?」
「もうすぐ完了です。あっ、カリスト大尉、クラウン中佐から命令です。」
「読み上げて。」
「長門は帝國軍の楯とする。余計な燃料や爆薬は廃棄せよ。」
「了解したと……」
それは既にセレーナ少佐が指示した命令であるので今更ではあるが、改めて言われるのはつらい所である。
「まだあります。」
「また、長門は残る砲門をもって砲台となれ。死守せよ。です。」
カリスト大尉は出そうになった言葉を飲み込む。兵達に弱気になった所は見せるわけには行かないのだ。
「……既に行動に移ったと伝えてください。艦隊の現状報告せよ。」
「ミサイル戦艦花月が轟沈。残存艦艇は神威級高速巡洋戦艦針葉、護衛艦紅葉、菖蒲のみ。全艦損傷多数です。」
「よろしい。針葉のトウドウ大尉に連絡。我等とともに楯となり死守せよ。紅葉のオカベ中尉、菖蒲のフクオカ中尉は、主要乗員退艦の後、脱出艇の楯になってください。残存機雷は総て放出。」
もはや、艦艇としての機能は無い。仮にあったとしても、敵はまだこちらの4倍の艦艇を有している。陸上部隊の奮戦に期待し、敵揚陸部隊の侵攻の時間稼ぎが限界だ。
「副艦長、我々の退艦は……」
「どうやら今の所、その選択肢は存在しません。楯に敵前逃亡の自由はありません。勝手に逃げる臆病者は、公開処刑の対象とします。私達の犠牲は、家族である幕府国民の未来を守るものなのだから。」
「……冷静ですね。」
その補佐官の言葉は皮肉であろう。まだ皮肉を言えるだけマシと言えるだろうか。どの道腹を括らないとならないのだから。兵士は国民のために死ぬことは義務。死んだ所で見舞金と遺族年金、2階級特進と国葬の名誉が与えられるだけに過ぎない。ましてや、指揮官は兵を死地に放り込むものである。1人でも多くの部下を守るため、少数の部下を見殺しにする。多くの国民を守るため、多くの兵士を見殺しにする。冷静で居られるはずも無いが、冷静で居なければならない、それが指揮官である。
「通信回線を回しなさい。」
カリスト大尉が不意に通信回線を開かせる。
「全艦将兵に告ぐ。旗艦長門は、武運尽きるまで伊達幕府国民の楯となります。我々は罪も無く、今敵に攻撃を受けています。しかし敵は悟るでしょう。いや、悟らせねばなりません。我々の流血が無駄ではないことを。そして、彼らの暴虐辰行為は、決して実を結ぶことのないことを。我々の愛する肉親や友人、彼らを守り、そして、何者にも屈せず、自分の生きる権利を行使する。我々が伊達幕府国民4億人の城・石垣・堀の先駆けとなれば、幕府は難攻不落の大要塞となりましょう。その姿勢があれば、天界の軍神達も我々を見放すことは無いはずです。さぁ、我等に続きなさい。我々に女神の加護を!!」
直後、長門に掲げられた女神像に一瞬淡光が煌く。
「火器管制システムに異常。システムが書き換えられます。」
「構いません。そのまま砲撃を続けなさい。女神の加護です。」
女神の加護。それを受けた機体のポテンシャルが上昇し、パイロットの戦闘センスも上昇する。女神隊に選ばれた人間とガディス・システム搭載機のみが起こす奇跡である。とはいえ”奇跡”とは言うものの、実際にはイシガヤ家の先祖が作り出したコスモ・ガディスに搭載され、その妻や知人達の戦場データを記録し、代々引継がれてきた人工知能による補正機能である。ただ、その人工知能はデータをコピーする事は出来るものの、ブラックボックスになっておりデータを解析する事は不可能である。また、特に相性が良い人間以外には、意図的に機能を発動する事が出来ないという兵器としては不十分なものではあるが、しかしそれでも機能した場合の性能はエースパイロットに勝るほどの特性を発揮するため、女神隊が良く使う機体や艦艇には実装されるようになっている。
「っ!?射撃命中プラス18%に上昇。ミサイルの被弾率も低下しています!」
「よろしい。」
カリスト大尉が頷く。これでミサイルなどの撃墜確率が上がり、しばらくは戦線を保てるかもしれない。とはいえ、多少迎撃能力が増しても爆沈までの多少の時間稼ぎにしかならない。確かに、機銃での迎撃率が上昇し、ミサイルで被弾する率はかなり低下しているし、そもそも対ビームコーティングされた長門の装甲は、ビーム兵器の効力を限りなく減らしている。だが、そのいずれも敵サイクロプスに装備された実弾兵器を防ぐことは出来ない。それはまるで薄皮一枚一枚をはがされていくようなものだ……
「……第1主砲、沈黙。」
「………。」
「サイクロプス格納庫浸水。封鎖します。」
「………。」
「……居住区に直撃。封鎖します。」
「………。」
「第1艦橋、もぎ取れました。」
「………。」
カリスト大尉は敵正面を映すモニターを見つめながら沈黙を保っているが、それは冷静な姿を演じているに過ぎない。あまりの惨状にもはや頭の中は真っ白であり、足掻くだけ足掻いて死のう、というような考えしかまとまらない状況なのである。
「せめて……クスノキ中尉にお別れ言いたかったんだけどな……」
そしてふと、走馬灯のように片思いの人の事を想い出して呟くが……
「遊撃隊旅団長クスノキ中尉より入電!」
「……ん?」
通信手の報告に、カリスト大尉はまるで空耳を聞いたかのような怪訝な声で答える。
「……なんと言っています?」
「カリスト大尉?入電内容読み上げますか?」
「ええ……。お願い。」
「読み上げます。戦局に動きあり。『クラウン中佐より指示があると思うが、後5分死守されたし。御武運を。追伸、カリスト大尉達と再び見えることを心待ちにしている。』です。」
この期に及んで戦局に変化などあるのだろうか。しかし、である。主に諜報部隊を指揮するクスノキ中尉は、今回の作戦に従軍しておらず、各方面への諜報活動と調整を担っていた筈である。
「私は、まだ生きてますよね?」
「……はぁ?」
自らの頬をつねりながらそう言ったカリスト大尉を見て、通信士が疑念の声を上げる。
「や、ありがとう。今のは聴かなかったことにして。」
そのクスノキ中尉がそう言うからには、政治的な変化があり戦略戦術に方針転換を行う、ということだろうか。それならそれで、クスノキ中尉の好意に応えようとカリスト大尉は生気を取り戻す。
「火器管制を艦長席に回してください。主砲塔要員は直ちに小型艇格納庫へ移動。また、機銃要員も同様です。ただし、砲術長、砲術副長の退艦はまだ認めません。第2艦橋に移り左右の機銃座を統括して動かしなさい。ミサイル、魚雷は?」
「弾切れです。」
「では要員は同様に移動してください。」
「クラウン中佐より連絡。」
「回して!」
「『長門の火器管制をオートに切り替えて、総員退去準備せよ。』です。」
「了解したと伝えて。全艦に通達!火器管制をオートに切り替えて総員退去!急いで!!」
「カリスト大尉は!?」
「私は最後。先に逃げちゃって!」
「はっ!」
カリスト大尉としてもいち早く逃げたいところではあるが、艦の制御は総員退艦完了まで面倒を見なければならない。そして、唯一その制御を統括して行えるのは艦長席だけである。
「……。」
湾内には20を越える艦艇が沈み、陸には無数の、まるで人の屍の如きサイクロプスが沈黙している。それはまさに墓標だ。戦闘機はハエのように落ちて、敵の砲弾に水柱が上がる。どれほどの将士が死んだのだろう。でも、この悲惨さをあまり感じさせないのは何故だろうか。……無機物の戦いだからだろうか。かつてのミサイル戦争にくらべたらまだマシかもしれない。けど、ロボット同士、艦艇同士の戦いは、人の、血を、覆い、隠す。幾千の将士が死んでいるのに、それをリアルで感じ取れない。そう、第1艦橋で見た血だまりと人肉のミンチ。あれが見えないのだ。だから、だからこんな最悪な戦争が出来るのだろう。
ねぇ、どうして
海はこんなに綺麗なのに
空はこんなに澄んでいるのに
目の前に惨劇しか映らない
沈みゆく巨船の中にいて
聞こえるのは悲鳴と爆音
そのめまぐるしさに祈る暇さえ・・・
ささやかな願いさえ
小さな願いさえ
目の前の惨劇の音に消えてしまう
ただ思うのは自分の命
ただそれだけの切望
目の前の絶望の中で
私達が望む唯一
この沈みゆく鋼鉄の中で
この沈みゆく栄光の中で……
「カリスト大尉、貴官も退去せよ。総員退艦が完了したそうだ。」
石狩方面の司令たるクラウン中佐より、モニター経由で退去指示が下る。
「了解です。」
「大尉、こちらです!」
まるでそれを待っていたかのように、後ろの方から声がかかる。
「オバタ少尉、あなたも残っていたのね。退艦は完全?」
「もちろんです。あとはカリスト大尉だけですからお急ぎを!こちらです。」
無数の直撃を受けて使えなくなった廊下を避け、時に甲板を走りながら逃げる。あたりにはきつい硝煙の匂いが充満している。
「大尉、こちらです!」
そして、無敵戦艦と言われた長門も、もはや見るも無残な勇姿を湛えていた。
「お急ぎを!」
そう急かされ、彼女達はボートに乗り込み長門を離れる。……振り返った時には……もうその姿は無く、将士の血肉と幕府の名誉を抱えて、ただ、海底に沈み逝くだけであった…………